人生60年となった、この3月に思いがけない大震災があったわけだが、この一ヶ月は恐らく一生忘れられないと思う。
今朝、久しぶりに内田樹先生のブログを読んだ。そして≪原発供養≫等を読みながらハッとした。
この記事自体は、私の日本人のこころや古代への関心に繋がり、とても面白いが、もう一つ大事なことに気づかせていただいた。
それは、自分にとっての大震災、原発をどう受容し、統合して行くかというプロセスである。
今回の大震災の後、私の知覚は何か変わったようだ。知覚の変化は、経験的に行って大きな個人的変化の前兆である。
普段なら明るいはずの道を、夜空の星の光を楽しみながら闇の中を歩く。動物園のシロフクロウが何か神官のように見える。カトリック教会のミサも何か違って感じられる。桜の花にも何か死の影を感じてしまう・・・
原発問題や大震災は、昨日までの自分の理想領域や現実認識にひびを入れた(今回は、これが自分だけでなく、日本の社会全体の問題であることも特異である)。そして、個人的にはそれをどう受容し統合していくかということに尽きるのだろう。
本当の受容は、最終的に自己肯定・他者肯定の不思議な領域に落ち着くと思う。今は、自他・否定の不安定なカオスの領域にいるのかもしれない。それを抑圧したり知性化したり感情転位をして何とか生きているのだろう。
今回、自分をもっと傾聴しても良いかもしれない。生き甲斐の心理学を使って、さらに自分の宗教観を見直したり、比較宗教学を学んだりしながら。絶好のチャンスの到来とも言える。
これは、個人的問題であるが、社会全体も同じようなところがあり(こんなに社会全体が一つに繋がっていくように見えるのは初めての経験で、興味がわく。U先生が生き甲斐の心理学は政治心理学でも通用する考え方だと言われたことを思い出す・・・
自分をじっくり傾聴しよう。
傾聴を考える 9/10
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