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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

月と闇、死と再生の季節・・今も縄文時代も (8/10 感情と付き合う)

2022-04-16 | 第七章「光と復活体」

3.11で電力制限があったころ。照明が十分でない中央高速を走ったが、闇のもつ怖さが印象的だった。現代では普段は昼だけでなく夜も十分明るいし、暗くてもスマホなどもあるので闇の持つ怖さは意識に登りにくいようだ。

そして、闇を照らす月の光。皆さんはどのような月の思い出をお持ちなのだろうか。人それぞれだと思うが。私の年代だと、幼いころ家族皆で満月を見て、兎が餅をついているなどと楽しんだ思い出があるかもしれない。10年くらい前に秋に友人と河原で月見で一杯を楽しんだことがあったが、幼いころのそんな思いでと重なって至福の時でもあった。きっと私の愛の原型の一つなのだろう。

さて、古代、あるいは縄文時代では月は闇を照らす光くらいの意味だけだったのだろうか。縄文土器の図像について井戸尻考古館の資料「井戸尻第9集」を読んでいると、縄文人もすでに月を暦として読み解いていたようだ。縄文時代にも太陰暦の概念があったとしか思えない土器の図像があるのだ。これは何も日本列島だけではなく中国でもそうであったようだ。冷蔵庫もない時代に植物を何百種類も摂取し動物も何十種類も食べていたという祖先たちは、恐らく周到に周りの動植物の動きを暦に連動して把握していたのではないだろうか。

そして、生活の中で文字は無くても何らかの二十四節季くらいの情報を得ていたのではないだろうか。生活に役立つ暦の情報は月だけではうまく成り立たない。太陽の動き二至二分との何らかの同期が必要だ。永田久先生の「暦と占いの科学」(新潮選書 昭和57年)を読んでいたら、前漢の頃からは中国では春分を意識した二十四節季になったが、それ以前は冬至が起点だったとされている。そして、世界的にも一年のはじめを冬至にするか春分にするかはいろいろあるようだが、春が一年のはじめとして意識されたことは間違いないようである。

宗教行事でも春はそういった古の記憶もあるのか、一つの始まりとして大切にされている。仏教の花祭りは今年は4月8日。キリスト教の復活祭は、春分の日の後の満月の後の日曜日だそうだが、4月17日である。そして調べてみたら17日は満月。

暗い世相の中であるが、私はカトリックなので復活徹夜祭の今日を楽しむ予定である。そして明日は満月。

8/10 感情と付き合う

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