縄文時代のお勉強を2年前くらいからしているが、当時の著名な交易品ともいえるヒスイや黒曜石のことを調べていると、不思議なことに数億年レベルの日本列島の誕生にかかわる地学の世界にぶつかる。
ご存じのフォッサマグナのことだ。そして、今回は私の家のある東京・多摩を中央高速(これは縄文時代にも、同じような道が文化圏を考えるとあったと推定できる)で甲府から長野県諏訪を超え、安曇野でおりて国道148号線沿いに日本海に抜けた。安曇野あたりからは、ちょうど糸魚川ー静岡構造線(フォッサマグナの西端、東端は柏崎ー千葉構造線とか新発田―小出構造線)にあたり、3億年前とかの活発な活動を物語ところである。
そして、この構造線に沿った糸魚川付近は有名なヒスイの産地で、蘇我氏が全国的にヒスイの利権を握る前までは糸魚川でもヒスイを産出し大珠を生産するなど、東日本を中心としたヒスイ文化の中心であった。なお、ヒスイは西日本でも採れるところがあるそうだ。
台風接近で雨が降り、観光は絶望的かもと思われるなか、博物館や資料館もあるさ・・・と朝からでかけた日本海への横断の旅をご紹介しましょう。
中央高速での休憩は釈迦堂パーキングエリア(有名な縄文遺跡の博物館に行ける)から、談合坂には止まりません。
新潟県に入り姫川がだんだん大河になっていく姿を見ると日本海が近いのがわかる。小谷の道の駅にはツキノワグマの毛皮が売られていたのに感動。このあたりの道は塩の道とも呼ばれ、信州と越の国のつながりを思うと感動してしまう。
奇跡的に雨が止んだころに、小滝のヒスイ峡に到着。ここまで来る人はまれなようだ。石灰岩の塊のような明星山(フォッサマグナでサンゴ礁が地中から出てきた?)を観、5000年前とかの縄文時代の祖先が、ヒスイを取りに来たのかと妄想・・・(この妄想は、どうやら違うようで、祖先は姫川流域や海岸で拾った可能性が高い?)
糸魚川のフォッサマグナミュージアムでヒスイや地学等の知見に触れる。フォッサマグナ=糸魚川ー静岡構造線と思いこんでいたが、実は違うことをはっきり認識。東京も多摩もフォッサマグナの土地だった。
そして、長者ヶ原考古館に、雪の深い地方の縄文の村を想像したり、ヒスイや蛇紋岩を加工して交易品を作った祖先を想像する。
そして、糸魚川市役所となりの天津神社・沼名川神社と資料館で行われていた展示会にも・・・沼名川姫は古事記の実に美しいお話を覚えていたが、最近万葉集で沼名川の歌に触れたりし、また沼名川姫と諏訪神社の関係を考えたりすると、縄文時代の二つの地域の関係までおよび実に楽しい。
そして、日本海を眺めて一日が終わった。
さて、今日は?