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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

恥の文化の根っこを考えると (青春時代を考える 7/10)

2018-09-12 | 旅・雑記帳

 7歳の時に南西アラスカのシトカというところで約1年暮らしたが、現地の小学校に通っていて夏だったと思うが、急に雨が降ってきたので母が傘を持って私を迎えにいったら、現地の母親達はだれも迎えに来てはいなかったようで驚いていたそうだ。日本にいて気づかない日本の文化に外国で気づいたようだった。これは、戦後「菊と刀」で有名になった「恥の文化」の文脈で説明ができるかもしれないし、「甘えの構造」からも説明できるかもしれない。

 「恥の文化」は繊細で情感のある良い文化であり、自然災害が生じても混乱なく行動したりするのもその影響と言う人もいる。外国と日本の統計データなどを見ても、日本は自死は多いが殺人は非常に少ない特徴があり、「恥の文化」の影響かもしれない。ただ、体裁が悪いなど「恥」を過度に意識すると、まわりの立場の弱い人が参ったり、自死の原因になるようで、問題だと思う。

 さて、「恥の文化」というと西欧の「罪の文化」と比較をし内面性で引け目を感じるかたもいらっしゃるかと思うが。私は縄文時代からの非常に深く良い文化だと考えている。柳田国男さんが指摘されているが、日本にはお盆など二至二分に祖先の魂を迎え大切にする習慣がある。近くの山や川などから祖先の魂がやってきて、私たちが丁寧にお迎えしおもてなしをする。そして魂達は元の場所に喜んで帰っていき、生きている人達に幸をもたらしていく。

 私の青春時代のころは東京でも、お盆になると迎え火送り火をする風習があった。家族で集まり火を炊いていると、祖父が「来年はこの煙でやってくるかな」・・などと冗談のように話していたのを思い出してしまう。

 「恥」は他人の目を意識するもののようだが、本来は人間に限らず祖先や神仏の目も意識するものだったのではないかと思う。日本書紀の有名なイザナミ・イザナギ神話を昨日も読んでいたが、女神イザナミが亡くなり男神イザナキが黄泉の国に奪還に来る。残念ながらイザナミは黄泉の国の食事をしてしまっていて、黄泉の国の住人になってしまった。そしてイザナギに自分の身体を見てくれるなと言うが、よくある神話の話でそれを見てしまう。恥をかいたイザナミは激怒し、夫を追っかけるが、最終的にはヨモツヒラサカで和解が成立するという話だ。日本書紀が書かれた時期は8世紀で、弥生時代、古墳時代などの新しい文化の影響も入っていると思うが、見る見ないの問題で悩むのは、人間でなく神さまであるところに思い巡らすと、恥も結構深い。そして、イザナミやイザナギの愛をどう考えるかは奥深い課題だ。

 青春時代、恥ずかしかった思い出はいろいろあるが、それを単に他人の目と考えず慈愛のある神仏や祖先の目も意識してみると、ちょっと恥ずかしい青春が、違って見えてくるようにも思う。

青春時代を考える 7/10

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