二日目に鹿角市の鹿角道の駅で昼食をした後、思いがけず大湯ストーンサークルに行くことになった。ちょうど1年前に京王線多摩境駅の近くの田端遺跡(配石遺構)を見学してから私の縄文熱+ストーンサークル熱は激しくなってきたが、期せずして見学の機会が訪れたのだ。
大湯遺跡は縄文後期(AMS法では約4,500 - 3,300年前)の遺跡で、直径40mを超すストーンサークルが二つあり、国の特別遺跡に指定されている。有名な二つの大きなストーンサークルのほかに日時計と思われる配石遺構がおのおのにあり、二つのストーンサークルの中心を結ぶ線が約4000年前の夏至の日没の方向に一致し、しかも二つの日時計もこの線上にあるという不思議な遺構だ。そのほかに、先日チカモリ遺跡と桜町遺跡等で見学させていただいたばかりのウッドサークルや柱列もある。
そして、1~6までの数を表す不思議な石板。
当然ながら縄文の祖先は天体観測から冬至・夏至・秋分・春分を熟知し、当時の天文学のレベルの高さに驚く。さらに、石板の1~6という数字も、いろいろ考えさせられる。ストーンサークル自身も、内帯の内径の二倍が外径に、さらに内帯外径の3倍が外帯外径と等しくなっていて、ここでも6が登場する。
因みに6という数字は完全数(約数の合計がその数と一致)で、6の次は28となり、一週間とか一か月を表す数字と密接に関係したりする。完全数についての研究は縄文最晩期に相当する紀元前300年くらいにユークリットによっても研究されているようだ。したがって、縄文後期の祖先が6の神秘に気づいていたという可能性はあると思う。
しかし、このストーンサークル、平均30Kg(重いものは200Kg)という美しい石英閃緑ひん岩を産地から4Km以上運んだという。祖先のそういった気力はどこから来たのだろうか。昨日も宮沢賢治の真善美に触れたが、祖先の真善美と関係があるのは確実だと思う。
つづく