私もそうであるが、日本では特に風呂が好まれ、清潔が好まれ、禊や灌頂や洗礼が好まれるようだ。
穢れを清める・・・これは、私もそうだがほとんどの人は初めて自分で頭を洗ったときの記憶を結構忘れずに持ち、単に清潔の原型というより、もっと深い意味で穢れを清めるというイメージを持っていることが多いようだ。
そして、私も縄文に興味を持っているので、縄文遺跡に温泉遺構があったりするのか、いろいろ調べたが、どうもはっきりしない。温泉の記憶は万葉集や記紀を待たずを得ず、日本最古の温泉と言われるものの代表は、道後温泉、白浜温泉、有馬温泉、湯の峰温泉といったところのようだ。しかし、日本はいたるところに温泉があり、洞窟などもあり、川もあり・・・そんなことなので、穢れをとるという習俗・原型はやはり縄文時代以前に辿れるように思えてならない(なお、湯につかる風呂以前は風呂の名のとおり蒸し風呂系だったようだ)。
しかし、このあたりの研究は私の知る限りほとんどなく寂しい限りだ・・・
さて、穢れを考えると、身体の穢れ、心の穢れ、魂の穢れを分けて考えてしまう。そして、深刻に穢れについて悩みに接するといろいろ考えてしまう。中原中也の「汚れちまった悲しみに」といった深刻な歌があるが、これは身体の穢れではなく誰でも深刻な心や魂の問題のように考えると思う。悩んでいるとしたらどうしたらよいか?
もし、自分が汚れてしまったと思い悩んでいるならば、神社仏閣で禊やお祓いをしてもらったり、教会に行ったらどうだろうか。その地はだいたい聖地であることが多く、訪れるだけで何かが変わる経験をする。いろいろあると思うが、古からの知恵はバカにできない(なお、私はカトリックなので教会に行くが)。写真は琵琶湖の唐崎神社周辺。古来からの有名な禊の地であり、更科日記などにも出てくる。
私も過去に2回唐崎神社を訪れたが素晴らしいところで、来年も春に行きたいと思っている。
こころの柔軟体操 4/10