自分の中では、普通に成長し普通に学校に行き、普通にサラリーマンになり、普通に家庭をもち・・・という人生を40歳台まで送ったように思う。しかし、生き甲斐の心理学に49歳の時に出会い大きく人生は変わってくる。その最大の驚きは「感情の意味」だったように思う。
それまでの私は、日常の中では思考・感情・行動という人間の基本の中で、思考重視だったように思う。感情は時には煩わしくおもうことも。
生き甲斐の心理学は、臨床心理系の学びで意識の世界だけでなく無意識の世界も大切にする。そして、自分の中の閉ざされた世界について、扉を開いてくれる知恵を提供してくれたようだ。
無意識の世界というと、日々の意識された世界と関係ないように思うのだが、例えば私が今日のブログ用にアップした一枚の写真でも、自分の意識した世界のほかに何か無意識の世界を投影した彩があるように思えてならない。
かつては自分というものは意識の世界の中心にポンとあるような感覚を持っていたが、信仰も関係あるのだろうが、無意識の世界も含め、意識の中心点ではない大きな世界に中心点を持つようになっていったようだ。
そうなると、意識にのぼるものはわかりきったものではなく、違う様相をもってくる。端的なのは感情である。何故か湧きおこってくる不安感ひとつでも、新鮮な感覚で見つめることができるようだ。
さて、無意識の探索のポイントは、思考ではなく感情である。感情をどうとらえるか先輩たちはいろいろ研究したようだが、理想と現実のギャップが感情という見方がある。これは単純だが私にはとても役に立つものだう。ある時は、自分の悩みをこれから解決したりした(特に意識の世界が大半の問題はわかりやすい)。
そして、なかなか分かりにくい無意識の世界からくる感情。例えば、私は小学校1年の時に友達が交通事故で亡くなるという経験をしたのだが、そのときの感情を再体験(同じ場所で別のタイミングではあるが)し、感情を見つめる経験をした。その結果、体験の解釈が変わり一時はちょっと病的な世界に陥ったことがあったが、それを開放した経験をもった。
これは、過去の感情であったが、感情の意味を考えることで頭で考えても分らない原因を捕まえたようだった。
感情は、今ここにという場でしか現れない。そして、湧きおこる感情をみつめることで、例えば、自分はXXしている。それはXXXという理想をもち現実がXXXと考えているからだ。そんな風に思考で展開すると、いろいろなことが見え始め、次の行動に役立つことになる。
ちょっと、今朝から頭に浮かんだことを以上にまとめさせていただいたが、昨日の続きを・・・
いくつ問題があるかを数える効果をお話ししたと思うが、次のステップは、その問題の行方を考えることである。例えば、小説を早く仕上げねばということで焦っているという問題があるとする。このとき、単に焦るのではなく、ゆっくりと最善の結果。そして最悪の結果を予測することである。私の場合は、すぐには予測不可能だったので、もう一度、スタートポイントにもどりデータを整理し予測できるようにした。その結果最善は11月中旬。最悪は12月中旬。そんな予測がでた。レンジで考えるようになると(一般には最善だけを考えたり、最悪だけを考えたりする傾向があるようだ)とても平安感が増す。
つまり、この最善と最悪のシミュレーション思考の中で、自分の理想と置かれている現実の見方が変わるようなのだ。思い込みというのは、自分の理想とか現実の把握を狂わせ、それによって生じる感情に巻き込まれるような結果をまねきがちだ。冷静に最善と最悪を考えることは、大きな知恵である。
心をみつめる方法 2/10