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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

幽玄の美を縄文の祖先たちも感じたのだろうか?(こころをみつめる方法 4/10)

2015-11-13 | 第二章「五感と体感」

 亡くなった祖父は戦後、栄養失調になるような生活をしたが、その中でも能を習っていた。祖母がそんな祖父に文句を言っても、受け付けなかったらしい。そして、幼いころ祖父の家に行くと鼓が転がっていたりしたものだ。

 そんな私にとっての能であるが、今まで特に興味をもつこともなく過ごしてきた。しかし、生き甲斐の心理学の同志たちが能にはまって、さて、どんなものかと、この2-3年落ち着きのない時間を過ごしてきた。

 といって、この2年縄文時代に凝っていたので、能まで手をだせなかったのも事実。一方、、縄文時代を題材に下手な小説を最近書いていたのだが、縄文時代の真善美を考えるなかで、日本の伝統芸を考えざるを得なくなり、また日本の音に関心をもつようになった。

 この二日、ブログも書かずにもんもんとしたが、それは縄文時代の祖先たちの幽玄の美の問題だったかなと今朝ふと思ったりした。

 どの時代も、理不尽なことがあり、さまざまな感情が湧く。そうした中、自己を表現する芸術は確実に存在し、他者に何とも言えぬものを伝え、互いに昇華してきたのだろう。それは、確実に生きる智慧である。

 善悪とか理知の世界とは別に、美の世界がある。もちろんお互いに関係しあっているのだが、美にも独特の世界がある。そして、思ったのだが理知や善悪といった物差しでは実にグレーな部分に、美の世界は不思議な力を発揮し切り込むことができると。

 かつて、奈良で見たたくさんの天女が書かれている曼荼羅図。怒ったり、笑ったり、さまざまな感情が表れている世界が、全体として調和している美。

 日本の伝統美。昔、カトリックの神父さんが書かれた、信仰と美学の問題についての本を思い出した。美とは何か?小説が一段落したら、もう一度思索したいものだ。自己表現の問題とからめて。

心をみつめる方法 4/10

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