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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

視ることで、幸せが来たり来なかったり!(この世を考える 7/10)

2012-12-28 | 第八章「魂と聖霊」

 ある小説を読んでいたら、無視ということについて語られていた。無視には、ある人の存在を消そうとする意思、殺意までとは言わないまでも、どこか他者否定の意思が隠れているのだろう。

 日々の生活の中で、視ることに意識をしだしたのは、「生き甲斐の心理学」を学び始めてからだ。カウンセリングや傾聴で大事にされている、ロジャースの6条件を勉強する中で、自分が心底、心が開けたと思う生育史上の事例を考えていると、不思議な経験をいくつか思い出す。一番は、7歳の時のアラスカで、言葉が全く通じない中で私を迎えてくれた小学校の女教師が忘れられない。

 何を言っているのか分からず緊張して黙っているだけの私に、自分の心の中の憂いも鏡のように湛えている眼で視てくれたようだ。それはカウンセリング以上の効果を与えてくれる慈眼だった。それにより、リラックスでき何とかなってしまった経験がある。私も慈眼になっていたのだろう。慈眼は、受容と共感と一致の眼とも言える。

 反対のケース、邪眼もある。私は、写真を撮ることが好きで、動物の写真をよく取る。中でも、チョウチョを撮ることが好きだが、何か心が不安定の時はチョウチョが逃げる。当然写真が撮れない。こうしたことは、言葉に出さないまでも結構日常の中にあるようだ。変な視線を感じた時、生命体はリラックスとは正反対に鎧兜を着込む。

 日々無視したり、無視されたり、視線を感じたり、邪眼になったり慈眼になったり、いろいろあるが、視線を思索し自他肯定を目指すと、何か良いようだ。幸せへの近道なのだろう。

 この世を考える 7/10

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