年をとってくると、時間の過ぎていくのが速く感じるようだ。10歳未満、10代、20代、30代、40代・・・。時間に対する感受性が弱まってくるのかもしれない。そして、それは悪い面もあるが、良い面もある。良い面は待つことが得意になってくることだろうか。
昨日から読んでいた「逢はなくもあやし」(坂東眞砂子著)のテーマは「待つ」であった。持統天皇も登場する。夫が訪れることを待っていた古代の女性・持統天皇。夫の天武天皇が崩御され、その後に持統天皇により作られた藤原京。藤原京の朱雀門近く、都の真南には、夫(天武天皇)が眠る大内陵が今でもある。その陵で、夫が妻を待っていた。
持統天皇だけでなく、誰も待つことが多い。祈っても願っても、事態は変わらず時間が経ち待つだけという時もある。
大学生のころ、宗教の問題で悩んでいたころ、知人のO氏が次のような詩を見せてもらったことがある。その言葉は40年くらいたった今でも覚えている。
「・・・待つのです 待つのです 恵の時の到来を・・・」
1-2年で、いや10-20年そのような時はやってこなかったが、不思議なことに、ある時に突然やってきた。私が賢くなったわけでもなく、ありのままの現在形の自分を体感した時とも言えるかもしれない。
生き甲斐の心理学では、ロジャースの命題1(個人はすべて、自分が中心であるところの、絶え間なく変化している経験の世界(world of experience)に存在する。)のエッセンス、「自分は自分」ということを大切にしている。経験の世界は揺らめき、変化しても自分という視座は変わらない。
待つことでいらいらしたり、何かに囚われることはあっても、「自分は自分」という柱はしなやかだ。
この世を考える 6/10