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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

奇妙な行動・ウォッチングを楽しむ!(人間を考える 7/10)

2012-12-18 | 第八章「魂と聖霊」

 私が幼稚園に通い始めたころ、幼稚園が遠くにあり交通も危険で心配したのだろう、母が送り迎えをすることが多かった。しかし、代わりに叔母さんが思いがけず来ることもあった。私の家の前に祖父母の家があり、叔母さんが訪れることも多かったのだ。

 そんな時、母への怒りへの腹いせか、叔母さんの手に噛み付くことがあった。そしてすっぽんのようになかなか離さない。その癖も、そのうち度々になり、周りの噛み付き癖対策も進んだ。噛み付くと鼻をつままれ離すという回避方法が定着し、私の奇妙な行動もだんだん減っていった。

 その癖の最後は、小学校一年の時に、担任の女教師に噛み付いた時だ。先生は、驚き、そこで予想外の反応をした(叔母さんと勝手が違った)。今では、当たり前だと思うが。

 あれから、50年以上が経って、幼稚園に迎えにこられた叔母さんが最近亡くなられた。亡くなる前に、お見舞いに行った時、その噛み付いた手を握らせていただいた。その時の暖かい感触は忘れられない。噛んだ意味も今考えると、何となく判る。

 「生き甲斐の心理学」では怒りは友好的感情の裏側であり、未熟な私は単純な情動で行動したに過ぎなかった。50年以上の時間を経て、奇妙な行動の意味を受容し、怒りの感情の意味を少し深めたようだ。

 さて、私の孫娘2-3歳のころ。外に行くと、階段の登り降りをはじめ、ずっとやり続けていた。最近は、その傾向がなくなったが、かわりにスマイル・プリキュラの相手をやらされる。その行動の背景は、本人が大人になってから、ふと気がつく大切なことがあるのだと思う。こちらや本人が奇妙と思っても、大切な意味があるのだろう。

 今日は、U先生のテレビ放送、「裏の行動」を拝見し、触発されて書かせていただいた。感謝しつつ。

 人間を考える 7/10

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