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イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

暗いのが好き~からの脱却!

2008-07-03 | 第七章「光と復活体」

 今日の朝、新聞を取りに行く時に、人が見ていないことを確認して、くるっと一回転した(トンボがえりではありません)。

ひとつひとつの行動が、自己イメージと繋がっていると教えられ、確かに自分はひょうきんだ、という自己イメージをもっているからかもしれないと思った。自己イメージは、日常の中でも、大きな影響を与えているようだ。それが真実かどうかは別にして。

自己イメージといえば、学生時代のころの自己イメージは、特に高校生ころは真っ暗であった。今から考えれば、6歳のころの友達が交通事故で亡くなった事件。あるいは、当時の全学連等の影響も受け、思考が異常に暗かったのかもしれない。また、幼少のころの宗教的な暮らしから、逆回心があったからかもしれない。あるいは、より深い人生を送るための成長の一環だったと解釈できるかもしれない。

理由は、良く分からないが、暗かったのは確かである。

40歳の時に父が亡くなったが、父は自己肯定的であり、私が暗いのをいつも心配していたようであった。お酒を飲みながら、もっと明るく解釈できないか?と言われたりした。

1999年、不思議な経験があり、暗い自己イメージが突然変わった。それを境にカトリック教会に再び通い始める。そして、暗いものを避けるようになり、音楽の好みなども激変した。

暗いのが好きから、明るいのが好きに変わって行ったようである。

その経験は、自分の力ではなく、一方的な純粋な恵そのもののように思った。また、その経験から思考・解釈の大きな変化があった。

こうした大きな変化の中で、ひとつ変化を招いた想いを懐かしく思い出すことがある。

高校生の暗い時期、たまにラジオから流れるメロディーがあった。最近YouTubeでその歌を見つけた。「今日も夢見る」である。これは表面的には失恋の歌であるが、何処か希望が残されており、今勝手に解釈すると見神欲(比較宗教学でのデジデリウム)を投影しているように感じる。こうした想いが深層を流れ、1999年の出来事に繋がったかもしれない。

<花2/4>

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