ベランダの水仙が咲きはじめ、いよいよ本格的な春が近づいてきている。
花見の計画も楽しく始まっている。ただ、この季節はキリスト教では四旬節といって、復活祭(今年は3月23日)の前の準備の期間である。質素に、祈りの時を過ごす。
宗教は、季節を通して密接に私たちの生活で深められていくように想う。日本の伝統的な正月やお盆は最たるものではないだろうか。最近、正月やお盆が日本でも世俗化の影響か、特別な行事の時期という感じがしなくなってきているのも、何処かさびしい。
罪という問題を考える時、特に生育史を考えるとき、どうしても日本の文化、思想・哲学を考えざるを得なくなる。
特に、私はカトリックの幼児洗礼を受け、中学校ぐらいまでは、教会に毎週行ったりした。ただ、周りを見渡せば、母以外の父も祖父母もカトリックではなく、家でも学校(公立だった)でもマイノリティであった。
罪とは何だろう。私の心に沁み込んでいる罪。そして、キリスト教の影響なのか、日本の文化の影響なのか・・・何となく余計なことを考えてしまう。ただ、自分のこころのことを考え深めていくと、深層に流れる日本の文化・思想史の影響が大きいことに気づく。
今、湯浅泰雄氏の「日本人の宗教意識」(講談社学術文庫)を読んでいる。興味深く読んでいるが、歴史の教科書でならったことと思想史の世界はどうも随分違うようである。特に中世の仏教の大衆に受けられるプロセスは興味深かい。
復活祭までの期間、静に考え続けていきたい。
<罪の問題3/4>
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