愛の多様性に気づき、自分以外の人も大切にしていこうというこころは、古代から神話や民話の形で伝わってきているようだ。
この数日、日本の瓜子姫民話、ハイヌエレ神話(ニューギニア)、南東アラスカのクリンギット族の神話などを読み楽しんでいる。神話を古代人が日々の生活で生きるために、学習され続けてきたテキスト、と考えると、単なるお話ではなく、祖先達の血のにじむ努力のもとに成立した遺産と実感できる。
昨晩は、雨天の中雲を通して月のかげが見えた。満月に近い。今度の日曜日は復活祭である。
今日は、感動して読み返した、私が7歳の時に暮らした南東アラスカのグリンギット族の神話を、星野道夫著 世界文化社「森と氷河と鯨」94ページから引用する。改行で一部手を加えている。強大なロシアとシトカ戦争で勇敢に戦った民族を支えてきた神話と思うと胸が熱くなる。
「どのようにわたしたちがたましいを得たか。ワタリガラスがこの世界に森をつくった時、生き物たちはまだたましいをもってはいなかった。人々は森の中に座り、どうしていいのかわからなかった。木は生長せず、動物たちも魚たちもじっと動くことはなかったのだ。
ワタリガラスが浜辺を歩いていると海の中から大きな火の玉が上がってきた。ワタリガラスはじっと見つめていた。すると一人の若者が浜辺の向こうからやって来た。彼の嘴は素晴らしく長く、それは一羽のタカだった。タカは実に速く飛ぶ。「力を貸してくれ」 通り過ぎてゆくタカにワタリガラスは聞いた。あの火の玉が消えぬうちにその炎を手に入れなければならなかった。「力を貸してくれ」 三度目にワタリガラスが聞いた時、タカはやっと振り向いた。「何をしたらいいの」 「あの炎をとってきて欲しいのだ」 「どうやって?」 ワタリガラスは森の中から一本の枝を運んでくると、それをタカの自慢の嘴に結びつけた。「あの火の玉に近づいたなら、頭を傾けて、枝の先を炎の中に突っ込むのだ」
若者は地上を離れ、ワタリガラスに言われた通りに炎を手に入れると、ものすごい速さで飛び続けた。炎が嘴を焼き、すでに顔まで迫っていて、若者はその熱さに泣き叫んでいたのだ。ワタリガラスは言った。「人々のために苦しむのだ。この世を救うために炎を持ち帰るのだ」 やがて若者の顔は炎に包まれ始めたが、ついに戻ってくると、その炎を、地上へ、崖へ、川の中へ投げ入れた。
その時、すべての動物たち、鳥たち、魚たちはたましいを得て動きだし、森の木々も伸びていった。それがわたしがおまえたちに残したい物語だ。木も、岩も、風も、あらゆるものがたましいをもってわたしたちを見つめている。そのことを忘れるな。」
<愛の多様性3/4>
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