クロッカスの逞しさは、雑草のように、ちょっとした場所に早春の花を届けるところであろうか?緑の余りない場所にも咲く花・・・
愛は意外にこのクロッカスのように、逞しくなければならない存在のようだ。愛を身につけるためには、日々スポーツの訓練のように、柔軟体操をしたり、基本動作の訓練をしなければならない。「愛は訓練」と生き甲斐の心理学の中では言われている。
人と自分の関係をどう自分が見ているか、そんな意識の動きを見つめていると、マルティン・ブーバーの言うように、同じ人でさえ、我と汝(親密なあなた)と我とそれ(疎遠な存在)の二つの関係を日々刻々行き来しているように思う。
そして、恐らく意識しなければ、ずっと我とそれの関係に陥ってしまう。神に祈る時さえ、我とそれになってしまうこともある。
愛を素直に感じること。人を愛すること、そしてゆるすことは意識して行う大切なことのようだ。
今まで、どれほどそのことを理解していたか疑わしい私ではあるが、今回はこの章でじっくり考えていきたい。
<総論1/1>
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