小学校3年生のころであったか、夏の林間学校に行っていた時に、友達とふざけていて、お膳の角に目尻辺りをぶつけた。運よく骨が遮り眼は無事であったが、あたった箇所から血が吹き出た。
引率の先生2人に、タクシーに乗せられ、病院に行った。傷は一針縫い、ペニシリンの注射を打って、安堵しながら宿に戻った。
そのタクシーの中で、二人の先生の間で話されたことを、おぼろげながら覚えている。「・・・安心感があったのでしょうね・・・・」。そして、頷きあう。小学生としては難しい言葉でピント来なかったが、二人の先生はなにか私を褒めていたのが判った。
今となっては、どの場面で自分が安心感を表したのかよく判らないが、褒められたことがこころに響いた。家でも、学校でも大人が二人頷き会って感心されたことが無かったので、その時の言葉は恐怖の経験とともに忘れることが無かった。
人生をとおしていくつか危機が訪れたときに、その処理過程を考えると、運を天に任せて自然体で対応できたことを思う。
発達心理学でエリクソンが世界的に有名であるが、0歳から2歳の「希望」の時期に育まれる、私に基本的信頼感が備わっていて、危機の時に活躍したと考えることもできる。
私は未熟児で生まれ、また当時の戦後の環境も劣悪だったと母に聞いたが、母や祖母はきっと慈しみ育ててくれたのだろう。
忘れていた祖母の墓参りをしなければと思った。
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