古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

志登支石墓群(北九州実地踏査ツアー No.5)

2017年12月14日 | 実地踏査・古代史旅
柏崎遺跡の次は志登支石墓群。
 
大阪人の私は日本で九州にしか存在しない支石墓というものをこれまで見たことがなかったので、この機会に是非とも見ておきたいと思ってルートに組み込んだ。ただ「魏志倭人伝と神功・応神の痕跡を訪ねる」というツアーのテーマからはずれるので、時間が押したときにはパスするのもやむを得ないと思っていたのだけど、桜馬場遺跡をパスしたことで、ここまでほぼ予定通りの時間。

柏崎遺跡からは一般道を走っても1時間かからないので高速(福岡前原道路)を使うつもりはなかったのに、車中での会話が盛り上がっていたからか、いつのまにか高速に入ってしまっていた。カーナビを一般道でセットしたつもりが高速優先になっていたようだ。次の周船寺インターで降りたものの国道を少し引き返すことになり、またこの国道が渋滞だ。時間とカネの無駄遣いがくやしい。渋滞回避のために裏道を走ろうと住宅街へ入り、田んぼ道を走り、なんとか目的地に到着。



日本の支石墓は数個の支石の上に長方形や亀形の天井石を載せる碁盤式の墓で、朝鮮半島南西部で支石墓が最盛期を迎えていた縄文時代晩期に九州北西地域に出現する。主に松浦半島、糸島半島、島原半島など九州北西部に広まったが、弥生時代前期が終わる頃にほぼ終焉を迎えたという。朝鮮半島には世界の半数の支石墓があるといわれている。

志登支石墓群は弥生時代早期~中期と推定される支石墓群である。1953年(昭和28年)の発掘調査によって10基の支石墓と8基の甕棺が確認され、そのうち支石墓4基、甕棺墓8基が調査された。支石墓の天井石には花崗岩や玄武岩を使い、大きいものは長さ約200cm、幅約150cm、厚さ約60cmにも及ぶ。4km先の可也山(かやさん)から運ばれたと推測され、最大のものは5トン以上もある。内部(埋葬施設)は石敷き、石囲い、土壙の三種があり、それぞれ1~3個の支石による碁盤形である。6号支石墓から打製石鏃6点、8号支石墓から磨製石鏃が4点が出土した。また、甕棺墓は単式棺と合口式であった。

糸島市は古くから支石墓の天井石らしい大きな石が水田や畑地に散在して露出するところで、志登支石墓群のほかに新町遺跡、石崎矢風遺跡、長野宮ノ前遺跡、小田支石墓、曲り田遺跡、三雲加賀石遺跡、井田御子守支石墓、石ヶ崎支石墓など多数の支石墓が分布している。


もう少し大きいのかと思っていたけど実際に見ると意外に小さい。それに、支石が地面に埋まってしまってる。
それぞれの天井石の横にある四角い石は「○号墓」と書かれた石標。

支石は時代が下るにつれて低くなり地面に埋もれるようになっていったらしい。朝鮮半島北部の支石墓は碁盤式ではなくテーブル式といって天井石の下で祭祀が可能なものもあったという。
それにしても、この支石墓を現代の墓石に置き換えると、今でも田舎で見られる親族一同の墓地という感じ。ということはやはりこの場所は古代の有力者一族の墓地ということになるのでしょう。

大きな石を上に載せるというのは石で死者の霊を封じ込めるためか、それとも死者の権力を誇示するためだろうか。


むこうに見えるのが可也山。あそこから5トンもの石を運ぶのは大変だったろうなあ。

こうして見るとこの山が神奈備山として祀られたのだろうな。


発掘調査の様子を載せた説明板。



10基の支石墓が確認できたのに調査したのは4基というのは予算の関係か、それともスケジュールの関係か。全部調べれば石器だけでなく青銅器や鉄器が出たかもしれないのに、どうして中途半端なところで止めるんだろう。

朝鮮半島ではほぼ全域に支石墓が分布するものの、この碁盤式というのは半島の南西部に顕著に見られるという。そして碁盤式の支石墓が朝鮮半島の南西部から九州北西部にかけて分布する状況は極めて興味深い。この墓制が朝鮮半島から持ち込まれたものであること、つまりこのあたりには半島からの渡来人が居住していたと考えられる。

また、魏志倭人伝によると、朝鮮半島北部にある帯方郡の使者は半島の西を海岸沿いに船で進んで南端の狗邪韓国に到り、さらに対馬海峡を渡って末蘆国(現在の北松浦半島あたり)に上陸し、その後に伊都国(現在の糸島半島や糸島平野)に到ったとある。倭人伝が書かれた弥生時代後期には支石墓はすでに作られなくなっていたが、その分布と帯方郡からの使者のルートが重なっている。九州北部でこの墓制が見られるようになった縄文晩期あるいは弥生早期にはこのルートが確立されていたことが想定される。

次に行く伊都国歴史博物館の説明。(前回訪問時の写真)


さあ、次の目的地は伊都国歴史博物館。車で20分ほどだ。
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