古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

纏向遺跡訪問記(3)

2016年12月27日 | 番外編
 茅原大墓古墳のあとは今回の目的の一つであったホケノ山古墳から箸墓古墳へ。今回の実地踏査、実はSさんが先に下見をしてくれていたのだが、ホケノ山も箸墓も場所がわかっているSさんは自転車をすっ飛ばして前を行く。遅れて走る私は「檜原神社」を案内する表示を見つけた。崇神天皇のときに宮中から移された天照大神が最初に鎮座した笠縫邑がこの檜原神社であり、元伊勢と呼ばれていることを知っていた私は是非とも参拝したくてOさんとともに自転車を停めてSさんに向かって叫んだ。しかしその声は届かず、Sさんはホケノ山古墳に向かってまっしぐら。残念ではあったけど檜原神社の参拝をあきらめてSさんを追った。

 この山の辺の道は三輪山や竜王山などの山裾を南北に走る道である。大神神社から北に向かって走り、左折してホケノ山古墳へ。すると意外にも下りの傾斜が強くてペダルを漕ぐ力を抜いても勝手に自転車が進む。山の辺の道は思った以上に標高のあるところをつなぐ道だとわかった。カーブを曲がって右折すればすぐにホケノ山古墳だ。ここも茅原大墓古墳と同じく帆立貝型の前方後円墳。前方部から登って後円部の頂上へ。発掘の結果、埋葬施設に特徴があることがわかった古墳だが、当然のことながら埋め戻され、頂上は平らにならされていた。それにしても、あれだけ衝撃的な内容が出たのに埋め戻されたあとは出入りが自由で誰も見張っていないのは不思議に感じた。つまりその場で墳丘を掘り起こしても誰にも咎められないということだ。そんなことはしないけど、掘ってみたい衝動に駆られたのは事実だ。墳丘の上からは箸墓古墳がすぐそこに見えた。


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