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ブログ de 姫リンゴ

ひめまの戯言、次女の雄叫び、

一言多い長男、長女、父の日常です。

最近の次女の様子

2019-08-22 | 自閉症
お久しぶりです。
昨年末のご挨拶以来かと思います。

特に代わり映えのない毎日を過ごしていますが、次女ももう21歳となりました。
備忘録として自分のためにも最近の次女の様子を書いておきたいと思います。

作業所に通い始めて四年目。
仕事や環境にも慣れ、大きな問題、トラブルはなさそうです。
会話が出来る子ではないので、コミュニケーションの面で職員さんたちがあれこれ気にかけてくれますが、
つまらなそうに見えても本人は人の会話を良く聞いてるし、観察もしてる。
それで今の状況を見極めているので、積極性はないけどそれが本人にとっては落ち着く状態です。
一人でいる=つまらなそう、かわいそうとは違うというのを理解してきてくれているので、干渉されすぎてイライラすることもないようです。

病院関係は主に精神科、神経内科、泌尿器科に定期的に通っています。
てんかんは薬を服用してからは大きな発作は出ていません。
小さな欠神発作(一瞬寝ているかのような感じになるが意識はすぐ戻る)は時々出るが、薬をその都度調整して対処しています。
精神内科の先生が転勤で替わってしまったが、公認の先生も丁寧で優しい方だったので、次女もすんなり受け入れてます。

泌尿器科は頻尿のため。
尿の記録というノートがあって、それに一日何回トイレに行ってどれくらいの量が出たかを記録するノートを毎回渡されます。
毎日記録しなくてもいいのでそこまで負担にはなりません。
それを見て先生が判断するのですが、相変わらずの頻尿です。
回数にすると一日少なくて15回、多いと30回近く行きます。
一通り身体面の検査はしていますが、病気があるとか身体面での問題はなく、完全に精神的な問題です。
ですので精神科との連携にもなりますが、泌尿器科の先生はその点も踏まえて本人が辛そうなら薬を処方し、
後は精神科で診てもらってと投げることもありません。
繋がっていることが本人にも親御さんにとって安心感になるだろうからと言って定期的に診てくれています。
その点はとても有り難いです。
精神内科と泌尿器科は大学病院なので発作等で救急搬送された時にも診て貰っているところなので安心できます。

ということで、今の次女はトイレ問題が最重要課題です。
頻尿もそうだがとにかくトイレットペーパーを使いすぎる。
1回1ロールなんて当たり前なので当然トイレが詰まる、最悪溢れるということを毎日のようにやります。
詰まらせるだけならまだいい、頼むから溢れさせるのだけは勘弁してくれ。
これに頭を悩ませ、家族会議を開き先生たちにも相談していろいろ手を尽くしたが全く改善の余地なし。
これはこだわりですね、使い切りたいというこだわり。

ほとほと疲れ果て、以前から何度も試しては玉砕していた、1回ごとに必要分を渡す方法をまた懲りずにやってみることにした。
トイレにペーパーを置かないというのは非常に不便で面倒だし手間です。
1回分のトイレットペーパーのストックを大量に作り、その都度渡します。
何度も試してきた方法だが、隠しておいたストックの場所が見つかってしまい一度に全部使われてしまったり、
あまりの手間にこちらが挫けたりとなかなか上手くいかなかった方法なので、今回もダメ元です。

これを始めて約1ヶ月、一度もトイレ詰まらせてません、溢れてもいません。
ストックを隠さず分かりやすいところに置いておいても全部持って行くこともありません。
なんならトイレにストックを置いておいても全部使ってしまうこともない。
1回分しか持って行かない、使わない。
トイレットペーパーそのものだと全部使っちゃうのに不思議。
でも奇跡!
日中成功しているので、夜間も試してみたらこちらもすんなり上手くいきました。

あの苦労はなんだったのか・・・。

ただし、これは家でだけです。
外出先や他所の家ではダメです、詰まらせます。
あればやっぱり使いすぎてしまうので根本的な解決とまでは至っていないが、家で出来ているという成功は大きな成長です。
油断できないところはあるが、完全にこの方法が身についたので家では安心していられます。
作業所でも詰まらせていたが、職員さんたちが必要に応じて声かけや付き添いをしてくれるので今は大丈夫とのことです。
頻尿は変わらずです。
これはこだわりというより強迫観念なのでゆっくり取り組んでいくしかないでしょう。

トイレ問題は一部解決といった感じだが新たに問題を生み出すのが次女。
今度は生理用品の使いすぎ。
これは衛生面のこともあるので一概にダメとは言い難いです。
普段は下着が汚れないようにおりものシート、生理中はナプキンという一般的な使用方法だが、
トイレに行くたびに取り替えます。
前は汚れたら替えるというように適切に使っていたが、ここ数ヶ月は毎回取り替えます。
頻尿なのでその度替えるともの凄い量になるわけです。
全然汚れてなくても替えるので毎回じゃなくて汚れたときでいいよと言っても聞きません。
しかし、先ほども書いたが衛生面のことを考えると間違っているとも言い難い。
清潔に保っていると思えば正しいし、全く替えないよりはずっといい。
なのでこれは家計には痛いが問題というとちょっと違うのかな。

ここまで書いて気づきました。
次女の問題点を探している自分に。
全然ないことはないが、自分にとってはそれほど問題と捉えてないのかなと。
次女が成長しているのか、自分の意識が変わってきたのか、良くわからないが捉え方は少し変化してきているのかもしれません。

久しぶりなのに書き始めると長いな笑
もう少し更新頻度をあげないと。



その後

2018-08-01 | 自閉症
先週怪我をした次女。
その原因について説明をしたいとのことで昨日迎えに行った際、短い時間でしたが面談のような形で説明を受けてきました。

結論から言うとやはり次女が怪我をしたのは送迎車内の可能性が非常に高く、加害者も予想通りAでした。
可能性が高くと断定していないのは現場を見た人(職員)がいないため。
しかし会話できる利用者さんが多いため、聞き取りをしたらそういう目撃証言が数人から出てきたことが裏付けになったそうです。
そして次女にも兆候があったようで、就業時間が終わるとすぐロッカーへ行き荷物を取り、すぐ送迎車に乗り込むのだそう。
いつも一番に乗り込んで待っているらしい。
その次女がなぜか玄関のロビーの椅子に座ったままいつになっても動かない。
誰か職員にそこで待っていてと言われたのかと思い、次女の担当職員が確認しても誰もそんな指示はしていない。
おかしいな・・・と思いつつ送迎車に乗ってくださいと声かけすると素直に乗り込んだので、それほど気にはしなかったよう。

今思うとその時点でおかしかったんです、サインを出していたのかもしれないと担当職員さんが言っていたとおり、その日の送迎車で怪我をしました。
様子がおかしかったこともあって次女を気にしていたので作業所を出る前の段階でもし怪我をしていたのなら、
あれほどの怪我なら気づかないはずないし、玄関ロビーには複数人の職員がいたから誰も怪我に気づかないのは有り得ないと。
なのでその後の送迎車内での怪我の可能性が高いと言う見解です。

その後の対処ですが、怪我があった次の日から次女の座る場所が変わりました。
運転手席の真後ろの席に移動、加害者Aは一番後ろに移動。

運転手
次女




と言う並びになったので手を出せないし、出したとしても運転手が気づく位置になりました。

加害者Aの保護者に他の利用者及び職員数名に怪我をさせる暴力行為があることを知らせています。
被害者の名前は伝えてないがそれでいいと思います。
誰にやったかが問題ではなく、どうしてやったかが問題なので。
作業所側はきちんと対応してくれていて作業所内では加害者Aに職員がマンツーで付くことになったそうです。
加害者側の対処は当分の間、親が送迎し送迎車には乗らないことになったとのことです。
今できることと言ったらこれしかないだろうし、それが一番手っ取り早いでしょう。
これ以上のことは求めていないので充分です。

しかし。
私がこの説明を受けたのは昨日。
時間は就業時間が終わる15:30の5分前、つまり15:25に迎えに行き、その時に説明を受けました。実質15分ほどでした。
説明が終わったときには15:40過ぎ、他の利用者さんは送迎バスや車、公共交通機関でほとんどが帰った後でした。
次女は他の職員さんと一緒にロビーで待っていました。
そこになぜか加害者Aもマンツー職員と一緒にいる。
就業時間の終わり、つまりはお迎えの時間なのにまだ迎えに来てないの?
事が事でこうなっているのにまだ来てないの?
口にはしなかったが元々時間にルーズな人なのでそんなもんかとさっさと次女連れて帰りました。
それから10分ほど車で走っていると途中で加害者Aの親とすれ違いました。15:50です。
そこから作業所までは10分ほどかかるので作業所に着くのは16:00。
30分の遅刻、というかこれじゃ延長預かりじゃないか。
反省も危機感も無いのか・・・。

これは私の想像でしかないが、今回のことで親は朝も帰りも送迎という手間が増えたことになる。
そのことを危機感として捉えるのではなく、こいつのせいで面倒なことが増えた!と捉えていたとしたら悪循環だなと思った。
親がもしこのことでAに当たっていたら状況は改善どころか悪化する。
家で怒られたことを引きずって作業所で泣いたり暴れたりするのを何度か見ているので、そうなると厄介。
でもここからは私は踏み込むところではないのでノータッチです。
次女に矛先が向かなければそれでいいので。


イエローカード

2018-07-29 | 自閉症
先日次女を迎えに行った際、送迎車から降りてきた次女の二の腕に大きな痣とえぐったような傷がある。
送迎車の職員さんにこれはなにか?と尋ねると全く痣や傷に気づいていなかったようで、作業所に戻り次第他の職員にも話を聞いて連絡しますとのこと。
猛暑が続いていたし時季的にこの傷は化膿しそうだなと思い、病院へ連れて行くことはその場で職員さんに伝えました。

痣や傷くらいで大袈裟かなと思いつつ、そのまま病院へ連れて行き診てもらうと、故意に叩かれたり殴られたりしたことで出来た痣と恐らく爪などで思い切りえぐった傷だろうとのことでした。
同時についた痣と傷ではなく二度危害を加えられている可能性が高いと。
自分でどこかにぶつけた可能性もなくはないが、その場合こういう傷にはならないだろうとの見解。
痣は痛々しいが時間が経てば薄くなっていくが傷はえぐられていて深さもあるので治るまでに時間がかかるかもしれないし、跡が残るかもしれない。
化膿するといけないので抗生物質の服用と外用薬を処方されました。

これまでも何度か痣を作ってきたことはあります。
ただ本人に聞いても分からないし答えないし、作業所側へ聞いても他害を受けていることはないと思うと言われるので、
自傷も捨てきれず真相は分からず。
自傷の可能性は0とは言えないから朝には無かった痣が帰宅したら出来てましたという報告は作業所側にするが、誰がやったんだ!と問い詰めたいわけではなかった。あくまで報告。

しかし今回は本人が痛いと言うんです。
薬を塗るため傷に触ろうとするとビクッとし「痛い、痛い」と言う。
触られるのをもの凄く嫌がるので薬を塗るのは傷の手当てだけですぐ終わるからと説得しないと触らせない。
こんなに痛がるのは初めてだ。

作業所からは全職員に話を聞いたが現場を見た者はいないと報告がありました。
しかし傷が深いため引き続き調査すること、事故報告として傷の写真を撮らせて欲しい旨の話がありました。

傷が半袖から見えるので(ガーゼをしてます)、翌日同じ送迎車乗り場の利用者さんとそのお父さんにどうしたの?と聞かれ、
事情を話すとお父さんが「お前ちょっと脇腹見せてみろ」と利用者さんに言い、その利用者さんが脇腹を見せてくれたのだが大きな痣がある。
おまけにおでこにはたんこぶと小さな傷もある。
どうしたんですか?と聞いたら前から突き飛ばされたり叩かれたりする利用者さんにやられたそう。
その報告も作業所からあったようです。
話をしているうちに次女と同じ送迎車乗り場の利用者さんが怪我をしたのは同じ日ということが判明。
私は知らなかったがその日に同様の怪我をした利用者さんは他にも数人いたとのこと。
加害者は同一人物でその人は帰りの車で次女の後ろに座っています。
恐らく帰りの車の中でやられたのだろうとお父さんに言われました。
それなら作業所の職員さんが誰一人現場を見ていなかったとしても納得がいく。
バスではなくワンボックスカーで添乗員はおらず職員が運転手をしているので、後部座席でなにかあっても分からないし気づけないだろう。
気づけてもその場で止めることは不可能。

その加害者というのは小さい頃から知っているAという子。
勿論親もよく知っているし仲はいい方です。
昔から知っているだけでわたしはそのAの特性を完全に理解できているわけではありません。
次女と同じ自閉症で知的障害もあるが当然ながら次女とは違うから、次女に対処出来てもAやその他の自閉症の人に対処出来るわけではない。
ただなぜか懐かれていて私だけではなく長女に甘えることもある。
ただ懐かれるだけならどうってことないが、ここ数年は懐く、甘えるのレベルではなく突き飛ばされる、しつこく追い回される等の行為が激しいので、作業所内なら職員さんに、それ以外なら親にそういう行為はやめてくれと伝えています。
作業所のことは作業所で対処してくれればいいが、問題は親。
なにかあると「障害があるんだから仕方ない」
これ言ったら終わりだよ。
仕方ない部分もあるのは分かるが、対処はするべき。
すぐに解決できなくても改善できなくても何もしないのが得策だとは私は思わない。

今回なぜタイトルがイエローカードなのかと言うと、作業所側から今回の案件について今週中に分かったことを報告しますと言われていること。
その際私が求めたのはあったことを隠蔽せずに伝えてくれと願い出たこと。
加害者側に文句や苦情を言いたいのでは無く誰にやられたのかを明確にしたいのと、加害者に手を出されないように生活するのではなく、
手を出さないように指導したり対処するのは作業所と保護者。根本的解決には加害者側の保護者と作業所の連携は絶対だから。
私が危惧しているのはこの問題に限らず事が起きたときに作業所内だけで問題を解決しようとしないで欲しいのです。
学校でもそうだが何かあったときに事の事実だけ伝えられ、誰にやられたとは言わないし、やった方にも誰にやったかを伝えません。
保護者同士の揉め事になるのを避けるためだとは思うが、自分が加害者の立場なら辛くても知るべきだと私は思ってます。
実際頭下げまくっていた時期がありました、毎日毎日謝ってばかりいました。
しかし隠されると何も分からない。
何も言われないから問題ないと思ってしまう、知らないならそう思うのは当然。
これでは問題の解決にはならないので加害者側にきちんと伝えてほしいとも言いました。
私に出来るのはここまででしょう。
後の対処は任せます、今回は。
今回は、というのがイエローカードの意味です。
然るべき対処をしないのであれば次は無いぞと言うことです。
被害者が多いので対処せざるを得ないと思います。

本当ははらわた煮えかえるほど怒ってます。
多分傷は残るでしょう、それほど深いです。
大事な娘を傷つけられ怒らない親がどこにいる。
私は直接話をしているためかどこかまだ冷静でいられるが、他の家族が暴走しそうなくらい怒りまくってそちらを抑える方が大変です。
抑える必要ないと思うが、冷静さを欠くといいこと無いと思うので今は抑えてます。







お金

2018-05-10 | 自閉症
いきなり生々しいタイトルです。
次女の通っている作業所の工賃や月々の給食費、旅行積立金、余暇活動費用等は現金手渡し及び集金です。
入所前にそのことについて説明があったので特に問題はありません。

今年で3年目に入るが保護者会の時に作業所側からこんな提案がありました。
「現金のやり取りは極力避けるようにと行政から指導が入ったので、工賃を除くこちらへの支払いは集金ではなく振り込みにしたい」
賛成です。
正直毎月お釣りの無いように現金を用意するの面倒だし、お金の価値が全く分からない次女に現金を持たせるのも不安だったし。
しかし他の保護者からは意見が出た。
「だったら振り込みじゃ無くて口座引き落としにして欲しい」
ごもっともですね。
これに対する作業所側に返答は「検討します」でした。

検討から実行までは話が早くて、現金集金、振り込み、口座引き落としが選べるようになりました。
極力振り込みか引き落とし推奨で。
次女は引き落としにしました、振り込みでもいいんだけどね、ネットバンキングで家で出来るし。

振り込みの話が出たときに意見を求められたので要望を出しました。
「現金のやりとりをしたくないというのなら工賃も振り込みにして欲しい」と。
毎月工賃をもらってくるがお金に全く関心が無いのでテーブルの上にポンと封筒を置きっぱなし。
これを次女の口座にわざわざ入金しに行くのが面倒なのです。
次女の口座に入金してくれれば楽なのに。

これに対する作業所側に返答は、
「うーん・・・。検討しますが現金手渡しが嬉しい利用者さんが多いんですよねえ」
他の保護者の方々も、
「うちの子は現金で貰うことが楽しみなのよ」と口々に言う。
分かってる、分かってるよ、そんなこと。
だから選べるようにすればいいいじゃない。
現金で貰うのが喜びなら手渡しで、次女のように関心ない子なら振り込みと選べればいいと思う。

この手応えの無さからまあ無理だろうなと思っていたら、振り込みに対応しますとお知らせが来た。
現金のやり取りを避けるが根源にあるから希望者には対応しますという対処になったらしい。
次女に関するお金を一つの口座で一括管理したかったので、現金のやり取りが無くなるのは有り難い。

今時現金手渡しの方が珍しいんだと思う。
学校だって現金での集金はしませんよね、昔は集金が当たり前だったけど。
小さいことかもしれないが改善されて善かったと思います。
事務担当者が変わってから仕事が早いというかフットワークが軽いというか、事務関係のことがもの凄く円滑になって助かってます。

20歳、そして年金 まとめ

2018-04-23 | 自閉症
まとめます。

・年金担当者には当たり外れがある。

 我が家は当たりでした。外れの場合は言いにくいがチェンジできます。
 数回お付き合いすることになるので合わないなと思ったら変わって貰った方がいいです。

・先輩お母さんの助言は聞くべし。

 経験者の言っていることは間違ったことは言っていませんので、聞いて損することはないです。
 中には全く参考にならないアドバイスをする人もいるので見極める力も必要です。

・勉強会とかあったら参加してみる。

 先輩お母さんの助言と被ることもあるが、事細かくレクチャーしてくれるので1回は参加してみるといいと思う。
 私は定期的に勉強会を開催してくれる相談事業所からの招待で参加し、本文中に出てくる先輩お母さんから参考資料をいただきました。

・横よりも縦。

 これは私の場合に限った話かもしれませんが、同学年のお母さんたちと年金申請についての情報交換はほとんどしてません。
 次女は1月生まれなのでそれ以前に生まれたお子さんはとっくに申請し結果も出ているケースが多いのだが、お金が絡むからかそこについて
 触れないことが多いなと感じました。触れないのでこちらからも聞きづらくてアドバイスはもっぱら先輩お母さんに聞いてました。

・その書類、今捨てないで!

 思わぬ物が役に立つので、スペースが許すなら子どもに関する物は些細な書類でも保存しておくのが吉。
 小学部~高等部までの毎日の連絡帳は日々の記録なのでかなり使えます。忘れてることも多々あったがこれのおかげで思い出せた。
 アプリに記録しておくのもいいと思う。手帳代わりに使っているアプリのスケジュール管理は役立ちました。

・申請するまでのスケジュールを大まかに立てる。

 焦る必要はないが1回では申請は終わりません。数回通うことになるので年金担当者とスケジュールを立てた方がスムーズ。
 誕生日の3ヶ月前くらいから心積もりしておくといいかもしれません。

・申立書は細かすぎるくらい詳細に。

 事細かに記して削られることはまずないです。年金担当者から最初に詳細に書いてくださいとレクチャーされます。
 大変だった→誰が、いつ、どう大変で、どのように対処しどうなったか、といった具合に詳細に書きます。
 要するにその大変さが他人に伝わらなければ分からないので詳細に書く必要があるということです。

・申立書は規定用紙以外に添付資料としてパソコンや手書きで製作した物を提出できる。

 私はこの方法を用いました。規定の用紙だと下書きをチェックして貰ってから清書になるが、間違えたら訂正印などで訂正しなければいけない 
 ので、規定用紙の方には「添付資料1を参照」と記載し詳細は添付資料をPCで作りました。これだと修正も簡単。
 規定用紙の区切りは「生まれてから診断まで」「幼少期」「小学校の時」「中学校の時」「高校の時」「現在」といった具合に区切られているの
 だが、詳細に書いていくとそんな枠ではとても収まらないので、私は「生まれてから診断まで」それ以降は1~3年区切りで項目を作りました。
 添付資料だけでA4用紙4枚分になりました。区切りはお子さんの病歴等に合わせてどこで区切るか決めていけばいいです。決まりはありません。 
 これは参考資料をくれた先輩お母さんのアドバイスです。
 この申立書を一番最初に作っておくと診断書を書いて貰うときに参考資料として渡すことが出来るのでスムーズにいくと思います。
 受け取ってくれない医師もいるそうなのでその当たりは普段からの関係性を鑑みて判断が必要かと思います。


こういう書類の書き方というか要点の掴み方というのはコツがあると常々思っていて、
いかに他人に対して自分の子を客観的に伝えられるかが重要な所で難しい所でもある。
そして親が出来ると思っていることは本当に出来ているのか?と親フィルターを取っ払って無の状態で見なければならない。
例えば食事は一人で取れますか?という質問に一人で食べることが出来れば、はいと答えます。
しかし、この場合の食事の意味は一人で食材をスーパーに買いに行き、一人で調理し、介助無く食べて片付けることが出来るか?という意味です。
そうなると答えはノーですね。
介助無く食べることは出来るが買い物や調理が無理ならそれは出来ることにはならない。

出来るけど出来ない。ここまで出来るようになったと喜んでいたことはほんの一部にしか過ぎず、出来る認定はされないし、うちの子は出来ます!と押し通すことはその子を苦しめることにもなるので、そこはもう割り切るしかない。
一部は出来るけどそれは出来ることにならないと言うのは親にとっては辛いこと。
その一部でさえ何年もかかってようやくできるようになったのに、それは出来ると言えないなんて切ないです。
就労、年金等これから先生きていくために必要な申請はいくつかあるけれど、18年親子で頑張ってきたことに白か黒かの判断をしなくてはいけない作業は苦行。出来ません、出来ないですと言うしかないことに私もそうだが虚無感に襲われてしまう親御さんは本当に多い。

2ヶ月強かかりましたが、とりあえず大きな申請は終えたのでホッとしています。

20歳、そして年金 結果

2018-04-23 | 自閉症
前編からここまで2ヶ月以上かかって書いてます。
書いてアップするまでに結果が出てしまうとは思いもしませんでした。さっさと書けって話ですよ、全く。

年金申請を提出したのが2月初旬。
結果が出るまで3ヶ月ほどかかると言われました。
そんなにかかるの?
何でこういった申請ってこんなに時間かかるんでしょうね。
申請する人と審査する人たちの分母と分子の数が恐らく桁違いに合わないんだから時間がかかるのは当然と言えば当然なんだけど、
人間自分本位で生きてますから一人の審査にどれだけかかるんだーっ!!と思ってしまいがち。
そういう人が日本中にたくさんいるわけだから時間かかるわな、そりゃ。

日数的にはほぼジャスト2ヶ月で結果が出ました。これは早かったほうでは無かろうか。
結果はと言うと、1級でした。
年金証書という物が届くのだが、それ見て「え?1級?!」と驚いた。
受給不認可はないかな、2級かなと思っていたので。

でも申請の書類を書いていて思ったが、次女ってこんなに重かったんだ、大変だったんだと思い出しました。
よくここまでこれたな、今の自分がその当時に戻ったら同じ事が出来るだろうか、いや無理かもと思ったくらい。
今でも大変な部分は多々あるけど対処出来るようになってきたというか、慣れたというか、小さかった頃よりはなんとかなってる気がしてるのは事実。
無知は罪というが無知だからこそ出来ていたのかもしれない。
何も分からないから知ろうとする、探る。
無知は怖い物知らずとも言えると思う。
怖い物が何か分からないから突き進める。
後々恐ろしいことしてたことに気づきゾッとするけど、その時は分からない。
自分の引き出しを増やして中身を詰め込まないとダメな気がして必死だった。

実は年金申請と同時に障害区分の再判定もしていました。
次女が高3の時に初めて判定したがその時は1~6まである区分の内の3でした。
1が軽度、6が重度なので軽度の分類になります。
就労B型で入所するには3以上あればOKなのだが、施設入所は4からなので判定が出た時点で不服申し立てをしました。
が、当時の福祉課の担当者は今再判定しても状況が変わらないので判定が変わることは無いと思う。
しかしどう見ても判定が軽すぎるから再判定には賛成なので、就労してしばらくして今までの生活が一変した状態で再判定した方が結果が変わると思うとアドバイスを受けていました。
その時から1年半以上経過しているのとてんかんも発症したこともあり、年金の申請もするしタイミング的に今かなと再判定を受けました。
その結果がまさかの5。
4くらいにはなるかなと思っていたが、3から5になるとは思ってもいなかった。

この時にも再判定を望んだくせに5という判定にやはり重かったか・・・と再認識することになった。
そして今回の年金1級判定はさらにお墨付きを貰ったようでズシンと響きました。
これは次女が生きていくために必要な申請。
結果的に正当に認定されたと思います。
モヤモヤするのはそれが私自身に対する評価だと思ってしまうからでしょうね。違うのに。
そこを分かってないから勝手に辛くなるということに最近気づきました。
これだけ判定を突きつけられればバカな私でもいい加減気づきます。
それに気づけたら改めて腹をくくることが出来たように思う。
そういった部分で今回の申請は昔を思い出させてくれたし、これからの糧にもなったと思う。



20歳、そして年金 後編

2018-04-23 | 自閉症
次女が通院している精神科は主治医が週に一度来るタイプの病院です。
もう少し詳しく言うと成人の精神疾患が主で児童精神は週に一度決まった曜日という感じ。
その病院に次女は17歳から通い始めたので児童精神で受診ということになり成人した今もその主治医が診てくれています。
今後どのタイミングで成人の方に切り替わるのかは分からないのだが、成人してからも継続できるというのはメリットかなと思う。
児童から成人に切り替わるときに病院迷子になる人もいるので。
この病院に転院したきっかけは次女が通っていた特支の養護教員からの紹介と、私以外の人が付き添うことになっても通いやすいところをぼんやりと考えていたから。
転院したときに次女のこれまでの病歴などを説明し年金申請も考えているのでその診断書の作成を頼めるかの確認もしました。
これが最大の目的だったので二つ返事で了承してもらえたので安心して転院できました。

ちょうど診察日が数日後だったので診察の際に年金申請の診断書作成をお願いしました。
その時に私が用意したのは次女が産まれたから現在までの病歴と生育歴をまとめたもの。
17歳からの次女からしか分からないはずなのでそれまでの記録を書類にして渡しました。
この書類は年金申請の時に非常に重要となる「病歴・就労状況申立書」に則って書きました。
これをまとめるにあたって必要となるのがこれまでの病歴・生育歴を証明するものです。
私は次女の障害が判明する少し前、確か2歳くらいの時からHPをやっていてそこに日記として病院などにかかった時には記録するようにしていました。
HPからブログに変わってからも何かあると記録していたのでこれが大いに役立ちました。
(アップしてないものも下書きとして消していなかった)
抜けている部分もあったが、そこは次女が産まれる前からの手帳や、幼稚園~特支卒業までの学校との毎日のやり取りの記録である連絡帳をすべて保存していたので、その時次女の様子がどうだったか、なにが問題だったか、どう対処したかなど詳細に書いてありました。
手帳はいつどの病院に何の目的で行ったかが書いてあったので、記録する上で時系列を追うことが出来ました。

先輩お母さんや学校の先生たちからは「今までの病歴等を詳細にまとめておけ、痛い目に遭うぞ」と脅されていたが、これらのおかげでこの部分は本当に苦労知らずで済みました。
段ボール箱にまとめて入れていただけでも本当に助かった。無意識にだったが捨てずに取って置いた自分を褒めたい。
ただ単に捨て時が分からなくて溜め込んでしまっただけだが・・・。

この病歴等を参考に医師に提出することは可能だが、こう書いてくれと頼むことはダメです。
分かっている医者ならこう書けば申請に通りやすいというのは理解しているので指示など必要ないのだが、分かってない医者だと軽く書いてしまって申請が通らないことも起こりうるので、重く書いて欲しいと頼みたくなる気持ちは分かるがやはりこれはダメだと思う。
ただし参考資料として病歴等をまとめたものを提出することは認められています。
次女の主治医は快く「非常に助かります」と言って受け取ってくれました。
17歳以前の次女を知らないので当然ですね。

この参考資料の知恵を授けてくれたのは先輩お母さんの一人。
昨年の夏頃にお会いした際に年金申請の助言を求めたら、自分が提出した書類一式を見せてくれました。
コピー取ってあるから個人情報が気にならないならあげるよと言ってくれて、有り難く頂戴しました。
とても分かりやすくまとめられていて、こう書けばいいんだというお手本になりました。

医師の診断書はすぐ出来上がりました。
が、誤算が・・・。
封緘印をした状態だったので年金課の担当者に渡すまで中身を確かめることはしなかったのだが、担当者に診断書を確認して貰ったら、
2~3ヶ所訂正部分があることが判明。
ここでちょっと難しいというかややこしかったのは、次女のてんかん。
年金申請をする際の診断書を知的で取るか精神で取るか、または両方で取るかで担当者が悩んでました。
知的はある、てんかんも発症しているとなると両方で診断書が書けます。
しかしこの発症日が微妙で病歴に出来るのは発症してから一年半経たないと認められないこと。
次女の場合この一年半と言う期間に2ヶ月ほど足りないため、結果的には知的でのみでしか申請は出来ないことになったのだが、
てんかんがあるということは記載してもよいという定義があるので、そのあたりの書き方がとてもデリケート。
分かりやすく言うと診断書の表側でてんかんについて触れたら裏側もてんかんについての記載をしなくてはいけません。
どちらかだけでは通らない。
そして全ての書類についても同様に書かなくてはいけないが、病歴期間に達していないので書いたところでてんかんについては無効となってしまう。
なのでてんかんにはサラッと触れつつも深くは書かない(書けない)という面倒な書き方をしなければいけなくなりました。
入院したことなどは書けるがそれは病歴として扱われず生育歴の一つとしてしか有効にならないのです。
その書き方に微妙な部分が生じたため数ヶ所訂正を余儀なくされました。

てんかんに限らず年金申請の少し前に病気等を発症した方は病歴認定1年半のルールがあることを念頭に置いてください。
勿論1年半経てば申請は可能です。
次女の場合は今回の申請で年金受給不認可、もしくは2級の判定だった時はてんかん病歴認定1年半を待って、精神での申請をする流れになってます。
1級でも2級でも認定されればどちらでもいいのだが、親がいなくなった後のことを考えるともらえるお金が多いに越したことはないのが正直なところ。2級判定が出た時はもう一度チャンスがあると思って精神での申請をします。
不服がある場合も再判定は出来るが障害年金の認定は年々厳しくなっているのでよほどのことが無いと覆らないようです。
この訂正が無ければ誕生日前日からの申請が可能となったのだが、週一しか来ない主治医のため、すぐに訂正印をもらうことが出来ず、2週間後に受け取ることが出来ました。

さらに唯一今回の申請で面倒だなと思ったのは「受診状況等証明書」
これは障害があると診断された病院で貰わないといけない初診を証明する書類なのだが、電話で問い合わせて確認できれば郵送でOKという病院もあれば、予約を取って来院してくださいと言ってくる病院もあります。大体は後者だと思います、個人情報のため直接で無いとダメなようです。
次女の証明書を貰うときは本人も同席することが求められたため作業所を休ませていきました。
都内でも混む事で有名な病院だったので証明書の為の予約でも1ヶ月半先が最短。
現在の次女の様子を診て証明書を書いて貰いましたが、これが一番時間がかかって面倒でした。
結局誕生日から2週間後の2月初旬に申請は完了しました。

20歳、そして年金 前編

2018-04-23 | 自閉症
ご無沙汰しております。

1月に次女が20歳になりました。
中身は贔屓目に見て5歳児ですが時の流れは残酷な物で成人という現実を突きつけられました。
20歳、成人、おめでたいことなのに障害児から障害者へ変わった事実の重さを感じています。

障害者+20歳=障害基礎年金の申請が必須になります。
貰いたくなれば申請しなくていいんですけど、収入がほとんどない障害者は生きていくために必要な申請だと思うので、障害年金(こう表記します)に関しては特別支援学校でも小学部の時から毎年必須科目のように講習会がありました。

とはいえ小学部の内は「まだ先の話だし~」と呑気なもの。
就労に関しても小学部では先が全く見えない状態なのでこれは致し方ないことだと思うが、とりあえず毎年講習会には参加してました。
それに加え制度が毎年のように変わったりするので今教えて貰ったことが通用しなくなることが往々にして起きるため、高等部に卒業間際になってからでいいやと捉える親御さんも大勢居ます。
実際私も小・中学部の時は参考程度に聞いてました。

学校側もそれは重々承知していて高等部3年になるといよいよ卒業後2年足らずで申請できるようになるため、講習会の時間を多く割き、必ず参加するようにと保護者だけでなく生徒にも指導します。
卒業後は一人一人に「そろそろ申請の時期だから書類を揃えてね、診断書書いて貰ってね」なんて指導はできないですから、在学中にしつこいくらいにレクチャーします。

その時に教員及び年金担当の方々に懇々と言われるのが、
1、診断書を書いて貰える医師や病院を確保すること
2、今まで罹った病歴や初診日などを記録を詳細にまとめておくこと
この二つは先輩お母さん方からも申請の時期が来る前にそれだけはやっておけと言われてました。

やっておけと散々言われていましたがやってませんでした。
正直面倒だったからと申請の時期が同学年の子より遅いため(次女は1月生まれ)実感が全くなかったため。
ちなみに年金課への相談は誕生日の3ヶ月前から出来ますが申請は誕生日の前日からしか出来ません。

我が家が申請の為に動き出したのは11月下旬、年金課へ相談に行くところから始まりました。
障害年金の申請をしたいと申し出るとその時に担当した年金課の職員の方が担当となり、
申請が終わるまで面倒を見てくれます。(住んでるところの自治体によって違うかもしれない)
書類は何が必要か、いつから何をすればいいのか事細かくまとめてくれて指導してくれます。
まず私がやらなくてはいけないのは医師の診断書をもらうこと。
そして今までの病歴と初診からの診察日、次女のこれまでの経緯を明確に記した受診歴申立書と病歴・就労状況申立書を作成すること。

診断書はかかりつけ医がいるためクリア。
問題は受診歴申立書と病歴・就労状況申立書の作成。
そうです、ここで教員、年金課職員、先輩お母さん方の「まとめておけ!」の重大さに今更ながら気づき震えることになります。
なんで震えるのかというとその細かさ。
診察日は○年○月ではダメ、○年○月○日と日にちまで明記し、さらにそれを証明しなくてはいけない。
日記付けてる方ならそれが使えます。
それでなければ記憶を辿るしかないのだが、それが非常に困難を極めるのは目に見えてる。
そして初診日が非常に大事で初めてその障害で医者にかかった日を証明するためにその病院で初診証明書を書いて貰わなければならない。
ここまで話を聞いて「なんでそんなに細かく書かなきゃいけないのよ・・・」と思わず漏らしてしまったら、年金課の担当者は「大変なんですがそれがないと申請できないし、どうしても分からなかったら分からないことを書いた書類を提出すればいいんですけど、審査に響く可能性は大きいです」と。
そうよね、人様が払ってくれている税金を使わせてもらうのだから審査が厳しいのは障害者といえども当然だ。

ということで年金申請のために約1ヶ月の記録を書いていきます。
後編へ続く。

経過

2017-10-01 | 自閉症
退院して10日ほど経ち、今のところ痙攣発作も出ていません。
抗痙攣薬を服用しているからではあるが、その薬による効き目や副作用の様子をみています。

今現在出ている副作用は、眠気、倦怠感(ボーッとする)、イライラです。
眠気やボーッとする感じは割と様々な薬の副作用として一般的にあるものなのでこれは仕方が無いと割り切れる。
日常生活でそれがどの程度支障となるかで減薬や違う薬へ変えることも検討すべきだと思うが、
私の自己判断だとこの程度はOKなんじゃないかと思うレベル。

気になるのはイライラ。
これは服薬を始めてから顕著に見られる明らかな副作用。
イライラすることは誰にでもあるがこの副作用はそのレベルを超えていて攻撃的になります。
全員にこの副作用が出るわけでは無いが次女には出た。
普段からそう怒ることはないし怒っても人にあたるなんてことは無かった次女がイラッとした瞬間殴ってきます。
しかしどこか冷静なところも有り私には絶対手を上げない。
拳は握っているが堪えてます、他人に怒りが行くこともない。
その怒りの矛先はなぜか全て長女へ向かう、他の家族には行かず長女だけ。

例えは悪いが犬で言うところの順位付けでしょう。
自分より格下だと思っているので何をやってもいいと思ってる。
これは次女に何されても怒らない長女も悪い。
私を殴って気が済むなら殴れという一見男前な感じもするがそうじゃないだろう。
優しいのと甘いのは違う、ダメなものはダメだ、と次女は私にガツンと叱られることになります。

副作用として厄介だと思うのでこの薬の副作用を調べてみたら軽い~重いまで副作用が分かれていて、
攻撃性は重篤な分類に属していました。
今月中旬に退院後の経過や薬の調整のため病院へ行くことになっているが、これは報告しないといけない案件。
薬の副作用で攻撃性が出る(増す)なんて初めて知りました。

作業所も9月いっぱい休み、復帰をいつにしようかと思っていたが週末簡単な面談をし、
経過の説明、配慮してもらいたい所などを伝え10月から復帰することになりました。
配慮と言ってもそれほどなく、発作がいつ起きるのか分からないので怪我防止のため椅子は丸椅子などではなく、
肘掛けの付いたものに変えて欲しいとお願いしただけ。快く了承してもらえました。ありがたい。
職員も常に側に居る状態なので攻撃的になっていることは伝えて何かあったらすぐ対処出来る状態にはなっています。
警戒しすぎな気もするが薬の調整が終わっていない段階だし、調整がいつ終えて薬が定まるか全く分からないので、
来月ある今年の一泊旅行は不参加にしました。

薬の飲み忘れは今のところありません。
お薬カレンダーを購入予定だったがやめました。
と言うのも、どういうわけか「私が作る!」と言い、いそいそと次女がこれを作ったから。

飲み忘れが無いようにするチェックシートだそう。
日付は自由に入れられどの月でも対応できるようにしてある。
次女のためだと本当になんでもするな、お前。

抗痙攣薬が入っていた薬袋の裏側に服薬チェック表というのが付いていて(しわくちゃですみません)

これをヒントに作ったらしい。
助かるよ、ありがとう。

ちなみに月曜始まりなのは私がそうして欲しいと言ったから。
週の始まりは日曜からだがどうも昔からそれに馴染めないので、カレンダー物は月曜始まりがマスト。

確定

2017-09-22 | 自閉症
昨日全ての検査が終わりその日のうちに退院できました。
脳波検査待ち、抗痙攣薬の効果と副作用の出具合を確認するための入院でしたが、
脳波の結果は異常波が出ているとのことでした。
脳波検査で異常が出たのは初めて。
2回目の発作、脳波の異常波、この二つで充分てんかんの診断基準に当て嵌まるのでてんかん確定しました。

今のところ発作の頻度は頻発とは言えないものの、これからは抗痙攣薬をずっと飲まなくてはいけません。
処方されたのはイーケプラという抗痙攣薬。比較的新しい薬だそうです。
初日は点滴で、翌日からは経口薬での投与になっていますが、とにかく眠気が凄い。
酷いときは服用して30分くらいでウトウトし始めて午前中ずっと寝たり起きたりの状態。
眠気と皮膚の発疹という副作用は聞いていたので分かってはいたがこれほど眠くなるのかと驚くくらい。
これだと職場復帰したときに仕事にならないと思う。

主治医とそのあたりも話をしましたが、しばらくはこのままで様子を見て欲しいという。
薬に対する慣れというか副作用に対する身体の慣れというか、そういった抗体のようなものが身体に出来上がるまで少し時間が必要だそう。
少し様子を見てそれでも副作用が強く日常生活に差し障りがあると場合は、私の判断で薬を半減して良いとのこと。
これは1ヶ月後に再診するまでの対処法として提案されました。
半減することで発作が起きるリスクより生活がままならない状態の方が苦痛だろうから半減はOKだが、勝手に服用を中止することだけはしないでくれと言われています。
服薬しても発作が起きる、副作用が強すぎる場合は薬の量の調整及び別の薬に変えることになります。

毎日朝と夜に服用しなくてはいけないので飲み忘れがないように気をつけなくては。
私も毎朝服用する薬があるので朝は覚えてそうだが夜はうっかりしそうだなと思ったので、
これを購入することにしました。
一週間タイプもあるが日付が入っている方が確実かなと思うのでこっちにした。

退院して自宅に帰ってきた次女はニコニコして機嫌良さそうだが、体力が落ちているのかふらつくこともある。
今月いっぱい作業所は休むことにします。
もう少しゆっくりして身体を慣していきます。
いろいろ重なって状況をよく飲み込めないであろう次女が落ち着いていることだけが救いです。