緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

海辺は通り道

2008年06月29日 17時37分26秒 | 健康
6月29日(日)

朝は雨、予定の無い日曜日は海に行くに限る。山が霧島が遠のいていく。否、山が雨雲で見えないだけである。車は南へ一週間前と同じコースをたどっています。鹿児島県大崎町くにの松原海岸、一走りです。小雨の松林に車を止めて雨衣に着替えて先週と同じ西方向へ砂浜を歩きます。同じ時間帯でも潮の引き具合が早く固い砂地が見えています。


鹿児島県大崎町くにの松原海岸(撮影:午前10時30分頃)

河口が近いせいもあり、砂浜は結構なゴミの連なりであります。土手が崩れて植物だけが生き残っている根っこのボールや,何と言ってもペットボトル類は栓がついたままでさすらうゴミの代表格です。燃えないゴミの処理が不十分だと浜辺が汚れます。四〇年前の東京湾もゴミ汚染と汚水でひどかった、今は志布志湾がゴミ汚染です。ゴミ見物に浜辺まで来たわけでもなかろう。潮の引いた浜は砂地が薄くて固い部分が露出しています。



浜辺の駐車場から右方向・持留川河口まで千五百米ほどでしょうか、寄せては引き返す波の音が心地よい、時間は午前十時から十一時までの一時間、一週間という時間は先の流木もまだ同じ位置に残しています。少し色合いが変化しているのでしょうか、あの流木もこの流木も待ち人来たるの表情かな!



流木を通り過ぎますと小さな川持留川河口も近づきこの一週間降雨量も減少したのでしょうか川のにごりは少なく河口の狩人アオサギの姿は見えず、沖合にはサーファーの姿が見えます。そろそろ海の反射がきつくなる頃でフードで頭部をおおいます。河水が海に流れ込む混合点の光景は何かを表現しているように見えます。何であろうと考えますがまだたどり着けません。



こうしてみますと志布志湾は良港の条件を備えているようですが、奄美大島瀬戸内海峡ほど水深も深くなく風当たりも強くて良港の条件を備えるには長い防波堤を必要とします。それでも黒潮の影響を受ける海の道九州最初の港としての条件は備えております。南島文化と交流が薄かったのでしょうか、やはり中国大陸や朝鮮半島が日本にとっては文化交流は深かったのでしょうか。南九州の現状を低迷と捉えるには誤解を招きそうですが、台湾・フィリッピン・中国華南等との交流がどのように進展していくのか志布志湾の浜辺を歩きますと自然に関心事として湧き上がってきます。



少し離れただけで稲作の人々がいて、浜辺にはいつも海を眺めて漁にでる漁師の人々がいます。今は車があるおかげで日曜日は二つの風景を眺めて空の突き抜ける気分を頂きます。太平洋を渡った向こう岸の北米・南米・中のハワイ諸島の風景も眺めました。海辺は人々の通る道です。永い年月をかけて人々は移動するものです。今は一世代でとんでもない世界の片隅まで移動します。どこから来てどこへ行くのでしょう。きっと、この太平洋を再び渡っていく人が続くのでしょう。そんな暗示が波間に見えます。



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