緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

南九州にも雪が降る

2010年01月13日 18時03分20秒 | 自然
1月13日(水) 

 朝、外に出ますと景色は銀世界、本日は南九州でも雪景色を眺められる貴重な日でもあります。昨夜八時頃は雪が降る気配は無くて夜の市営陸上競技場トラックを無心に歩きました。今年は初めての雪日和、印象に残りますのは五五年前の丁度今時分の雪景色です。夕方だったでしょうかそれとも午前中か雪が斜めに降っていたのを憶えております。当時も寒かった、夜は部屋が暖まるほどの暖房器具が無くて小さなコタツか囲炉裏の側で子猫みたいにうずくまっておりました。



そう言えば地球温暖化が叫ばれて幾年経つのでしょう?二〇年くらいでしょうか、とはバブルの頃でしょうか。最初は地球温暖化と言えば真剣に考えたものですが。さて、五五年前と同じ雪降る朝を迎えますと、オイ!地球温暖化てどこの話かな?と疑問が湧き上がります。寒い冬もあれば暖かな冬もあるさ。かって誰がいちいち冬が来る度に地球は温暖化に向かっておると唱えた学者がいましたかな?こうも寒い冬を迎えますと地球温暖化を唱えてどなたが一番得をするのかな?



そんな事を考えておりますと、今も唱えられております「社会のグローバル化」こんなスローガンでしたか、社会がグローバル化する事で当然にさまざまなものが変化していきます。さまざまなものとしか表現出来ない処に当方の限界がありますが、グローバル化とは広域に情報操作が出来る事でもありそうです。次ぎにある分野で情報を多く抱え込んでいる企業がありますと他の分野と結託してつまり特殊な技術を持つとかターゲットを絞り込みますと目的達成が為される。歯に何か詰まったような言い方ですが、情報操作を当然の如く考える輩や企業が出てくるのは間違いなさそうです。



残念ながら情報操作について検討するほど情報を持たないのが当方の現状です。しかしです。六五年前の沖縄戦と南九州オリンピック作戦で行き当たった事実、死者二〇万人と二百万発の砲弾、これをどう解釈すれば良いのか?現場に出向き現場を確認して考え事をする意外に方策はありません。方策とは二百万発も砲弾を撃ち込まれない側に立つ事です。



しかし、打ち込まれない側に立って今年で日本は六五年目を迎えようとしております。これも永すぎるなあ。どちらか言いますとアメリカ一辺倒と言うアジアの現状を考えることもなく生きてきたの我が世代でもあります。気楽ではあった!情報がどこかで操作されているとウスウス素人でも気づく時代、それもそうも、つまり気楽と言う文字通りに行かなくなって来ました。つまり、死者二〇万人と二百万発の砲弾が近づいてくる気配をどこかで感じます。



幸い、南九州は情報操作されたシャワーをさほど浴びない環境にもあります。つまり情報操作した情報には匂いがします。この辺を敏感になるべきですが、出しゃばって言うつもりはありませんが、のどかです。



真面目な同窓生が居て頭も良くて、最近彼の話を聴きましたら、どこかで反省したのでしょうか、「マスコミは信用するな」と同窓生を諭しました。オイ、どうした事だ自分の職場を表現するにまだ別な方法があるだろうが?と思いましたが日本もそこまで来ていると改めて感じて社会への気楽な軽信状態を反省しましょう。

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