緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

祖母の呪文は般若心経

2010年07月04日 18時31分53秒 | 家族
7月4日(日)  

 夏風邪は意外としぶとくて今朝もじんわりと我が身に籠もって離れる様子がありません。こんな日は静養を旨として体力回復に努め、休日の行事である志布志湾柏原海岸の浜歩きも中止にします。ついでに運動公園で朝の散歩も中止。自室から庭にはえる柿木の葉のゆれる様を眺めるともなく眺めていますと、まずは数日前のヒヨドリの親子は何処に営巣していたのかと思いを巡らします。


Vessels are moored in the harbor of Yokohama.横浜港内に停泊している船舶(撮影:2010.6.25)

おそらく、場所としては神社仏閣もしくは公園樹の高木が営巣場所か?元々、ヒヨドリは山の鳥で市街地で見かける野鳥では無かったのですが、今ではすっかり人間の居住空間を同じ生息区域にしています。念のため、野鳥先生に電話で確認をしますと、ヒヨドリの営巣場所として人家の生け垣とか植栽の竹藪など、意外と小さな隠れ場所を営巣場所に選んでいるとの回答です。そんな場所ならば猫も当然の如くに察知しておるでしょう。最近では街中であまり野良猫を見ませんが、そんな野鳥が住み易い環境が生まれた影響もあってヒヨドリやムクドリが雀やカラス並みに留鳥として入り込んで来たのかもしれません。



宮崎県民ならばご存じの如く、鳥インフルエンザや家畜伝染病口蹄疫の現状をつぶさに体験しておりますので、野生動物とは例え野鳥で有っても一線を画すべきです。未知なる世界は必ず存在します。つまり現代社会では人間の居住空間が野生動物に対して防御が完全でありとは言えません。これからも野生動物にはリスクが有ることを念頭に置くべきです。野生動物と申しても猪鹿猿が身近に生息しておる訳ではありませんが、だけど狸やイタチは身近に見ます。しかし野鳥のいない生活空間も味気ないものです。



さて、先だってダライ・ラマ十四世法話の折りに購入の「ダライ・ラマが語る般若心経」著者大谷幸三・文 菊池和男写真、発売:角川書店を紐といてみました。宗教に接する時間、仏教徒であれば、高齢になれば身近に考える教え、仏教が説く人間の生まれ変わり、信じるべきが信ぜざるべきか、大いに迷いの場面です。この一点でも死への準備が大いに変化するはず。ふと思います事は人間の死には無常の風しか吹かないのかな?



般若心経をめくる内にふと気づきました事があります。愚妻が昨日申しました祖母のまじない、つまり呪文はひょっとして般若心経の一節ではないかと思いを致しました。何故だ?切り口は霧島連山、かって愛称「オタコサア」と呼ばれた霧島は修験道の修行の山で有りました。明治始めまで修験者の僧堂が高千穂河原には数多く存在したと、また現地には居住跡石垣等が残っております。修験道の本流とは平安仏教天台真言宗を元としております。修験者の唱える呪文、つまりは教典はまずは般若心経が第一番目で有る事が容易に想像出来ます。




明治九年九月以降にこの地域で布教活動を始めた浄土真宗、今でこそ姿を見掛けなくなりましたが、修験道の影響が強い地域は五〇~六〇年前までこの地域にも存在しました。その根拠に修験者の姿を良く見かけました。彼らが農家の人々に般若心経の一節から全節を布教した事も容易に想像出来ます。呪文が般若心経であると、こうして見ますと仏教徒の繋がりは連綿と続いています。これで雷雨の晩に唱える呪文は般若心経と、娘たちに伝える事は曽祖父母の思いを伝える事でも有ります。家族の連なりは、とある場面で浮かび上がる言葉にも有るものです。



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