緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

母港回帰

2010年10月19日 17時30分31秒 | 地域社会
10月19日(火) 

 朝から何となくホコリっぽくて、降雨がないと、湿り気に満ちた城運動公園の木陰も落ち葉の溜まり場所になっております。秋とはさまざまな顔が有るものだと深まる季節に眺め入ります。柿木の周りを乱れ飛ぶキオビエダシャクもどことなく元気がありません。しかし、それでもたいした生命力です。これだけの蛾がどこで生殖しているのだろうと、こんな光景がかってあったかな?今年は蛾の異常発生年だと樹木に詳しい同窓生が教えて呉れて、終いには捕獲を忘れて見とれてしまいます。



三五会同窓会の旅行二泊三日、最終日は母校宮崎県立城泉ヶ丘高校訪問で締めをとります。東京・大阪・福岡組の四〇数名は観光バスでの移動で、三日間で県南観光地の秋を満喫して回りました。今年で何回目なのだろう?二〇回はゆうに超えています。一昨日、久しぶりにお会いした女性同窓生より写真を頂いて眺めすと二〇年前の若き日の姿です。



黒髪がフサフサ、顔もふっくらと円満顔、自分ながらこの様な穏やかな表情があったのかと内心驚いてしまいます。それもそうですが、二〇年昔の写真を頂くとは、女性同窓生の言葉は「じっと暖めていたのよ」でした。有り難う。早速、お返しに一昨日に撮影しました写真二八枚を本日母校での集合時に二八人へ配りました。この気の早さ、我ながらどこから来るのか、とても二〇年も経てからプレゼントするなど至難の技と認識しました。



高校卒業は昭和三五年三月(一九六〇年)で今年が四九年目あしかけ五〇年目となります。やはり出席者は女性陣が俄然多くて男性陣は元気がやや陰り気味で歳相応でしょうか。なるほど、こうして眺めますと現役から遠ざかるに連れて元気が失せて行くのは人の世の常か!大まかな感想ですが女性陣の元気の良さは、何処かで現役部分が日常生活の中に有ると言う事でしょう。その様に理解しますと前期高齢者、男性と女性の謎解きの紐がほつれてきます。



欲を言えばキリが有りませんが、人間は生涯を現役で過ごせばこれに勝れるものはありません。現役こそ人生の宝、その様な格言が何処かに無かったかなあ?今から同窓生を含めて百寿者を目指すには余命三〇年があります。体力・記憶力と衰える中で新たな挑戦に目覚めるには何かポイントがありそうな感じがします。生活のスタイルにキーワードがありそうですが、何だろう?



日本はこれから益々少子高齢社会へ向かう訳ですから、高齢者も生活出来るポイントを確保しなければ爪弾きにされそうな予感がふと過ぎります。年金問題にしろ受給者の高齢者は当然の権利と主張して止みませんが、働く側若者世代の反発は起こらないのだろうかと余計な懸念を持ちます。そんな事を考えます時に政治が浮かんできます。微妙に世の中を誘導する、時には社会正義もねじ曲げて、波風の立たないように為政者の意向を含んだ政治が三権連合で行われる場面に気づくようになりましたが、これも時代が急激に社会を小さな世界へと導いていると見ました。



母港回帰、こうして授業中の母校で記念撮影と植樹と校歌斉唱をしますと振り返る五〇年間の意義は何であるのだろう?校歌にあります清々しい人生か。それもシンプルすぎますが、それでもこれからの余命三〇年間を生きるキーワードになりそうです。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
母校回帰 (上原浩一)
2010-10-22 21:45:59
 何とも、羨ましいです。我がひとみ会(13回卒)も出来れば実行したいです。
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キオビエダシャク (イシュム)
2010-10-31 22:40:53
 エオビエダシャクの事を検索していたらここに辿りついたので、聊か失礼ですが書き込みさせて頂きます。

 三股、高城近辺はそうではない物の、市内中心部に結構発生している様です。私が住んでる泉ヶ丘周辺は夥しいですよ。

 2年ほど前夕方庭の草を取っていると、黒地に橙色の模様を持った綺麗な蝶がまとわり付いて来ました。
 「人懐っこい蝶だなーーっ」とその時は思っていました・・・・・・・がっ、実は蛾だったんですね。

 蛾と蝶の定義なんて曖昧な物で、要は活動時間帯に拠る所が大きいです。
 分類は蛾だけど活動時刻は夕方。蝶と言っても良いと思います。

 唯綺麗なだけだったら問題なく共存できますが、この蝶の幼虫は一つ葉に寄生して食い荒らします。
 当然彼らに悪気は有りませんが、こちらとしても毎年剪定して頂いている一つ葉を、みすみす提供する訳にも参りません。

 已むを得ません。今年は薬を三回に渡り振りましたが、暑さでの大量発生が原因で已に二本やられました。

 温暖化が必然なら彼らとうまく共存しなくてはなりません。そう考えると、いつかは一つ葉は放棄するしかない様です。
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