緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

サックソッド村の子供と山之口幼稚園

2008年10月02日 18時00分20秒 | 健康
10月2日(木)

朝の散歩途上に山之口町知人へ携帯電話で山之口幼稚園についておたずねしてみました。返ってきた返事は山之口幼稚園が昭和47年(1972年)に創立されて、同じ麓保育所が昭和40年に創立されたと言う事です。当時、農家の多かった山之口町も共働きを伴うサラリーマン所帯が静かに増えて行った年代が昭和40年から50年代です。隣市都城市を職場に持つ世帯も増えて行きました。町民の声が山之口町役場を動かして町立幼稚園保育所創立の運びになったのが容易に想像できます。


増水した川辺で遊ぶサックソッド村ラオルーム族の子供たち

その次に山之口小学校へ学校創立年を訪ねてみました。里校から公立山之口小学校へ変わったのだ明治7年(1874年)、都城県が廃県になり北部美々津県と合併して宮崎県が立ち上がったのが明治7年です。明治新政府が学校教育に力を注いだ事がうかがわれます。それぞれ地域におけるホソボソとした地元教育施設が新政府の傘の下に入って行きました。
(なぜ都城県が廃県になったか?明治新政府の九州巡検使が九州新県を見回ってあまりに公務員の多さに愕いて新県の少数化、今も昔も同じ経費節減、つまり各県合併へ方向変針の結果です。ホントかな!)


山之口幼稚園とサンクソッド村小学校のそれぞれ校庭はほぼ同じ面積とみました

そんな目にで改めて見ますと、都城市長長峯誠君、副市長前田公友君(前山之口町長)と山之口幼稚園廃止に都城市議会で賛成票を投じた二二名の都城市議会議員諸君を説得する手立てはないものかです。その手立ての一つとして、こうしてラオス国シェンクワン県サックソッド村子供たちの写真を掲載する気になりました。教育施設の大切さをトコトン訴えたいからに他なりません。
それと日本国民そろそろ外にも目を向けるべきです。


この子供の脇で、橋に引っかかった大木を増水した川から取り除く作業をラオルーム族の親たちがしています

日本が太平洋戦争に負けて敗戦8月15日を迎え海外からの引揚者が舞鶴港や門司港に帰還していた頃、つまり昭和21年から23年の頃、はるかかなたの出来事になりましたがポイントは良く憶えています。ポイントとは国民の生活が極貧であった事です。ここに掲げますサックソッド村の子供たちに当時日本児童の姿がダブります。都市部では食べ物が少なくてどんぶり茶碗の三食、薄がゆや雑炊が主でありました。衣類は着た切り雀、風呂も少なくて頭にはノミやシラミ、GDTと言う粉薬を頭に吹きかけての退治です。荒い治療です。


故郷のなつかしき園舎、いつも夢に出てくる園舎、故郷の人はなぜに壊すのか、愚者百人賢者百人、愚者に負けるな若きお母さん達

それでも先生方は学童の教育に熱心でした。小学校にピアノも楽器類もほとんどありませんでした。洋楽なんてはるかかなたの音楽、小学校唱歌が音楽、古典芸能民俗芸能に出会ったのは四〇歳を超えてからでした。また、大半が木造校舎であり戦災で焼けた都城市立東小学校は陸軍兵舎が移築して代用教室で永年使われました。


小学校は二部教室、半分はこうしてブラブラする時間で一日が終わります。もったいない幼児の頭脳

あれから幾星霜、豊かな日本に貧富の差が出来はじめたのはいつの頃か?昭和49年(1974年)に故郷で不動産業にたずさわって34年、振り返って見ますと前半17年間は日本も上り坂、1991年頃がピーク、それからの17年間は日本は緩やかな下り坂にあります。この最近は庶民の1400兆円と言われる金融資産はこれも緩やかに海外へ投資先を変えています。


この建物はさまざまな集会所として活用されているのかな?近くに幼稚園があることはどんなに便利か若いお母さん達が一番知っている

さて、その前に、最近ではすっかり貧しかった時代を忘れてしまった若人の何と多い事か! いつの頃から日本人は貧しかった時代を忘れてしまったのだろうと思います。今夏、ラオスに初めて訪問して、感じました事は日本社会と半世紀近い格差があると独り合点しています。パラボラアンテナやネットカフェと同じものはラオス田舎でも確認しました


同じアジアの民として、この子供らの行く末に人身売買・麻薬・暴力・疫病・無職と大きな不幸を背負わないことを願います

そんなラオスと日本のハード面ソフト面の隔たりを見て、海外に向ける目を地方に住む日本人も本格的に考えるべきと、そうしなければ世界に取り残される日本人の姿が浮かんできました。むしろのアジア諸国と各種格差の中に日本の進むべき道が見いだせると感じました。


子供たちには絵描き・音楽・踊りとさまざまな才能が埋もれています、大きくのばしてあげるのも今のうち

都城市政が幼稚園や都城市民会館など教育施設や文化施設をぶっ壊す政策をとる事はいかに愚かであるか、試しにぶっ壊した建物、例えば山之口幼稚園をラオス国シェンクワン県サックソッド村へ 寄贈してみてはいかがでしょう。そうりゃあ喜びますよこの写真に映る子供たちが。人間の基本的な価値観が都城市政に壊れているのを見る今日この頃です。


アジアには義務教育も授からない子供たちがごまんといます、幼稚園廃止の愚かさを都城市政もかみしめてほしい、どんな味が出るか

追記:都城市立幼稚園廃止条例に賛成票を投じた市議各位です。
相葉一夫氏(進政会)・荒神稔氏(進政会)・蔵屋保氏(進政会)・竹之下一美氏(進政会)
今村美子氏(公明党)・大浦覚氏(公明党)・橋之口明氏(公明党)
黒木優一氏(輝翔)・江内谷満義氏(輝翔)・宮元正文氏(輝翔)・下山隆史氏(輝翔)・中田悟氏(輝翔)
末永悦男氏(進政会)・永山透氏(進政会)
児玉優一氏(民主)
竹森隆雄氏(清風会)・徳留八郎氏(清風会)・永井弘美氏(清風会)・永田浩一氏(清風会)
東口良仲氏(新風クラブ)
福留明氏(新政同志会)・坂元良之氏(新政同志会)、合計22名です。
反対議員17名、欠席1名、議長無投票。


クスノキの大きさが山之口幼稚園の果たす役割を表しています、残そう残すぞ!山之口幼稚園、手だてはまだあります、エイエイオー

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