緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

早期水稲の小串棚田

2012年09月10日 18時01分48秒 | 農業
9月10日(月)  


大隅半島の棚田

四月二一日の小串棚田の水田風景


 四月下旬に肝付町小串棚田の田植え風景に出逢い、トラックターと数人の人手で、面積一町歩前後の水田に早苗がずらりと並んだサマを眺めますと、どういう訳かホロリとなるか元気が盛り上がってくるかどちらかです。このときは大隅半島の過疎と高齢化が進む小集落の農地が、今も健全である事に感銘を受け、ホロリとなりました。あれから数ヶ月、そろそろ稲刈りシーズン、現地に出向いてカメラに納めようと、たどり着いて海岸の上に有る小串棚田を眺め入りました。



 いやあ!です。ものの見事に水田は稲刈りも終えて、きれいさっぱり稲株も無く、稲刈り跡が鋤き耕されて、ものの美事でした。これほどさっぱりとした光景はありません。明けて肝付町役場に問い合わせますと、小串地区は早期栽培の稲作ですので、すでに稲刈りは終えていますと。調査しますと四月二一日に田植えを終えた棚田をカメラに納めましたので、あれから四ヶ月と半ばが過ぎており、稲刈りを終えて、次の耕作準備で鋤き耕すには充分な時間があります。



 こうして現場でさっぱりとなった棚田を眺めますと、機械化された農業法人が暦に従い稲作作業をこなしておる事に気づきます。棚田の農作業が個人農家から農事法人へ移行しております。つまり、人手の無くなった集落の棚田は、農地としてしっかりと保全されております。機械力の入りにくい小さな農地は家庭菜園もしくは花卉類が季節により栽培されております。きれいさっぱりと稲刈りを終えて、鋤き起こしまでされた農地、塩害にでも遭ったのかと思ったりしました。改めて水耕稲作の歴史が古い事を認識します。何は無くても水田だけは守る。大隅半島小集落の棚田に地域民の魂を見る思いがしました。



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