緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

小串棚田を見学して

2012年04月21日 16時59分49秒 | 農業
4月21日(土)  

 南九州の稲作はいつごろ始まり、どこから伝播してきて、誰が種モミを運んできたか?(年代・発祥地・民族)。在住者として郷土の歴史を学ぶには程よいテーマであります。都城盆地で横市川沿いの坂元B遺跡は二千三百年前の水田跡と記憶していますが、それ以上に素人が稲作起源をたどるには、なかなかきっかけを掴めません。そんな中で、大隅半島の海に面した棚田を眺めた時に、これは稲作起源の入口に辿り着けるかもしれないと、ふと感が働きました。


  太平洋の見える小串棚田

 幾つか海に面した棚田の候補地は有りますが、手頃な観察ポイントとしてどこが良いか?海に面した棚田には何となく絵になる光景、歴史を感じさせる風情があります。石川県を旅した折りに車窓から眺めた能登半島の千枚棚田、田の狭さと数の多さに思わず見とれました。水田にはノスタルジアを感じる何かが有るのでしょうか。


  田植えを終えた水田は新たな生物の世界


  豊富な水量と豊かな土壌は多くの昆虫をはぐくむ

 志布志湾入口に面した肝付町小串集落の棚田は何枚有るのか、出合うきっかけは太平洋戦争末期、昭和二〇年始めに構築された旧海軍の人間魚雷秘密基地跡を探索に出向いたのが始まりです。国道四四八号線が海抜百十米の位置に有り、そこから曲がりくねった集落の道を海へと下ります。その間に棚田が列んでいます。何枚有るのか?道は途中で分岐しており、集落は過疎の人口減少に悩まされながらも、十~二〇戸は数えるでしょうか?


  山間の水が小川となり海へそそぐ

 先だって、今月一日に出向いた折には、一番海に近い田から田植えが始まってました。昔と異なり、トラクター一台と数人の農夫が田植え作業を行っていました。海に面した田が最も広くてトラクターも自由に作業をしています。あれから二〇日間が過ぎて、現地の田植え状況は如何に?です。自分で定めた定点観測地点の季節ごとの変化、もしくは数年おきの変化を観察します事は世の中を知る一つの手がかりでもあります。


  風の吹く日は海も荒い

 現地へ出向きますと、海へ通じる曲がりくねった農道を下りますと、感想として棚田の半分かやや上回る枚数の棚田が田植えが済んでいません。国道と海との中間地点、棚田の面積も狭くて人手かかりそうです。どうやら今年は休耕田か、耕すだけか或いは転作で終わりそうな気配です。一つは人手が足りない、二つは採算性が合わない、三つ目は何だろう?無理をしない集落民の心が何となく伝わってきます。水量は小川も用水路も豊富です。


  小串棚田で最も面積の広い水田、


  海も近くて水田には生物も豊か

 こうして眺めますと、微妙なバランスの元で海に面した小串棚田は維持されています。山から流れ出る山水を用水として潮風の香りの元で南国の陽の受けて育つ稲はさぞかし美味でしょう。田植えを終えて苗の生育も順調にあり、水の張られた水田を覗き込みますと、オタマジャクシの群れです。上空には強風の中でもトビが展開しています。これから初夏に向けて様々な生き物の世界が繰り広げられる棚田風景でもあります。機会が有れば、稲刈り迄に数回は出向いて棚田観察をしたいもの、何か一つでも新たな発見が有ればそれで良しとします。自然観察、気の長い話だけに、何となく人生のロマンがあります。


  水田のほぼ中央部にひっそりと安置された石仏