毎度,日本酒の話です。
鳥取にいた頃に印象に残っている日本酒が3つあって,そのうちの1つが以前に紹介した諏訪酒造の「満天星」,それからローカル線で揺られ酒蔵を訪ねた「香住鶴」,そして最後の1つがこのお酒。
大学の頃,よく遊んでもらっていたサークルの先輩が呑み会の席に持って来て下さったもの・・・。当時は,日本酒のことは詳しくなかったので,“良いお酒で造るのに鳥取大学が関わったらしいぐらい”だったのですが,紙コップ(今にして思うともったいない)で飲ませてもらった時の印象「まるで水のように透明感のある感じ」が鮮烈だったことだけは記憶していて・・・,取り寄せてみました。
「強力」というのは,大正から昭和初期にかけて,鳥取県で広く栽培されていた酒米(酒造好適米)で,背丈の高さ等に起因する栽培の難しさから昭和29年に姿を消した鳥取県の特産米でした。
その「強力」を「本来の地酒とは何か?」いう視点に立ち,昭和63年に鳥取大学に保存されていた少量の種子を用い復活させ,造られた吟醸酒がこのお酒。
舌が多少肥えてしまったせいか,当時ほどの鮮烈さを味わうことは出来なかったものの,やはり透明感と深みを共存させたその味わいは絶品。美味しく頂きました。
→ 中川酒造
鳥取にいた頃に印象に残っている日本酒が3つあって,そのうちの1つが以前に紹介した諏訪酒造の「満天星」,それからローカル線で揺られ酒蔵を訪ねた「香住鶴」,そして最後の1つがこのお酒。
大学の頃,よく遊んでもらっていたサークルの先輩が呑み会の席に持って来て下さったもの・・・。当時は,日本酒のことは詳しくなかったので,“良いお酒で造るのに鳥取大学が関わったらしいぐらい”だったのですが,紙コップ(今にして思うともったいない)で飲ませてもらった時の印象「まるで水のように透明感のある感じ」が鮮烈だったことだけは記憶していて・・・,取り寄せてみました。
「強力」というのは,大正から昭和初期にかけて,鳥取県で広く栽培されていた酒米(酒造好適米)で,背丈の高さ等に起因する栽培の難しさから昭和29年に姿を消した鳥取県の特産米でした。
その「強力」を「本来の地酒とは何か?」いう視点に立ち,昭和63年に鳥取大学に保存されていた少量の種子を用い復活させ,造られた吟醸酒がこのお酒。
舌が多少肥えてしまったせいか,当時ほどの鮮烈さを味わうことは出来なかったものの,やはり透明感と深みを共存させたその味わいは絶品。美味しく頂きました。
→ 中川酒造
このいなば鶴を筆頭に、近年他の酒蔵でも復活米「強力」を使ったお酒を造られるようになったようですね。
中川酒造さんは、経営者が変わるなどのゴタゴタがあったようなので、味が変わったのでしょうか?
「夏子の酒」や「蔵人」でも、酒蔵の経営難の話がありましたが、鳥取も例外ではないようです。
良い酒蔵にはいつまでもがんばってほしいと願うばかりです。
つくばも3軒あった酒蔵のうちの1軒が廃業してしまいました。つくばに来て,最初につくばの地酒だよと紹介されて飲んだお酒を造っていた蔵だったので,廃業を知った時は少々ショックでした。
「いなば鶴 強力」については,後日談がありまして,しばらく置いてしまった残酒を燗にして飲んだのですが,これが絶品でした。純米大吟醸のお酒を燗でというちと贅沢な飲み方だったのですが,さすが強力と思った次第です。