jurgen's Heurige Blog (ゆるげんのブログ)

I will, I will いっぱい足りないの切なくて
I feel, I feel いっぱい会いたいのボクだって

自分の心と正直に向かい合う 2

2010年08月19日 | 日記
4月に冒険家の白石康次郎さんが出演されたのと同じ番組
J-WAVEの『Tokyo Morning Radio』に、
旅行家・写真家の藤原カンイチさんが8月12日に出演。

1984年に250ccバイクで日本一周の旅に出たのを皮切りに、
50ccバイクでオーストラリア一周&縦断の旅、
50ccバイクで世界5大陸の旅、
アジア横断の旅など、さまざまな旅の冒険へ。
2000年から旅行家・写真家として活動。
現在も「50ccバイク国道全制覇の旅」の旅行中とのこと。

藤原さんについては今回のラジオ出演のおかげで初めて知った。
藤原さんはバイク、白石さんはヨットと手段は違うけど、
世界一周を何度も達成した偉業は共通している。

藤原さんのブログやサイトを読んでみると、
白石さんも藤原さんも非常によく似た考えをもっていることがわかってきた。
自分と素直に向き合い、夢へ向かってまっすぐにという生き方もまったく一緒。
子供の頃からの夢を常に大切にして、
夢に向かって忠実に実行してきたからこそ冒険の道につながった。
そこには、多くの日本人が大事にする・気にする
「お金、生活、出世、世間体」といった雑念が一切入っていない。
ほんとにピュア。
そもそも、お金を稼ぐことを考えたら、まず冒険とは結びつかない。
これがひと味違う人生のポイントになっている気がする。

「お金、財産、家、土地、出世、肩書き、地位、名誉、実績、権力、プライド、見栄」
などが夢ももちろんアリだ。
人の夢は千差万別。
これらが夢とわかっている人は社畜道に猪突猛進で進んでいけばいい。
そうじゃない人を「みんなで不幸になろうキャンペーン」に巻き込まないで欲しいが。

ワシ個人の過去を振り返ってみれば、
自分の夢のためというよりは、どちらかというと
「安定した収入、世間体、親を安心させるため」に、
大学卒業後就職してしまった感じ。
そしてそのまま現在に至る。
これがそもそもの間違いだったのかもしれない。

確かに安定した収入はありがたい。
しかし、自分はストレスに対する耐久性が人一倍弱い。
「部下に過度の負荷をかける=育てる」
と信じて疑わない上司にあたるとワシ的には悲惨である。
パワハラになるのかどうかは知らないが、
脅かされながらの仕事に自分の体は何度も悲鳴をあげる。

酷い円形脱毛症を2回ほど経験した。
現在バセドウ病に罹っていることは過去に何度か触れた。
10年ほど前にウツも経験した。
状況こそ異なるものの、
最近ウツが復活気味で生きた心地がしない。

「安定した収入、世間体、親を安心させるため」の代償は、
精神的にも肉体的にも無視できなくなり耐えられなくなってきた。
過去の安易な選択が、
巡り巡って大きな負荷となって自分にのしかかってきたようだ。

長い年月を会社のために生きてしまったから、
これからは自分のために生きたい。
病気を治すためにも環境を変えたい。
脅かされながら働くのは、面白くないし冗談抜きで精神的にキツイ。

人生の方向転換をはかるために、
まず自分は何をどうしたいか?
を決める必要があると思った。

そこで、白石さんが言っていた
「自分の心を研ぎ澄ませて、自分の心と正直に向かい合い、心の声をきく」
ことを何度か試してみた。
心の声はなかなか聞こえてこない。
聞こえない理由が藤原さんのブログでわかった。

夢を考えるとき一番大事なことは、
お金、生活、家族、出世、世間体、年齢とか
現実的な問題はすべて除外すべし。
これらがまだ頭にない子供の頃に戻らないとダメ。
余計なものをすべて取り払うと真ん中にある本当の自分が見えてくる。

自分のやりたいことがいくつか浮かんでも、
ついつい現実の問題と天秤にかけてしまっていた。
そうすると、やりたいことは結局全部却下となってしまう。
不毛な堂々巡りを繰り返していたのだ。
心の声が聞こえかかっていたのもかかわらず、
自分で自分の耳を塞いでいたに等しい。
ぜんぜん自分の心と正直に向かい合ってないじゃん。
「心」じゃなく「頭」を使っていた。
大人の打算。
これがダメだった理由だ。

これからは心が望んでいることに敏感になろう。
「自分の心を研ぎ澄ませて、自分の心と正直に向かい合い、心の声をきく」作業は、
「自分にとって一番重要なものは何か」
「自分にとって一番の幸せとは何か」
といった質問の答えを探すのとほとんど同じような気がする。
壮大な問題だけに即答は難しい。
でも、これを考えていると少し気が楽になっていくような気がする。

思い立ったが吉日で、じっくり考えていこうと思う。
いや「考える」という言葉はどうしても「頭」と結びついてしまうので、ふさわしくない。
「自分の心の声に耳を澄ませる」
の方がより正しい表現になるだろう。