∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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B-3 >正覺山 天福禪寺<修正版>

2006-10-20 11:27:17 | B-3 >鍋屋町鋳物師



正覺山 天福禪寺<修正版>
    通称:天福寺
   岐阜県土岐市肥田町肥田1547-1    Visit :2006-10-14 14:30

●正覺山 天福禪寺の由緒
「肥田村 天寺編年史料」から抜粋し編集――
   [大正十三年(1924)、天寺庵主により前当寺事蹟に基づき編纂された稿本]

♦前天寺
 寺伝によると、天福年間(1233--1234)、現在の堂宇から離れた場所に、小さなお堂か又は庵が建てられ、天福年間の元号から天寺と称されるようになったのが元始と伝えられている。その場所は明かではないが正覺山の山号から、当時その場所は正覺山と呼称されていたと推察されている。
 また文献には――
貞治四年乙巳(1365)
 冬 榮膺柤越請。先覺周恬禪師。開堂(*1)当山。
永和元年(1375)十二月
 佛日常光國師(ぶつじじょうこうこくし) 空谷明應(くうやみょうおう)
長祿二年(1458)二月
 濃州天寺十刹
年代は不詳であるが、
 戦禍により堂宇焼失。
 ――などが列記されている。
♦現天寺
 前天寺の焼失後は、長期にわたり寺は途絶えていたが、古刹の名跡を惜しみ――
元和七年辛酉(1621)
 全以首座當山を創建し、雲配山天寺と称し、本師大圓寶鑑國師を請して、開山(*2)始祖となす。(現在地に新たに創建)
 公儀帳、肥田村正覺山天寺は禅宗、元和七年辛酉開基全以首座、開山勅謚大圓寶鑑國師、云々。(現天寺の最初の山号「雲配山」を前天寺に倣い「正覺山」に戻した)
 大鐘銘、正覺山天寺載在本朝名藍圓。年代深遠其旧跡只一荒岡而巳。此故里聞之口碑亦泯矣。云々。心田以公首座と舊基創建一宇。請本師大圓寶鑑國師。爲開祖。云々。
 全以首座
 天寺住持簿 号心田。大圓寶鑑國師の弟子。当山住持第二世泰翁の法事。在住三十三霜。晩年郡の大湫宗昌寺に退隠。萬治四年(1661)正月十二日示寂。
宝暦四申戌年(1754)六月十一日、喚鐘を新鋳造。


 上記のことから、当寺は、以前の地に創立された寺を「前天寺」とし、現在地に創建された寺を「現天寺」と称して、寺蹟を語る上で両寺が区別されていることが判る。
 天福年間(1233--1234)に当寺が初めて創建されたことで、通算七百七十有余年の歴史を持つ古刹であり、現天寺になってからも三百八十余年という寺歴を誇っている。

「肥田村 天寺編年史料」には、巻頭文で、編纂するにあたり――
[前略]建仁、天龍、相國、鹿苑等ニ古文書ヲ閲シテ拾フ處 今幸ニ手中ニ存セリ 之が散失ヲ憂ヘテ年次ニ編スルモノ即チ前天寺ニ関スル史料ナリ 現天寺史料ニ到ッテハ當山所蔵ノ古文書ヨリ採録セルノミニシテ未ダ完カラズ 他日之レガ補足ヲ為スアラバ幸甚ノ至リナリ 一言以テ巻頭ニ録ス」と記している。
当書は、当寺に原本が所蔵されてはいるものの、大変貴重なもので秘蔵されていることから、瑞浪市民図書館に所蔵されている写本を同館で閲覧したが、コピーは一部分しか認められていないことから、同書内容の詳細については不明である。


平成十五年(2003)五月五日、落慶法要が営まれ本堂(226.16平米=68.5坪)および位牌堂が立派に改築され、真新しく美麗な姿が境内に映えている。
 喚鐘は、落慶を機会に手入れがされたようで、表面は緑青も噴かず比較的美しい状態で保存されている。


[註]
*1=かいどう。禅宗で新しい住職が着任した時、最初に説法を行う儀式。
*2=かいき。寺院を創立すること。宗教の一派を創始すること。





●水野彦左衛門清房作 喚鐘
  宝暦四申戌年(1754)六月十一日

喚鐘銘文
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濃 州 土 岐 郡 中 肥 田 郷
正 覺 山 天 福 禅 寺
        春 堂 代
  上 肥 田 村
    施 主
      林 太 □*1 右 衛 門
于 時 寶 暦 四 申 戌 歳 六 月 十 一 日
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 □*2 庵 道 壽 居 士
 圓 月 法 心 大 姉
 法 海 逋 源 居 士
 絶 功 壽 端 大 姉
 賢 室 楚 良 大 姉
 實 應 理 詮 信 士
 □*3海 攵 守 信 士
          童 子 
            菩 提
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 尾 州 名 古 屋 鍋 屋 町
 冶 工 水 野 彦 左 衛 門
         藤 原 清 房
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[銘文注]
*1=“郎”か?
*2=“「人」偏に「栗」の下の木が「庵」”
*3=“「八」の下に「日」の下に「我」”



☆旅硯青鷺日記
 秋の日が西に傾きだした頃に当山を訪れ、御庫裏様(寺庭様)のご案内で先ずは喚鐘の撮影をさせていただきました。本堂改築を機に手入れされたばかりでありましたので、喚鐘の表面は美しく陰刻も比較的ハッキリと読み取ることができました。しかしながら毎度の事ながら、難しい文字が彫られていることから、文字を特定するまでに時間を要しました。
この後、本堂裏の位牌堂に案内されましたが、檀家達の数多くの位牌も新しく作り直されたのか漆黒も艶やかで整然としており、実に立派で見事なものでした。本堂と位牌堂を繋ぐ渡り廊下の右側は美術品の展示場となっており、陶磁器の外、当寺の高いところに吊されていたという古い駕籠も、わざわざ京都まで改修に出され、漆も新しく今で云う新車のごとくに光っておりました。
 帰り際には御庫裏様が山門まで見送り下さりました。取材にご協力いただきまして、ほんとうにありがとうございました。

●投稿後、寺庭様にご校閲いただき、新たな情報をお教え下さり、また誤りをご指摘いただきましたことで、本日(2006年10月20日)「改訂版」として再投稿しました。寺庭様のご厚意に改めまして深謝いたします。




鍋屋町の鋳物師名簿http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/26f5b0b640ad36d9d59f805e99b8e356









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