∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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A-4 >水野代官所跡

2005-10-19 18:38:32 | A-4>影俊系水野氏
 尾張九代藩主 徳川宗睦の時代に、藩政の大改革があり、藩内に大代官を置き、その出先機関として各地方に 所附代官所十箇所を設け、各地の庶政を司った。  所附代官所は、天明元年(1781)五月、まず最初に中水野村鳥林に水野代官所が設置された。所轄は、愛知、 春日井の一部と美濃の一部に跨り、百九か村 六万一千三百五十七石余を管理し、徴税事務、申請事務、司法 事務などの全般処理を行った。つまり今日における市役所・税務署・警察署の仕事を一手に扱う強い権力を握っ ていたことになる。 . . . 本文を読む

A-4 >御林方奉行所跡

2005-10-19 15:02:00 | A-4>影俊系水野氏
尾張初代藩主 徳川義直は、狩猟を好み上水野北脇(愛知県瀬戸市水北町)に行殿(御成御殿)を建てて、水野山に鷹や鹿狩りなど の折、宿泊の場所とした。 寛文元年(1661)、二代目藩主光友は、この行殿を役所と官舎に改造し、春日井、愛知両郡の山林を管理する役目を水野権平正勝に 命じた。ここを御林方役所と称し、初代奉行に正勝が就き、代々世襲で明治維新まで九代続いた。 . . . 本文を読む