∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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【point】本ブログは、時代を区切らず総合的に「水野姓を名乗る人物の足跡を追う研究」を行っています。この外「水野氏」と関連した氏族など水野氏と何らかの関わりがあれば、本研究の対象としています。【comment】みな様からご意見・ご指摘・ご感想などのコメントを頂けると幸いです。なお「コメントを受け取らないよう設定された記事」へのコメントは「掲示板」にお願い致します。【access】サイドバーのアクセス状況「トータル閲覧数・訪問者数」については、「gooブログ アドバンス」が新設されてからの数値累計を入力したものであり、本ブログ開設時から63日間のアクセス数は含まれません。【since】2005-03-14(Blog), 1988-11-14(Network activity)

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C-3 >岡崎城

2005-05-25 05:01:26 | C-3 >山川山形水野
昔、岡崎城は岡竒城と記され、菅生川(乙川)右岸の北に接し直ぐ本丸がありその北に二の丸があった。『参河國名所圖絵』には、 「岡崎は享禄(1528-1531)以来の名號にして、其以前は菅生郷なり。新撰姓氏[二ノ二十八]河内の国神別之菅生朝臣、又續日本紀[五ノ九丁]従六位菅生朝臣大麿、又拾介抄中[二十九丁]朝臣の部に、菅生等見えたり。 . . . 本文を読む

C-1>西尾城(西條城)

2005-05-25 03:30:33 | C-1 >小河氏系水野
この城と水野氏の関連については、貞守から四代の忠政は、小河、刈谷のほかにも、大高、半田、西尾などの諸城に進出しており、また忠政の娘於大は、松平広忠に嫁いで家康を生んだ。嫡子の信元は小河、刈谷、大高、半田、西川と、かつては西条城と呼ばれていた当西尾の諸城を所領し、織田信長に属し、信の一字を与えられたとある。 . . . 本文を読む