∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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A-5>新居館と多度神社

2005-11-19 14:42:01 | A-5>景清系水野氏



新居館と多度神社
  愛知県尾張旭市新居町西浦
  愛知県尾張旭市新居町西浦3182
   Visit :2005-09-26 14:30

§新居館
 康安元年(1361)、水野又太郎良春が、志談村(名古屋市守山区上~下志段味)から新居に移り、山林を切開いて建築した居館(現新居町西浦)である。この新居(あらい・荒居)という地名は中世に多く、新開地を意味する。館は、現在の洞光院裏山の墓地から多度神社参道の東側付近にかけての丘陵地にあった。居館の裏山に自らの氏神として多度神社を勧請した。新居に天道社が勧請されたので天道と呼ばれた。その後、尾張徳川家初代藩主・徳川義直が狩りをする際、行殿(仮殿)が置かれたので御殿と称せられるようになる。
この館は現在は既に無く、民家が密集しており当時の面影はないが、多度神社東には林が残っており、当館裏山であったろうことから写真を掲載した。
――『尾張旭市誌 文化財編』参照


§多度神社
当社前の石碑に書かれた由緒書――
 当多度神社は開祖水野又太郎良春が熱田多度神社から勧請して康安元年(1361)に建立したと張州雑志に記されてゐる 延宝九年辛酉(1681)又太郎八代の末裔水野重大夫同金左右ヱ門尉が取持って社殿を再建 其の後大正九年(1920)に本殿は改建せられたが拝殿は再建以来二百七十余年[324年]を経續と共に腐朽し氏子一同の心痛する所であった 戦後十余年人心は漸く安定し資材も整う時代となったので区長氏子総代等が相謀って再建の議を進め氏子の協力を得て神社境内の一部を売却し新居区より壱百五拾万円の寄附を受ける等百方奔走して総工費六百参拾万円八ヶ月の工程を経て昭和三十三年(1958)十月十五日神明式祝殿拝殿を再建すると共に参道玉垣の改修大鳥居の建立社務所狛犬燈籠の移築等を完了 境内の面目を一新した 茲に拝殿再建の由来を述べ後世に伝へる次第である
                      旭町農業協同組合長谷口健一揆――




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