老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1104;野花は枯れても咲く

2019-05-12 15:05:47 | 阿呆者
野花は枯れても咲く

野花は咲き 枯れても
来春には また咲く

人間は 生きているうちが花
人間は 枯れ死んだら
もう咲くことはない
だからこそ 咲いている いまが大切
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1103;二兎を追う者は一兎をも得ず

2019-05-12 07:56:07 | 33年間介護を続けてきた理由
二兎を追う者は一兎をも得ず

中途半端な自分が
二兎を追い求めようとしている。

脇で誰かが囁く
“二兎を追う者は一兎をも得ず”

それはどんなことか、と言うと
先日、自分は
障がい者相談支援従事者養成研修の受講申込をした。
(講義2日、演習3日 計5日間の研修)

令和2年4月から
要介護老人のケア相談と支援から枠を拡げ
障がい者も関わっていこうかな、と考えている。

要介護老人は介護保険法
障がい者は障害者総合支援法
それぞれ法体系は違うけど

にんげんとして地域のなかで生きていきたい、という願いは同じ

66才、ことしの夏で67才になる
できるのか、と
囁きも聞こえてくるけど
やれるところまでやってみる

いまは時間が欲しい
金よりも時間が欲しい
でも、事業を継続していくお金も欲しい

ないものだらけの自分


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1102;いつまで続けるの・・・・

2019-05-12 04:45:16 | 33年間介護を続けてきた理由
気が晴れない朝空の雲


いつまで続けるの・・・・

最近 60才の男性と63才の女性は
ケアマネジャー(介護支援専門員)の仕事を辞めると決め
担当していたケアプランを他のケアマネジャーに引き継いでいる。

自分はいま66才
介護保険第1号車被保険者の該当者でもある
居宅介護支援事業所(ケアマネジャーが活動している事業所)がある管轄の市では
ケアマネジャーとして実務をしている最高年齢者は、自分なのだ。

他のケアマネジャーやヘルパー、デイサービス等の事業所から
「実際の年齢よりも若く見えるよ」のお世辞に乗せられ
“まだ、自分は若いのか”と思い込み、
ケアマネジャーを辞めずに続けている。

周囲から“まだ、ケアマネジャーやっているの? いつまで続けるの・・・・?”、
という声が気になるも
未だ続けていこう、と思っている。

躰と頭が ケアマネジャーとして機能できるまで続ける
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1101;歩けなくなっても、まだまだ「できる」ことはある

2019-05-11 04:45:03 | 介護の深淵
 
大きな水鏡に映る森の上のホテル いつか行ってみたい森の上
 

歩けなくなっても、まだまだ「できる」ことはある
          (“続” ~してもらうばかりでは申し訳ない)

脳血管障害後遺症などにより
人間歩けなくなったことはショックであり、絶望に陥ったこともあった。

歩けなくなっても、まだまだ「できる」ことはある。
それは、椅子や介護用ベッドから
「立ち上がる(“つかまり立ち上がる”でもよい)」「立つ(“つかまり立ち”でもよい)」ことができれば、
独りで洋式便器で用足し(排せつ)ができる。
そうなると大きな自信となり、車いす用のトイレがあるところなら外出や外泊も夢ではない。

尿意があってもなくても、洋式便器に「坐ることができれば」、排せつができる。
障がいのない人は、誰もが「坐って排せつをしている」。
障がいのない人にとっては、坐って排せつをする。
それは、当たり前のことであり、それが如何に大切なことであることには気づいていない。

介護というのは、難しい事を支援するのではなく、
当たり前の生活ができるために、どう支援していくか。
支援していくときに、相手(要介護老人や障がい者)がどこまででき、どこができないのか、を知っていくことが
介護の大きなポイントである。

すべてをしてあげることは、優しさでもないし、かえってそれは相手の自立を損なうだけしかない。

最初、手すりにつかまって膝が折れたりしてなかなか立てなかったり、つかまり立ちも2,3秒がやっとの状態だった人が、
1週間、2週間、3週間、4週間・・・・というように時間の経過とともに
介護者の手を借りながらも、自分独りで「できる」ようになる。
90歳を越えた婆さんでも寝たきり(要介護5)から杖歩行ができる(要介護2)までになり、見守りでトイレで用を足せるようになった。

みなさん 日中用足しのためにトイレに何回行かれますか。
個人差はあるが4~6回は少なくとも行かれるでしょう(仮に日中5回としましょう)
1月で5回×30日=150回、つまり150回のつかまり立ちや立つの動作が
洋式便器に坐ったり、立ち上がったりの行為を行う。これほど素晴らしいリハビリはない。

最初、手すりにつかまって膝が折れたりしてなかなか立てなかった。
はじめてトイレにいったとき、介護者は10~9の力で介助(本人は0~1の力)だったけれど
日毎に本人の立ちあがる力、5~6になった。介護者の人は半分の力で介助ですむようになった。
そうなったとき介護者は、相手を誉めることが大切。

「爺さん(婆さん)や、足や手の力がつき、自分でつかまり立ちができるようになったから、
私たちも助かっているよ、介護がしやすくなり助かっているよ。ありがとう」などと話しかけていく。

最後には見守りだけで立ち上がりができるようになっていく。

立つ力も同じ。どの位自分の力で立てるか。
何秒立てるかで、ズボンや紙パンツの上げ下ろしの介助量も違って来る。

やってあげることは簡単だし、時間もかからずにすむ。
介護は子育て(保育)に似ているところがある。
それは相手がしようとしている基本動作を“待つ”ことにある。
待てそうで待てないのが人間の心理

ここで あみんの《まつわ》を 視聴しますか
“待つ”意味が違いますが・・・・“わたし 待つわ いつまでも まつわ”
あなたがやり終えるまで 待つわ



半身麻痺や両手、両足の筋力が低下し、立ち上がりも立つこともできない。
ということで紙おむつを当てられる。
尿意が失われ、紙おむつに垂れ流し(尿失禁)の状態になっていく。
老人の場合はそうされやすいし、病院入院したとき最悪の場合はバルンカテーテル留置されてしまう。
尿意があるのにもかかわらず。


そのようなとりくみができるのは定員10名の小規模デイサービスに多い。

しかし、在宅では老々介護にあるなか
ベッドから車いすに乗せ、トイレまで連れて洋式便器に坐らせるのは大変、
しかも毎日であり、それもいつまで続くことかわからない。
どうしたらよいか悩んでしまう・・・・。



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1100;ショートな話

2019-05-10 13:17:06 | 阿呆者
 ショートな話

安全運転

は 進め
は 止まれ
は 進め ではなく 止まれ


2020年東京オリンピックのチケット

決勝戦の観戦チケット
貧乏人が買えるような金額じゃねえ~
自分は買えぬ
テレビ観戦だ~
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1099;~してもらうばかりでは申し訳ない

2019-05-10 02:15:30 | 介護の深淵
~してもらうばかりでは申し訳ない

お隣さんの家は、あちこち出かけられ、お土産を頂く。
いまは道の駅も増え、その土地の名産品などを増えてきた。
めずらしい物を頂くと、
「ありがとうございます」「いつももらうばかりで悪いですね」、と言葉を返す。

お隣さんからお土産を頂いているばかりいると
流石に気が引けてしまう。
するとお返しという気持ちになり
自分もちょいと旅に出たとき、お隣さんにお土産を買って帰る。

近所や親戚のつきあいは、「頂いたり」「返したり」の関係にある。
どちらかが一方的な関係にはない。
“お互い様”の関係にある。

介護も同じである。

老い齢を重ねていくと
昨日まで「できていた」ことが、今日は「できなくなる」。
そうすると他者の手を借りなければならなくなる。

トイレに行くのもままならず、手引き歩行の世話になる。
申し訳ないからという気持ちから、独り(単独)で行こうとするも、
ふらつき、運不運の差で
運よく転ばなかったり、不運にも転んだりしてしまう。
幸い骨折がないときは、ホッと胸をなでおろす。

転んだらそれこそ大腿骨骨折し寝たきりになり、誰かの手を借りることが増え、
「申し訳ない」の気持ちが増幅してくる。
だからだから、独りでトイレに行かないで、と何度もお願いするのだが、
“~してもらうばかりで申し訳ない”という老人の気持ちが見え隠れする。

介護者は介助を行うとき、
老人の気持ちを推し量ることが大切。
少しでも自分で「できる」ことがあれば、やっていただく。
またやって頂くよう話しかけていく。
そして不十分であっても(完璧でなくても)「できた」(やってもらった)ときは、相手を褒める。


例えば、トイレのなかでの介助のとき、
老人が「できる」こと、「できない」ことを見分ける力と手のかけかた(介助の度合い)について
1101ブログで書いていきたい。
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1098;役立たずの自分

2019-05-09 19:55:56 | 阿呆者
降雪量が少なかったせいもあり、ダムの水が少ない。田植の時期になり農民は水不足を心配している


役立たずの自分

wifeは疲れから カゼでダウン
仕事早退
蒲団に寝込む
通院するよう話かけるも行かずじまい

自分も職場から引き揚げ、午後は自宅で仕事
何もできないが、同じ屋根の下にただいるだけ

夕暮れどき beagle元気と散歩しながら
「夕食はどうしようかな・・・・」と考えてはいたが
キッチンに向かう訳でもなかった自分。

デスクで仕事をしているとき
wifeが夕食づくりを始め、食卓におかずが並ぶ

wifeから針を刺すような感じで“チクリ”
「夕ご飯ん どうするつもりでいたの?」
「どうしようかな、と散歩のとき、考えてはいたんだけど・・・・」
「でも、作るのを待っていたんでしょう」
「・・・・・・・・」

自分が病気で寝込んだときは
wifeは滋養のある食べ物を作ってくれるのに
wifeが寝込んだときには
何も作れない自分

ポカリとかフルーツ、アイスなど買ってくることはするのだが
本当に役立たずの自分

包丁を持つ、料理することが全く不器用な自分
万が一ひとり暮らしになったとき
自分の食生活は大変なことになってしまう
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1097;自  分

2019-05-09 05:45:15 | 自分は何者か
一滴から川 川から大河 大河から海 大海は一滴から

自  分

自分とは
私という存在。

「私」という存在は
ときには「わたし」というもう一人の「自分」と
自己対話する。

自分は
静寂さのなかでも喧騒のなかでも
本(読書)の世界に没頭することができ
思索の旅が好き。
じっと動かずに一点の世界に閉じ籠る時空間。

その一方で
自分は、“遠くへ行きたい”
本当は一人で、知らない町や海を歩いてみたい。

そんな気持ちをwifeに話したら大変なことになる。
「勝手に一人でいったら」「妻を置いて一人で行ってそんなに楽しいの」などの言葉が返ってきそう。


旅に出るときは
自分は
いつも2,3冊の文庫本を鞄に忍ばせていく。


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1096;なんか変だな・・・・

2019-05-08 05:08:20 | 老いの光影 第5章
なんか変だな・・・・ 

85才になる良婆さんが肺炎で入院した。
2週間余りの治療で、無事明日退院となる。

退院間際の良婆さんの状態把握目的で、昨日病室を訪れた。

数分前の出来事や会話を忘れ去り、同じ話を繰り返す彼女。
下肢の筋力は衰え、
つかまり歩きか両手をつかみながらの手引き歩行は、
かろうじて維持できていて、
トイレまで用足しができることに、ホッとした。

食事は、「全粥」「キザミ食」で、自力摂取できる。
入院時の様子を説明して頂いた看護師に尋ねた。
「全粥になったのは、飲み込みが悪いのですか」
 「病院では高齢者の患者は全粥、キザミ食で対応しています」
「軟飯とか、おかずも固いものでなければ普通食にしても大丈夫ですよね」
 「様子を見ながら変えていけば大丈夫だと思います・・・・・」

どうして“高齢者だから全粥、キザミになる”のだろうか。
自分はいつも理解に苦しんでいる。
ご飯もおかずも普通食を摂れるのに
高齢だからという理由で、どうしてそうなるのか。

全粥にすると噛まなくても、するっと飲み込みができ、食事時間も短縮できる。
高齢者はご飯を食べる時間がかかり、下膳が遅くなる。

普通に食べれる老人が、全粥にすることで
噛む力、飲み込み力、顎の筋力などが低下していく。
病院は医療専門職の集まっているところである。

言語療法士もおり看護師もいる
人間は口から食べることで元気になる。
食べれる力があるのであれば、全粥ではなく普通食であるはずなのに・・・・・

それなのにどうして?
嚥下に支障があり誤嚥性肺炎の危惧があるのなら理解できるのだが・・・・・

“肺炎は治りました”けど
食事摂取は、入院時前のレベルよりは低下し、全粥、キザミ食になりました。

良婆さんに限らず、確かに多床室の他の老人も“全粥”
これってなんか変だな、と思うのは、自分だけなのか。

退院間際まで、全粥、キザミだったので
家族は家に帰っても同じく全粥になってしまう。

咀嚼力や飲み込みに問題なければ
家族やデイサービスのスタッフには
軟飯にし様子を見ながら普通食に替えていきましょう、と声をかけている。

二日酔いの朝食、ときにはお粥も美味しく感じることもある。





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1095;自殺した夢

2019-05-07 05:30:27 | 歌は世につれ・・・・
自殺した夢・・・・

変な夢を見た
wifeと服毒自殺の夢だった。
死に場所は、大きな河が見える公園であった。
「河や海の入水や自宅での自殺はしないようにしよう」と決めていた。

深夜2時半過ぎに目が覚め、トイレへ。

その後、蒲団に入った。

夢は続き、wifeを道連れにするのは不味い
自分だけ死のう、と決めた。
自分が死んだ後、wifeが困らないよう諸々のことを紙に書置きした。

どんな方法で自殺するか、持病のため高額な保険は入っていないので、
事故による保険があったので、車で自爆するしかない、と決めた。
中途半端な自爆で、意識不明の重体でも困るので、確実に死ぬ。
そんなことを考え、目が覚めたのは3時半過ぎ。

自殺しようなんて考えてもいなかったのに、
何故こんな夢をみたのか。

夢の内容により いまの意識を反映しているとか
言われたりするが
現実の今の自分は、気持ちに余裕がないのか
仕事が溜まりに溜まり、やることが多いのか
わからない

wifeの夢診断では
事故やケガに気をつけなさい、という意味だよ

夢に関係なく今日から
ファイトの気持ちで



蝸牛や亀や牛の如く
あせらず自分のペースで歩んで行くとしよう

夢に関係なく、拾連休も終わり
今日から ある意味では本当の令和の暮らしが始まるのかもしれない


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1094;広大な大地 関東平野

2019-05-06 08:29:13 | 春夏秋冬
広大な大地 関東平野

5月5日から5月6日まで
wifeの実家 北関東、常陸国(茨城県)に帰る。
つくば山が眺望出来る農村地域にある。
冬、晴れた日には富士山が見える。

昨日の午前は義父孝行
自動車🚗運転免許証を返納したので、
デイサービスと通院のみの外出となり、
遊びに出かけることが出来なくなった。

車🚘の運転が出来たときは、
不良親父だったので賭事好き、競馬競輪パチンコをしていた。
定年後はパチンコ、スロットのみ。でものめりこむことはなかった。

いまは車がないので、妻の運転でスーパーに買い物に行くのが唯一の楽しみ。
昨日は義父と一緒にパチンコに出かけた、惨敗!
それでも義父はご満悦な顔、夜は家族揃って🎤カラオケ大会。

beagle元気も義母に可愛がられ、キュウリ🥒を頂き、尻尾振り振りです。

普段wifeとの二人暮し
非日常的な時間をエンジョイした。

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1093;白い一日

2019-05-05 14:43:43 | 歌は世につれ・・・・
白い一日 井上陽水

白い一日  小椋佳作詞/井上陽水作曲

真っ白な陶磁器を眺めては飽きもせず
かといって触れもせず
そんなふうに君の周りで
僕の一日が過ぎてゆく



ブログ862で 白い一日を書いた。
真っ白な陶磁器を手に取り眺めても
模様や色が描かれている訳でもないのに
長い時間眺めていても飽きもせずにいる。

白い陶磁器
家具のニトリで、真っ白なティーカップを手にした。
ティーカップに紅茶や、好きな牛乳を注ぎ、
飲みながらのんびりと時間(とき)を過ごしている。

真っ白なキャンバスに何を描くのか、心のなかで模様を映し出してみる。
真っ白な陶磁器を飽きもせずに眺めているように見えても、
悶々とした気持ちを静めさせてくれる。

真っ白な湯呑み茶碗も探し求めたい、と思っている自分。
真っ白な色は、純粋無垢であり、赤ちゃんの小さな手をイメージしてしまう。
汚れのない真っ白な陶磁器は、苦悩にある心を癒す。
真っ白な色は、悲哀(かなしみ) を表現している、そんな気がする。






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1092;鏡の向こう側

2019-05-04 15:08:32 | 阿呆者
鏡の向こう側

桜の花が散り、葉桜になる頃、田圃に水が注
がれ大きな鏡となった。

風が吹くと水田は小さな銀波が連なり輝き光
る。

那須連山の頂きはまだ白い。
大きな鏡に逆様の那須連山が映る。

大きな鏡に飛び込み、大きな鏡の
向こう側の世界に行ってみたい。

終戦後、大人も子ども自分も、唄っていた。
行ってみたいなよその国



未だ見ぬ世界に憧れる、大人も子どもも同じ。

飛び込んだ大きな鏡の向こう側は、
過去の時代に帰ることができる、としたら
自分は中学生に帰りたい。
何故、中学生なのか・・・・。

それは可能性を秘めた多感な年頃



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1091;ある日突然・・・・(2)

2019-05-04 07:31:44 | 老いの光影 第5章
菜の花が咲き乱れる畦路

ある日突然・・・・(2) 脳梗塞に遭遇

平成31年1月7日
遠藤春男(69才)は、左頬が引きつり、呂律が回らなくなってきた。
違和感を覚えたものの、一人暮らしのため「いつもと様子が違うよ」と
言葉をかけてくれる人がいなかった。

春男は6人兄弟姉;女、男(病死)、男、女、女、男(本人)
実家は2㎞先の農村集落で長男の子ども(甥)から電話がかかってきたのは
1月9日。
電話に出る春男の話し方がおかしく、気になった甥っ子が、春男の家に向かった。

甥は急いで向かった。 呂律が回っておらず、急いで救急車を呼び
南陸奥総合病院救急外来に搬送された。
左頬が痛いということで、救急外来から耳鼻科に回された。
耳鼻科医は、「これは脳外科で診てもらってくれ」ということで、
脳外科受診、脳梗塞と診断され入院となった。

入院の翌日、彼は左半身不全麻痺と失語症の状態になり、呆然となってしまった。

いままで病気らしい病気はなく、定年後の生活も平穏に生きてきた。
思いもしなかった病魔 脳梗塞が彼を襲った。

敬称略

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1090;蝸  牛

2019-05-03 15:08:20 | 空蝉
季節外れの風景 東北の5月は、田圃はしろかき、田植の風景となる

蝸  牛

“でんでんむし”のことを漢字で表すと「蝸牛」になる。
虫が鍋を背負い、牛の如くのろのろと歩いている。
「鍋」は、重い殻でできていて、その殻のなかには何が入っているのか。

人間誰しも、悩み、苦しみ、不安、病気、葛藤、挫折などの重荷を背負い生きている。
蝸牛の殻のなかには、自分の苦しみだけでなく、
他者の苦しみもいっぱい詰まっているため、
殻が重くなり、歩くのがと~ってもゆっくりになってしまうとか・・・・。

このままでは天敵の鳥に食べられてしまう、と心配になる。
上手くできているもので、蝸牛は鳥が寝ている夜間や鳥が空を飛びにくい雨の日に歩くのだ。
湿気を好み、乾燥に弱く脱水症になってしまう。
蝸牛は老人と同じく、暑さは天敵。そのときは点滴で水分補給をするとか・・・・。

歩き疲れたら、殻は家であり、殻のなかで寝て過ごす。
蝸牛から殻を取ってしまったら、なめくじになってしまう。
外地函館港から船で津軽海峡を渡り、内地(本州のこと)に着き、仙台で暮らし始める。
生まれて初めてなめくじやごきぶりを目にしたときは、驚き桃の樹山椒の樹であった。


小雨降る朝 濡れた小路の上に這いつくばる蝸牛に、 
「おはよう」と言葉をかけ、大きな葉の上に乗せてくる。
小さな親切、大きなお節介であったかどうかは、蝸牛に尋ねないとわからない

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