老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1096;なんか変だな・・・・

2019-05-08 05:08:20 | 老いの光影 第5章
なんか変だな・・・・ 

85才になる良婆さんが肺炎で入院した。
2週間余りの治療で、無事明日退院となる。

退院間際の良婆さんの状態把握目的で、昨日病室を訪れた。

数分前の出来事や会話を忘れ去り、同じ話を繰り返す彼女。
下肢の筋力は衰え、
つかまり歩きか両手をつかみながらの手引き歩行は、
かろうじて維持できていて、
トイレまで用足しができることに、ホッとした。

食事は、「全粥」「キザミ食」で、自力摂取できる。
入院時の様子を説明して頂いた看護師に尋ねた。
「全粥になったのは、飲み込みが悪いのですか」
 「病院では高齢者の患者は全粥、キザミ食で対応しています」
「軟飯とか、おかずも固いものでなければ普通食にしても大丈夫ですよね」
 「様子を見ながら変えていけば大丈夫だと思います・・・・・」

どうして“高齢者だから全粥、キザミになる”のだろうか。
自分はいつも理解に苦しんでいる。
ご飯もおかずも普通食を摂れるのに
高齢だからという理由で、どうしてそうなるのか。

全粥にすると噛まなくても、するっと飲み込みができ、食事時間も短縮できる。
高齢者はご飯を食べる時間がかかり、下膳が遅くなる。

普通に食べれる老人が、全粥にすることで
噛む力、飲み込み力、顎の筋力などが低下していく。
病院は医療専門職の集まっているところである。

言語療法士もおり看護師もいる
人間は口から食べることで元気になる。
食べれる力があるのであれば、全粥ではなく普通食であるはずなのに・・・・・

それなのにどうして?
嚥下に支障があり誤嚥性肺炎の危惧があるのなら理解できるのだが・・・・・

“肺炎は治りました”けど
食事摂取は、入院時前のレベルよりは低下し、全粥、キザミ食になりました。

良婆さんに限らず、確かに多床室の他の老人も“全粥”
これってなんか変だな、と思うのは、自分だけなのか。

退院間際まで、全粥、キザミだったので
家族は家に帰っても同じく全粥になってしまう。

咀嚼力や飲み込みに問題なければ
家族やデイサービスのスタッフには
軟飯にし様子を見ながら普通食に替えていきましょう、と声をかけている。

二日酔いの朝食、ときにはお粥も美味しく感じることもある。





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4 コメント

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組織の判断・・ (Ray)
2019-05-08 12:56:49
こんにちは☆ 星光輝さま☆

実は、私の母が、数年前に、階段から 後ろ向きに落ちて
背骨を圧迫骨折したとき、
入院する? しない? ということになりました。

そのとき、病院の先生が
「入院すると、たった 1泊 で、ぼける人がいます」
とおっしゃって・・

それを聞いた母は、絶対に入院しない! と云って
家に帰ってきました。


どうして、たった1泊で、そうなってしまう かたが、いらっしゃるのか・・?


それを、是非、専門家の方々に研究していただき、
改善に努めていただきたいと感じます。

だって、これから、どんどん、私も含めて
高齢者が増えてゆくのですもの。


そして、星光輝さまのお話を読ませていただいて
「こういうこと ←1泊だけでぼけてしまうこと」 の 「原因のひとつ」 は
「きっと これだ! ← 高齢者のかたの食事は、全員おかゆと刻み食 」 と、感じました。


改善したら、その分、手間がかかって
入院費が上がってしまうのでしょうか?

人件費がかかってしまって、病院の運営の成り立ちが
難しくなってしまうのでしょうか?


地獄の沙汰も金次第、と、聞きますが
せめて、現世では、もう少し。。なんとかなればいいなぁと
考えさせられます・・  Ray
返信する
Unknown (星光輝)
2019-05-09 08:27:26
Ray sama

老人が転び骨折すると
惚けたり寝たきりになりやすい、とよく言われる。

歩けなくなることで
やれることが少なくなり
自由も制限される

いままでできたこともできなくなり
他者の手をかりなければ生きていけない

人間何もしたくない、という気持ちになるが
いざ、何もしないでいるほど苦痛なものはない

病院 入院生活はその典型的なもので
なにもしない日々の時間は
非日常的な時間が
実は惚けていく下地がそこにある

Ray samaが
私の拙いブログの中で
直観的に感じたことはとても大切な事です

よく専門バカという言葉があります
医療は病気を治す つまり延命治療に力を注いでいる

老人の場合は慢性疾患で治らずにそのまま死をむかえる
医療にとっては老人医療や老人看護は、医療最先端をいく分野ではないので重視されにくい

しかし人間が老い病み死んで逝くとき
医療や看護、そして介護もどう関わっていくのか

生命は老いても尊いものだとおもうのだが




返信する
悲しいけれど悔しいけれど (はな)
2019-05-09 11:12:53
『一人ひとりの患者のために全力を注いでください』と願うのは
今の医療・介護の世界では無理なのでしょう。
(大金持ちの人には可能でしょうけれど)

常に人手不足とのことですから
パジャマ交換でさえ 見舞い家族の再々来る患者優先とのことですし
食事は もちろん短時間で終わらせたい。
欲しくなければ食べなければよろしいくらいですし。

家族が付かなければ 見捨てられている部分が多いようです。
良く言えば手が足りないから仕方がないらしいのですが
刻み食は 材料がなんであっても(売れ残りであっても)料理には使えますし 栄養バランスさえ取れていれば 鳥のエサ感覚でもよろしいのでしょう。

刻み食も誤嚥からは逃れられませんから。

年取ってからの入院は ましてや 認知にでもかかってしまえば 病院側は楽ちんです^^ 
それが現実だと 肌にしみて感じています。
返信する
医療の光と影 (星光輝)
2019-05-09 11:43:55
はな さま

はなさまのコメントの通り
自分も同じように感じています

先端医療が進歩し、光の部分にあるが
老人医療は、ある政治家の言葉や考えは
枯木に水をやるような感覚でとらえているところがあります。

ナイチンゲールが書いた「看護覚え書き」の本は
看護学校に入学した最初に読まされ、必ずと言っていいほどレポート提出をさせられます
介護施設や病院で介護員や看護助手がしている介護こそが、本来の看護師の仕事なのです。

食事だけでなく
排せつも同じ
トイレまで歩くのが怪しい老人は、
尿管を容赦なく入れてしまうのです。

ある機能を奪いとおていくような日本の老人看護。

人間老い病み、そしてどこで死ぬかは
大きな問題です。
まだまだ病院神話が根強い現世です。
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