ブロック塀に這うように咲いた青い花、無知な私は花の名前がわからない
床に臨む
ブログ36 臨床 (再掲 一部書き直し)
砂時計から落下する砂を見ていると
流れ往く時間に映る。
落ち往く砂は早く
残された砂は少なくなってきた。
老人にとっても
わたしとっても
残された星の砂は
大切な時間である。
老人の顔に深く刻みこまれた皺、
節くれだった手指から、
わたしはなにを感じながら
なにを話すのでしょうか。
病院のなかで“臨床経験”という言葉をよく耳にする。
読んで字の如く「床に臨む」となり
「床」つまりベッドに寝ている人は患者=病人であり
「臨む人」は医師や看護師である。
直訳すると ベッドで痛み苦しみを抱きながら病魔と闘っている患者に対し、向き合っている医師、看護師は 何を為さねばならないのか。
介護の世界においても同じである。
ベッドは畳(たたみ)一畳の限られた時空間のなかで、
寝たきり老人は生活している。
ベッドに臥床(がしょう)している老人と目の前にしたとき、
わたしは、どんな言葉をかけていくのだろうか。
十年間寝たきりのある老人がいた。
長い間家族から離れ そして友人が住む地域から離れ じっと耐え 生きてきた十年間。
明日のことよりも 今日を精一杯生きていくことだけを考え、
今日まで生かされてきた。
残り少なくなってきたあなたの時間
わたしの時間を あなたにプレゼントする思いで
ゆっくりと流れる時間のなかで
あなたの傍に居たい