老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1112;臨  床

2019-05-17 16:24:37 | 介護の深淵
ブロック塀に這うように咲いた青い花、無知な私は花の名前がわからない 

床に臨む
ブログ36 臨床 (再掲 一部書き直し)

砂時計から落下する砂を見ていると
流れ往く時間に映る。
落ち往く砂は早く
残された砂は少なくなってきた。

老人にとっても 
わたしとっても 
残された星の砂は
大切な時間である。

老人の顔に深く刻みこまれた皺、
節くれだった手指から、
わたしはなにを感じながら 
なにを話すのでしょうか。

病院のなかで“臨床経験”という言葉をよく耳にする。
読んで字の如く「床に臨む」となり
「床」つまりベッドに寝ている人は患者=病人であり
「臨む人」は医師や看護師である。
直訳すると ベッドで痛み苦しみを抱きながら病魔と闘っている患者に対し、向き合っている医師、看護師は 何を為さねばならないのか。

介護の世界においても同じである。

ベッドは畳(たたみ)一畳の限られた時空間のなかで、
寝たきり老人は生活している。
ベッドに臥床(がしょう)している老人と目の前にしたとき、
わたしは、どんな言葉をかけていくのだろうか。

十年間寝たきりのある老人がいた。
長い間家族から離れ そして友人が住む地域から離れ じっと耐え 生きてきた十年間。
明日のことよりも 今日を精一杯生きていくことだけを考え、
今日まで生かされてきた。

残り少なくなってきたあなたの時間
わたしの時間を あなたにプレゼントする思いで
ゆっくりと流れる時間のなかで 
あなたの傍に居たい

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1111 ; 奇想天外

2019-05-17 02:51:07 | 老いの光影 第5章
奇想天外
1111 ゾロ目のブログ回数


さくらさくらデイサービスに通う老人の中に
思いもつかない行動をとり、言葉を失うこともある。

5月で93才になった嶋倉千代子さんは、70才の長男と二人暮らし
先日デイサービスで、トイレで衣服を脱ぎ全裸になっていた
トイレを浴室と勘違いしたのであろうか


千代子さん、トイレから出てきた彼女の右の掌に
黄土色の丸い餡子玉のようなものが乗っていた。
彼女の唇は“餡子”が着いていた。


5月で89才になった久佐木敏子さんは、長男夫婦家族と暮らし6人家族
糞尿で汚れた洋服とズボンを旧式の石油ストーブの上に乗せていた
火が点いている石油ストーブの上に衣服を置いたら火事になり家が燃えてしまうよ
“(衣服が)濡れているから大丈夫だ、と思った”と敏子さんは答えた

元小学校教員だった彼女、乾いた衣服、ズボンは、所々茶黒く焦げ穴があき、それを着ていた
もの凄い糞尿が鼻につき大変だった


89才の小林軽樹さん 
いつも糞尿をした後、尻を拭かずにトイレから出てくる
軟便の彼、肛門に便付着したまま椅子に坐り気持ち悪くないのであろうか


《おまけ》
卵かけご飯にしようと
卵を割ったら
ヒヨコが出てきた
そんなことありえない
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