老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1099;~してもらうばかりでは申し訳ない

2019-05-10 02:15:30 | 介護の深淵
~してもらうばかりでは申し訳ない

お隣さんの家は、あちこち出かけられ、お土産を頂く。
いまは道の駅も増え、その土地の名産品などを増えてきた。
めずらしい物を頂くと、
「ありがとうございます」「いつももらうばかりで悪いですね」、と言葉を返す。

お隣さんからお土産を頂いているばかりいると
流石に気が引けてしまう。
するとお返しという気持ちになり
自分もちょいと旅に出たとき、お隣さんにお土産を買って帰る。

近所や親戚のつきあいは、「頂いたり」「返したり」の関係にある。
どちらかが一方的な関係にはない。
“お互い様”の関係にある。

介護も同じである。

老い齢を重ねていくと
昨日まで「できていた」ことが、今日は「できなくなる」。
そうすると他者の手を借りなければならなくなる。

トイレに行くのもままならず、手引き歩行の世話になる。
申し訳ないからという気持ちから、独り(単独)で行こうとするも、
ふらつき、運不運の差で
運よく転ばなかったり、不運にも転んだりしてしまう。
幸い骨折がないときは、ホッと胸をなでおろす。

転んだらそれこそ大腿骨骨折し寝たきりになり、誰かの手を借りることが増え、
「申し訳ない」の気持ちが増幅してくる。
だからだから、独りでトイレに行かないで、と何度もお願いするのだが、
“~してもらうばかりで申し訳ない”という老人の気持ちが見え隠れする。

介護者は介助を行うとき、
老人の気持ちを推し量ることが大切。
少しでも自分で「できる」ことがあれば、やっていただく。
またやって頂くよう話しかけていく。
そして不十分であっても(完璧でなくても)「できた」(やってもらった)ときは、相手を褒める。


例えば、トイレのなかでの介助のとき、
老人が「できる」こと、「できない」ことを見分ける力と手のかけかた(介助の度合い)について
1101ブログで書いていきたい。

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