老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

548;在宅で見送る(看取る)ことの難しさ

2017-11-16 11:02:20 | 老いの光影

在宅で見送る(看取る)ことの難しさ 

昨日9時30分過ぎにスマホが鳴った
磯野さざえさんの声で「いつもおばあちゃんより元気がなくどうしたらいいか」
〔呼びかけても反応はありますか〕
「反応はあります」
〔血圧計ありますか〕
「血圧計壊れていて使えない」
〔血圧計持っていきます〕
〔電話だけでは様子がわからないので、今から伺います。それで私ごとで申し訳ないのだが、
肋骨骨折したので行くのに時間がかかるのでお待ち頂けますか。必ず行きます〕
5km先にあるさくらさくらデイサービスに電話をかけた。
センター長に「悪いけど血圧計とSpO2を持ってきてくれる。
ついでに私を乗せ磯野さん宅まで行くことできる?」とお願いする。
30分後にさざえさんから電話が入る「起きてご飯を少し食べたらいくらか元気になった」
〔良かった、いま向かっていますので間もなく着きます〕(私の自宅から車で7分程度)

磯野さん宅に着き、隠居宅の玄関を入ると居間兼寝室である。
フネさんはベッドに寝ていて、顔色は青白く目は窪み、
呼吸も荒かった(下顎呼吸の状態ではなかった)。
サザエさんは、どうしていいか戸惑っておられた。
血圧は上は151(いつもは100そこそこ)、SpO2測定すると「74」の数値
もう一度ど人指し指に挿入に測定すると「67」であった。
これでは呼吸するのも苦しいし、歩けるような状態ではなかった。
〔救急車を呼び、救急外来受診させた方がいいのでは〕、とサザエさんに話を持ちかけた。
「お願いします」ということになり、5分後には救急隊は到着。
救急隊員はSpO2を測定すると低く「66」であり、5の酸素吸入
タンカーに乗せ救急車に移動。20数分後に受入病院が決まり、救急車は走り去った。

7日から10日の入院予定で阿武隈総合病院入院となった。

今度同じような状態になったとき、阿武隈総合病院は入院を受け入れてくれるかどうか。
老衰のような症状のとき、在宅で看取りをとい医師から告げられるが
サザエさんにしてみれば、看取りの経験がないだけにどうしていいか不安である。
〔入院期間中に退院後どうしたらいいか、相談していきましょう〕ということになった。

昔は、庶民の生活は貧しく
おいそれと入院することはできなかった。
床に臥し、飲食もできなくなり老衰になると
(自宅の)畳の上で見送りをするのは
どの家庭においても普通の「死の風景」であった。

昔より訪問診療や訪問看護があっても
在宅で見送る(看取る)ことに不安や躊躇いがあり
病院での最期の治療を望む
”畳の上で(住み慣れたわが家で)死にたい”と本人が希望され
家族も本人の希望を叶えようと見送る強い覚悟が必要になる。

どうしても本人が苦しむ状態を見ると、悩みや葛藤が生じる。
それには勿論 在宅診療医師、訪問看護、訪問介護、ケアマネジャーなどの
連携になってくる

どこで死ぬか、
自分のことならば決められるが
他人のこととなるとなかなか難しい
昔の方がよかった、という老人の呟きが頭の中を過ぎる

確かにそうである
不便で生活は豊ではなかった
死ぬ場所にしても、悩むことはなかった

あなたは老い行き
死が近づいたら
何処で死にたいですか





最新の画像もっと見る

コメントを投稿