老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1356;万華鏡・家族模様・介護 {2}

2020-01-12 04:38:00 | 老いの光影
万華鏡・家族模様・介護 {2}

                阿武隈川の辺 朝焼けのなかを散歩

「お袋の味」「家庭の味」は、その家族の味文化になり、
お袋の味を懐かしく思い出すことがある。
料理の上手下手は別にして(下手より上手のほうがいいけれども)、
大切なことは、大人になったとき母の料理を思い出し、
それが母からの愛情表現の一つであったことを知る。

93歳になるある婆さん(要介護2)は、心臓と肺に水が溜まり急性心不全の診断により約1月ほど入院した。
病院は病気を治す処
急性心不全は治癒したけれども
退院のとき歩けなくなり、また紙おむつになり尿失禁、洋式便器で用を足すことができなくなった。
家族にとり、家に戻ってからの介護が大変になるのは明らかであった。
(退院時に要介護認定区分変更の申請を行った)

以前にも書いたが自分が住む街には2つの病院がある。
どちらも入院したら疾病に関係なく「全粥」になる。
全粥にすることで、噛む力、飲み込む力、口・歯・歯茎・顎の力・頬や喉の筋力などが低下。
全粥は噛まずとも流し込むだけだから、噛まないことにより脳細胞に対する刺激も希薄してしまう。

人間、口から食べることで元気になる
塩分など「制限」された食事を守ることも大切だが(否定ではない)
先ずは栄養があろうがなかろうが、本人にとり「好きな物」を口から食べることで、生き返るのである。
元気になるまで全粥を摂取しても「元気」にならず、退院までお粥が続く。

介護状態は要介護4にまでレベルが下がったのではないか、と思うほどであった。
同じ屋根の下に、彼女と長男夫婦が住んでいる。
彼女(姑)と長男嫁との関係は最悪で、退院時長男は病院の看護師、管理栄養士などに
「妻は一切老母の介護はしない、と言っているし、私も介護をさせる考えはない」
と、声高に話されていた。

姑と長男嫁は同じ屋根の下に住んできたけれども、二人の溝は埋まるどころか、柵のまま来た。
いまも同じテーブルで向かい合いながら食事をすることはなく、隠居部屋で食事を摂っている。

長男がスーパーで買って来てくれた生卵、納豆、冷凍食品が冷蔵庫にあるだけで
果物や老母が好きな食べ物は入ってはいなかった。

長男は一緒に暮らしていても 老母の本当の姿は把握していなかった。

同じ屋根の下に住んでいても、老親の介護をしていない人ほど
デイサービスや訪問介護の事業所に「クレーム」や一方的な「要望」が多い(長男もその一人)。
家族のことをこんなふうに見ている自分はケアマネジャー失格なのかもしれない。

老親の介護を一生懸命なさっている家族は、「介護の苦労」を骨身に滲みるほどわっかっていらっしゃるので、
デイサービスやヘルパーが、チョットした失敗やあやまちに対し、
責めることなく笑いながら「そんなこと気にしないで」と許してくれる。

退院して2日後、老母は水分も食事もほとんど摂らずじまい。
利尿剤を服用しているのに尿もチビチビ状態。
近くにあるかかりつけの内科医院の主治医に電話をかけ、
夕方長男が付き添っていきますので「診察をよろしくお願いします」、と電話で依頼。
その後すぐに長男の職場に電話を入れ、老母の通院をお願いした。

家に帰り、老母の前にだされた食事は
「梅入り全粥」、カップ麺の「うどん」であった。
本人が「武田鉄矢のどんべえ」食べたい、と言ったので出したら
一口食べただけで「食べたくない」と返された。
食べないときは「インシュアリキット」を飲ませてたいた。

老母は、刺身や卵かけご飯、納豆、ラーメンなどである
お粥に卵とじしたもの、まぐろたたき、豆腐(卵豆腐)、ヨーグルトなどなど
口から食べれる物はあるのに、そこまで思いが浮かばない長男。


病院で年を越し正月を迎えた彼女。
長男の面会は櫛の歯が欠けたような状態であっても
長男夫婦が住む家に帰りたい、と漏らしていた彼女。
退院した日に老母に「何か食べたい物がないか」、と長男は尋ねることもなかった。

いま、幸せかどうかは、彼女しかわからない。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿