老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1346;老母の介護に疲れた(再掲)

2020-01-04 11:34:31 | 老いの光影
令和2年1月3日 筑波山と朝焼け (旧下館市から望む)

老母の介護に疲れた

老いた母親の介護は疲れ果てた、長女は話す

顔は一回りちいさくなり目は窪み
どうしていいかわからない

デイサービス(定員30名)からも
ショートからも
「もうみられない」というようなことを
言われてしまった

この先どうすればいいのか
その夜 急いで夕食をすませ長女宅を訪れた

長女の深く暗い悩みに
耳を傾けた

老母は
夜中十分おきに起きトイレへ行く
数度、夜中、外へ出だし歩き始める
外へでたときは後ろからついて行く

「私の体のほうが悲鳴をあげている」
「もう横になりたい」
「もう眠りたい」
と長女はか弱い声で話す

老母が認知症であることを
始めて、そしてやっと認めた長女

長女は母親との軋轢を話してくれた
娘からみれば母親ではなかった
東日本大地震のとき
「娘にやる米はない」と言われた
「母ではなく鬼だと」思った

母は何も変わってはいなかった
子どもだったときから
母親と温かい言葉を交わしたことがなかった

それでも私の母親には変わりはないと思い
介護をし続けている私

糖尿病で手を煩わせている母
認知症でてこずらせている母
まだ家でお世話していきたい、と

長女が抱えている悩み、不安、葛藤、疲労、憔悴など
絡み合った糸をほぐすためにも
彼女の話を最初から最後まで聴いた


聴くことの大切さと
介護に疲れ果てた介護者の支援をどう進めてゆくのか
「ロング」ショート(変な英語表現、業界用語、月に30日のショートステイの利用、翌月も30日の利用)か
介護施設に入所させれば 家族の負担は解決するが、長女は疲れても「まだ、家でお世話そしていきたい」
本当にどうしていいか、悩んだことも事実でした。

10名定員の地域密着型デイサービスの利用により
利用開始後、3日目には昼夜逆転は消失し、夜、外へ出ることもなくなった
いまは、老いた母は「星」となった。
忘れた頃に 長女から電話が入り 地域密着型デイサービスに野菜・米を届けてくれている

                              
(令和2年1月4日記す)

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4 コメント

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Unknown (グライセン)
2020-01-04 13:20:43
私は義父を自宅で看取りました。
脳梗塞から認知になり最後は当時介護をするのはもはや限界と医者から言われましたが、・・・
夫のサブもありましたが大変でした。それでも施設は考えられなかった・・・なぜなら長男の家を追い出されて我が家に来たからです。
ヘルパーさんはマックス午前中、午後と入ってくれていました。随分助かったかな。
介護は一人では無理ですよね。義父もショートステイや(自分たちが休むため)デイに行ってもらった事もありました。
今はあの時ああすれば、ああしてあげれば、はあまり考えないようにしています。
なぜなら、介護に100点は無いからです。
現状精一杯やった・・・そこで満足してあげないと自分がかわいそうですもの。
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介護 精一杯やった (星光輝)
2020-01-04 17:19:12
義父様の介護、本当にお疲れ様でした。
仕事として介護に従事されている介護職員やサービス事業所の介護においても100点は無いです。
自分も認知症になった母親を呼び、同居し介護をしました。他人の介護よりも実母の介護の方が難しく、感情が入ってきました。
亡くなってから、「あの時ああすれば、ああしてあげれば」と思うこともありましたが、グライセンさんがおっしゃるように自分なりに「精一杯やった」。
そのことについて自分を褒めてもよいのではないか、と思います。
自分たちが休むためにショートをご利用されたことも
よかったと思います。
頑張った家族、精一杯介護をされた家族は、本当に介護の大変さや苦労、いつまで続くかわからない不安などその心労は、介護をされた人でないとわからない、と思います。
自分はケアマネジャーに身を置いていますが、利用者やその家族の気持ちをどこまで汲み取っているのか、不安にかられることもあります。
グライセンさんの貴重な介護体験のコメントを頂きありがとうございました
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解放 (はな)
2020-01-15 05:32:42
私は自分の時を考えると
長く生き延びさせられるのはごめんです。
本人が希望するのであれば
どんな方法をとっても生き続けさせてあげればよいのでしょうけれど
生き地獄という言葉
私は母を見て知りました。

母は 思ってもみなかった突然のお迎えで
あっけなく楽になれましたが
再強運と言われ続けた母も 最期半年は
無理やり生き永らえさせられたため
結局本人も辛くて 可哀そうでした。

その原因が無知であった私にあると・・・
いまだにそれだけが悲しいのです。

食べられなくなったときは
お迎えが近づいた合図であると
おしっこも出なくなり
点滴の針も入らなくなったときは
病院へ送って無理やり治療をするよりも
私は覚悟をを決めたほうが良かったと

母を思い浮かべるつどに
大きな大きな反省をしております。

病院も介護も患者を生き永らえさせるところ
それが本人の幸せかどうかは・・・
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Unknown (星光輝)
2020-01-16 08:45:24
はな さま

今年もよろしくおねがいします
誰しもかどうかはわからないけれど
人間は不老不死を夢見るのか
健康ならば長生きしたい

教育思想家ルソーは、
人生は長く生きることよりも
どう生きたか、生きた質の方を問わねばならない。

大切だった老親の介護
見送ってから
後悔やら反省やら
いろいろと渦巻きますが
その時は精一杯介護なされ、
またその時の判断で決めなされたことは
お母様自身は無言であっても
感謝の気持ちで逝かれたことと思います。

亡くなられたお母様の顔は
穏やか、安らか、眠っているような顔だった、と思います。

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