老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

102;塀の中の介護風景

2017-05-15 22:19:30 | 読む 聞く 見る
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元民主党衆議院議員で、
政策秘書給与の流与事件を起こし、
2001年2月に実刑判決を受けた山本譲司は、
栃木県黒羽刑務所での獄中生活を綴った『獄窓記』(新潮文庫 平成20年2月1日発行)のなかで、
興味深い内容が書かれてあった。

山本さんは、
身体の不自由な同囚や認知症を抱えた
同囚の世話(介護)を行う仕事に就いた。
「人のウンコの後始末をするなんて、初めは、みんな嫌なもんですよ。・・・・自分の子供のウンコだと思えばいいんですよ」(前掲書252頁)。
同囚Mは、失禁をしてしまい介助にあたった山本さんに話しかける。
「私ね、いつも思ってるんですよ。
いっそうのこと、周りの人たちみたいに、
頭の中もいかれちゃったほうがいいんじゃないかってね。
そのほうが、どんなに楽かって・・・・・。
でもやっぱり、彼らは彼らで、心のどこかに、
恥ずかしさとか申し訳なさといった気持ちもあるんでしょうね」(前掲書255頁)。 

67歳になる認知症の同囚は
「いつも、水道の水は、流しっ放しだった。
流しの排水口には、食べ滓(かす)などの汚物が詰っており、
流しから水が溢れ出そうになっている」(前掲書270頁)。

要介護状態にある囚人、
同じ塀の中で過ごす同囚から介護を受けなければならない。
塀の外であっても塀の中であっても、
他人から下の世話を受けることは、
恥ずかしく惨めな気持ちになる

「下半身が露(あらわ)になったが、太股(ふともも)にも、排泄物が漏れている」。
M同囚は、「こんな姿、人には見せたくないんですけど・・・・。
手と肛門の動きがうまく機能しなくなっちゃったんですもんね。
しょうがないです」(前掲書255頁)。

塀の中の介護風景という違った世界から、
介護というものを考えさせられた。


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