よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

完璧じゃないから、完璧。

2019年11月07日 | コラム
10月から「旅するスペイン語」を視聴している。
旅人役のシシド・カフカさんがミステリアスな美人でとても素敵だ。ちょっと常盤貴子さんに似ている。
スペイン語を覚えるというよりも、風景や文化を眺めて旅行している気分に浸れるのが楽しい。

今日はカフカさんがアルゼンチン風の絵を教わっていた。
絵の先生が「竹の絵を描いてみましょう」と促した後
「完璧な竹を描こうとしないで。自然は、完璧な姿形ではないでしょう?だからこそ、完璧なの」
と微笑んだ。深い言葉だと思った。

真っ直ぐな幹もあれば、少し萎びて変色しているものもある。
太さも色もそろっていない。葉も同じ方向に向いておらず、大きさも形もすべて不均衡だ。
だから面白く味わい深い。

人間もそうだ。ひとつの定型が優れているわけではない。
まったく同じ形、同じ個性の人は存在しない。自然の摂理に従うならそこに優劣は多分ない。

まっすぐなキュウリがすばらしく、曲がったキュウリはだめ、というのは人間の評価に過ぎない。

100円玉に穿たれた桜は皆同じ方向を向いていて、咲き誇っているが面白味はない。
開いているものや、萎れているもの、よそ見をしているもの、自然の桜はそんな感じだ。
人間も同じ。整然としていないから面白い。



人間がみな北朝鮮の隊列みたいになったらつまらない

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