よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

おとな小学生(益田ミリ)

2015年09月16日 | 読書
このところ益田ミリさんのエッセイを連続的に読んだ。



『おとな小学生』では大人の私と小学生の私が対話していく。

小学生「今までで一番楽しかったことは?」
おとな「大人は『一番』を即答しない者なんだよ」

小学生「後悔してることある?」
おとな「あるある。それが強さになるんだよ」

小学生「こどもの私に戻りたいってことある?」
おとな「大丈夫、ないよ。大きくなっていいんだよ」


この会話がしみじみ味わい深い。

益田さんの他の著書(手元にないので書名曖昧)で、
小学生の姪に30代半ばの叔母が「なぜ結婚しないの?」と問われ

「あのね、質問に全部答える必要はないんだよ。
  そうするとね、見失うんだよ。
    自分を」
と返答するシーンも、染み入るものがあった。


問いや期待や想い、自分に向けられるすべてに答えようとしなくてよい。

後悔や恥はいずれ強さに変わる。

過去を振り返ることなく、いつも前を向いて進んでいける。

益田さんの本には幾何かの棘も含まれているが、同時に優しさも詰め込まれていて、切なくて温かい気分になる。

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インナーチャイルドは回復に有効か?

2015年09月15日 | コラム
以前、カウンセリングを受けた時に「子どものころの貴女を想像し、癒してください」という指示が出た。
幼い自分を想像することは容易いが、これにより何か変化するということは皆無だった。

それもそのはず、私が「インナーチャイルドと向き合うことで回復する」という概念に懐疑的だからである。

もちろん、全く無効ではないだろう。

けれど傷が癒えてほぼ支障なく過ごせている状況――若しくは生きづらさを感じつつも普段は忘失していること――を揺り起こすことが果たして正解なのか。

例えていうなら、手術のミスでお腹の中にメスが入ったままで、このままでは内臓を切り刻む、という状況なら開腹すべきだろう。
しかし時々軽く引き攣れた痛みを感じる程度の状況で、既に瘡蓋も消失し、傷跡もわからない程度の時に、再度傷を暴く必要はあるのだろうか。

私は、疑問があるときは「自然界はどうしているだろう」と思いを巡らせる。
おそらく、トラウマは必要だ。
楽しい経験よりも、苦い経験を記憶するほうが生き延びられる。

美味い餌があっても、そこで仲間が殺された場合、大抵の動物はそれを決して忘れず、同じ轍を踏まないように用心する。

動物たちは、常に未来を生きるように歩を進めている。

懐古に浸り、子ども時代の問題を炙り出そうとはしない、おそらくは。


人間と動物を比べるのは些か乱暴かもしれないが、「生きる」ための本能や智慧は、きっと動物たちのほうが真っ当だろう。



少し前に知人のヒーラーさんから「過去を振り返るワーク」という宿題を出された。
私は割と真面目なので、黙々と取り組んだが…その後の精神状態の低迷といったら!

無論、これは万人に該当する概念ではない。
しかし、私にはまったく向かないというか、かなり逆効果だった。

マイナスな出来事も生きる上での財産になる。
そして忘却することも、前に向かって生きるために必要な脳の働きだ。

だから私は、今後「過去にフォーカスする生き方」から疎遠でいようと思っている。

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死ぬ気まんまん

2015年09月06日 | 断捨離
佐野洋子さんの『死ぬ気まんまん』を読んで、少し思索に耽る。



簡単にいえば乳がんになった佐野さんが死ぬ気で余命2年を過ごしていたが、意外にも元気であって…という立場から語っているものだ。


私も佐野さん同様、壮絶な闘病記とかいうのは嫌いな性質で、その手の本や番組は見ない。

死ぬと決まったら淡々と受け入れるし、苦しまずに逝ければいいなと思う程度だ。

できれば長生きは避けたいが、父方の親戚筋にガンはおらず、母方には若干いるものの皆ヘビースモーカー。
私は酒も煙草もやらないので、多分9割方ガンにはなるまい。
そう思って乳がん・子宮頸がん検診も受診していない。

手遅れになったら、それが定命なのだ。


むしろ延々生き続けて――例えて言うなら『火の鳥』のマサトのようにたった一人で宇宙の果てで何億年も生きるほうが――地獄だと思っている。

そんな話を20代のころに友人にしたら「それはあなたが健康だからだ。いざ余命宣告をされたらひとは誰でも動揺する」と返された。

それから随分年を経てきたが、やはり私も「死ぬ気まんまん」かもしれない。
エンディングノートも作成したし、身辺整理も進めている。

50代から始めるよう説いている本も多いが、その時に今の体力とモチベーションが維持されているか、甚だ心もとないので、思い立った今、行うのだ。




そもそも私が断捨離人になったきっかけは、初海外旅行だった。

「もし飛行機が落ちたら、部屋の中に見られたくないものを遺しておきたくない」
「散らかした状態で逝きたくない」

出発点はそこからだった。

毎月末に大掃除する習わしに加え、長期旅行の時も集中して片づけを行い、いつお迎えが来ても見苦しくないように整えているが、どうも私は死神と相性が悪いらしく、いまだに邂逅することはない。

よく引き寄せの法則をうたう人たちは「思考は現実化する」というが、私はますます旅行運がアップし概ね快適な時間を過ごしている。

これは「掃除力」によるものか、私の思考力が脆弱なのかは不明だが。

取りあえず運命に逆らわず生きてみようと思っている。

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太宰府天満宮

2015年09月05日 | 神社仏閣
台風のため、高速道路は通行止めになり、予定していた熊本城はキャンセル。

私は城好きじゃないのでむしろ歓迎

興味がないので、どの城も同じに見えてしまう。

若手アイドルグループの顔の見分けがつかないとか、
韓国ドラマの女優の顔が全部同じに見えるとか、
山茶花と椿の差がわからないとか、

そういうのはほぼ、関心の薄さに因るのではないかと思う。

私は城と言えば「展示物があって、上の階が展望室になっていて
市内を一望できる場所」くらいの認識だもの。


というわけで、最終日は太宰府天満宮のみの観光。
高速道路を使わずの移動だったが、結構面白かった。

東京にも湯島天神、亀戸天神など菅公を祀ったお社はあまたあるが、
その本家というのが、この太宰府天満宮なのだ。


本殿




撫で牛
頭をなでて「賢くなりますように」と願った。


普段「くわばら、くわばら」など唱える習慣はないが、
いつも天気運が良い私には雷除けの神様がついているのかもしれない。

近いうちに試験を受ける知人3名のため、学業守鉛筆を求める。

梅が枝餅が名物なのだそうだが、台風のため営業していなかった…

湯島天神近くにも、美味しい和スイーツがあるのでそれほどがっかりはしないけど




福岡空港で夕飯のお弁当を食べ、飛行機で東京へ。
例によってダイヤが乱れることもなく(その直前の便はダイヤ乱れを起こしていた)
無事に帰宅できた。

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三愛高原ホテル(黒川温泉)

2015年09月04日 | 旅行
三愛高原ホテルに宿泊。

黒川温泉めぐりをする方々も多かったが、
私はホテルの温泉だけでいいと思ったので早目にごろごろする。





和洋折衷の素敵なお部屋。


窓からプールも見える(誰も使用していない)。



(公式サイトから転用)
露天風呂に浸かったが、台風が近づいていたため雨が降り始め寒いこと!

内風呂に何回か入り、ひたすら部屋でゴロゴロする。
テレビを見て、うだうだと。
普段、テレビを見ないほうなので、ちょっと新鮮。






夕食

天気運はいいので、移動中の直撃はなかった。
つまり…夜、寝ているときに台風が通過したのだ。

普段から寝つきが良くないので、殆ど眠れず、ちょっと辛かった。






朝食
混雑しておらずほっとした。

それにしても2日続けてバイキングは非常によろしくない。
この後、体重計に乗って大ショックを受ける羽目になるのだから。


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