chargeのブログ

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D.CⅢを見る

2013-03-18 12:39:20 | 日記
 撮りだめしたD.CⅢを見たが、なんとなく自分の実感と著しく異なるというのが毎回思うことだった。
 他の人の情報が伝わってこないので良くわからないが、女の子は自分のそばにいないし、人間は自分にはあまりフレンドリーでなく、優しい事は自分のいないところではあまり言われない、良いと思って有害なことをしてくる人物がいるが、自分も社会的には良い事なのかと思って同じお返しをするとなぜか感じとって逃げていくというのが近いところの風景に対する実感の世界に生きていて、もはや、サーカスの大道芸も風に戦ぐ葉っぱや雲の流れを見ているのと似た環境雑音にしか過ぎないと感じるようになっている。
 人を叱って、げんこつをくれたりして直そうとする行為があるが、自分の場合、怒られると致命傷になる場合が多いので仕事自体がやりたくなくなり逃げて回るということが小さいころからの習性であって、危ない事になって必要なことが出来ないと感じていたり、言われなくてもわかっているはずだという前提でいろんなことをやってくる人がいるが、天動説や霊魂の実在を唱え、階級差別を行い、有害なものを薦める昔あった誤った考えを否定することを教えながら、結構多くが昔の人物を支持しろと言っているわけでそれが前提となっていてもはやわからず気持ちが良くないと思っていたりする人間を殆ど見たことがないが、D.CⅢはその感性で描かれていないのは明らかであり、見るほど社会が自分のことを受け入れることなどないのだと心のどこかで思ってしまいそうになる。
 それならば見なければ良いのではないかと思うのだが、自分が一人で膨大な時間をかけて同じものを作っても誰も見ないであろうアニメをプロが共同して多くの人が良く見える条件で提供し、到達できないくらい高い能力と努力で分子動力学を必要とするくらいのグラフィックや自分が練習を放棄した音楽を大人になっても続けてかなりうまくやって仕上げてくれる人が居る事に感謝していて、自分と異なる考え方を持っていても社会ではメジャーなはずなので自分を曲げて受け入れる事には快感があることを知ってしまったために今まで習慣を続けてしまっている。
 昔は内部にある物理法則はどうでも感情が実体世界で応用が利くものである期待があったのだが、自分には機会も能力もなく、状況も悪いため自分への約束の反故は許されるために、あのような感情の理想は余計なことになったと自分では感じている。
 D.CⅢを今までの分を見た総論はまだ全部見ていないので上手くいえない。
 明日にする。

 昨日のアベリー・グリフィスの肺炎双球菌の実験についてだが、詳しい論文が見当たらないので実験の方法や手順の細かい部分不明になっている。
 大学の時から一番気にしていることなのだが、どこかに英語で良い(むしろその方が良い)のでおいてないだろうか?


 



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