時々、私は何か発見しようとしているが、本当に発見すると本当にそれで良いのかと思う時がある。
もう人は私の認知できるところは考え付くしているはずなのに、未発見の事象や錯誤が発見されて学習・社会が実体と異なっていたり、前提が違っている事を証明したら、それは解決しようとした苦しみをより一層増やすことが多いわけで失敗と同じといってよいと思う。
ここ数年で人間の認知において気がついたことは、小学校や中学校で学習した内容に出て来た問題を避けているように見え、穴になっていることである。
文章の書き方の一人称、数学の方法のうち余りについて、天秤・てこ、BTB溶液、フェノールフタレイン、チンダル現象、硫化水素の性質、そのほかの小中学生で学習した内容というものがあるのだが、より発展させずにもう学習した事として言及が行われず、浅い理解か使わないにとどまっている人が経験上は意外に多かった。
子供の時に大人になってからとの思考的連続性が途絶える人には正しい事をその前に教えてはいけないのではないかと微妙に感じた。
子供の時に教わっていた内容というのは成長してから学習するような情報量が多く、より厳密である内容とは感じや考え方も違うのだと思うのだが、成長中の子供の時に持っていた考えがほとんど認知バイアスに満ちた誤りだと思い込んで条件反射として正しい内容まで否定し始めたらまずいと思う。
アップグレードでなく総取り替えをする人は多いが、総取り替えした内容に誤りがあったら直せない体制を作るのも偏見に近いがそういう人が多いと感じる。
もう人は私の認知できるところは考え付くしているはずなのに、未発見の事象や錯誤が発見されて学習・社会が実体と異なっていたり、前提が違っている事を証明したら、それは解決しようとした苦しみをより一層増やすことが多いわけで失敗と同じといってよいと思う。
ここ数年で人間の認知において気がついたことは、小学校や中学校で学習した内容に出て来た問題を避けているように見え、穴になっていることである。
文章の書き方の一人称、数学の方法のうち余りについて、天秤・てこ、BTB溶液、フェノールフタレイン、チンダル現象、硫化水素の性質、そのほかの小中学生で学習した内容というものがあるのだが、より発展させずにもう学習した事として言及が行われず、浅い理解か使わないにとどまっている人が経験上は意外に多かった。
子供の時に大人になってからとの思考的連続性が途絶える人には正しい事をその前に教えてはいけないのではないかと微妙に感じた。
子供の時に教わっていた内容というのは成長してから学習するような情報量が多く、より厳密である内容とは感じや考え方も違うのだと思うのだが、成長中の子供の時に持っていた考えがほとんど認知バイアスに満ちた誤りだと思い込んで条件反射として正しい内容まで否定し始めたらまずいと思う。
アップグレードでなく総取り替えをする人は多いが、総取り替えした内容に誤りがあったら直せない体制を作るのも偏見に近いがそういう人が多いと感じる。