Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

Cooking of honesty and superficial本音と建前の料理

2018-10-09 | 人間関係

本音と建前は人との関りの中で

料理しなければならない材料である。

Talk honestly and superficially stated talking

are like cooking ingredients that

should be cooked to have a connection with people.

 

思ったことや感じたことを

そのまま言葉にすることを本音だと定義すると、

食材を加工せず

そのまま食すことに似通っているかもしれない。

If define talking honestly meaning such as,

saying straightly what one thought or how the one felt,

it might has put similarity like eating as it is

without processing the ingredient.

 

建前を表向きに望ましいことを

自らの想いや感じに反して言うことだと定義すると、

食材を加工して

本来の渋味とか苦みとかを取り除いた料理法に比喩できる。

In the same way,

if define official talking such as,

saying contrary to be desirable

against what one thought or how the one felt,

it might has put a metaphor like a cooking method that

removed ingredient’s astringent or bitterness

by processing the ingredients.

 

人と関わっていく中で、

自分の本音、

本心をどう表すかは人格の良し悪しに直結する。

In the process to involving with people,

the thing that how express one’s true intension

or true thinking isdirectly linked to

how the one’s personality good to be or not.

ある程度の年齢に達した人が、

全て本音で貫くとするならば、

その人は孤立されるか、

或いは敵を作ってしまい

人はその人から遠ざかるようになるだろう。

Someone who has reached to aged appropriately,

if the one tries going through with true intension at all,

the one will be isolated or happed to make enemies and

people will be away from the one.

 

しかし、建前だけの人間関係を作ってしまうと、

当たり障りの無い安全な関係になるかもしれないが、

その人に本当のことを言う人がいないがために

孤独になる可能性が高い。

One the other hand,

if someone makes relationship with people

superficially related only,

it may can be safe without harm or offensive

but there is high possibility of to be lonely

because nobody tells a true to the person.

建前のことしか言わない人に、

誰も本音で接しないと思うだろうし、

その人が言っていることに

信用性が無いと人は判断するだろう。

People would not want to be connected genuinely

with someone who always says superficially only,

and people would judge that

the person doesn’t have a credit on what has been said.

 

私は馬鹿正直な面が多く、

どちらかと言うと、

勢いに任せて思ったことを言って

後で後悔するタイプだ。

I have many stupidities on honesty,

to say which am I,

I am the type of person who regrets later

about what I have said my thoughts with my momentum.

その傾向が原因で人の気分を害したり、

人との縁を切られたりしてきたが、

だからといって建前を言うと

後味が悪くてそれがストレスになる。

Such tendency of mine sometimes harms people’s mood or

made me broken out by someone

but even though in case I said just superficially,

it became taste bad and turned to stress.

 

その不協和音から考えると、

私は本音と建前の料理が上手くないがために、

人は私の言葉表現の料理をおいしく食すことが

できないことになるのかも知れない。

Considering such dissonances I made,

it may be caused by my inability

to cook honesty and superficial

so that people are not able to deliciously eat

my cooking of expression language.

 

 

料理をしていると、

味の決め手になるのは塩であると分かってくる。

When I cook,

I come to find the deciding factor of taste is salt.

良い塩は全ての食材の味を統制し、

火力の度合いや水との加減を

仲良くなるように仲介する。

A good salt controls all ingredients taste,

and it intermediates to go along well

with the degree of thermal power and with condensation.

 

塩は食材の分子構造を変え、

新たなうまみの結晶を作り出す。

Salt changes ingredients molecular structure and

crystalize a new flavor.

まずい料理は大概、

塩の分量が適切でないため何かが足りない、

何かが多すぎるがためにできる結果である。

In general, most of bad tasted dishes

resulted by the salt amount and

when it is not appropriately used,

the taste will be like lack something or

something is too much.

 

私は本来、

料理嫌いだったが、

塩の加減の力に魅せられて料理が楽しくなった。

Originally, I didn’t like cooking

but since I have been attracted by the power of salt

the cooking became fun.

料理をする時には、

ある特定の量の塩と

食材に含まれている水分の量が結合して作り出す

味の加減を実験しているような気分で挑んでいる。

When I do a cooking,

I feel like I am challenging an experiment that

finding out an adjustment taste that

resulted by a certain amount of salt,

creating a favor the salt combined

with contained moisture in each ingredient.

 

塩を振りながら、

この塩がもたらす結果に期待し、

味わってみて

私が使った塩の量と出来上がった料理の味を

比較分析できる実験A、

実験Bのようにデーター化している。

While I shake salt,

I expect a result that

the salt would have brought up a certain taste

and when all the ingredients have been done,

I converted it into my data bank

to analyze the amount of salt I used and

the taste I get

as an experiment A,

Experiment B to compare each case.

 

私の料理を味わいながら、

塩加減のちょうど良い料理のような

人間関係になれたらなと想いを広げたりする。

Tasting my cooking,

I sometimes spread an imagination that

wishing to have a good relationship with people

like a good dish which has a well-balanced salt.

人間関係は塩加減のように、

本音と建前もちょうど良い加減の比率が

きっとあると思うが、

私はまだ確実な比率が分からず、

試行錯誤を繰り返しているような気がする。

Human relationship is like the salt ratio,

I believe there must be a certain ratio

to be honesty and to be superficial in a good way

just like salt does,

but I don’t know the formula yet

so feel like I am repeating trials and errors.

 

人間関係で塩的な要素が足りないと

まずくて満足に食べられないから、

人は砂糖を使う。

When salt like element lacks in human relationship,

it is like a dish

which unable to eat satisfactorily so people use sugar.

 

砂糖は使い過ぎても食べるのに問題が生じない。

Sugar doesn’t make problem to eat

even though it used too much.

だが、砂糖を食べ過ぎると

内臓系がやられ癌や成人病につながる。

However, taking too much sugar

causing cancer or aging related diseases

because organs get harmed.

 

建前は砂糖のように、

食材本来の味を誤魔化し、

全て甘い味に仕上げてしまう。

The superficial is like sugar,

it deceives original ingredient taste and

finishing up all taste sweet.

その甘いだけの味に慣れてしまうと

体を温める辛い味や体を癒す苦みに耐えられなくなる。

If someone gets accustomed sweet taste only

the person would not be able to endure such like,

the hot spicy taste which can warm up body temperature or

the bitterness which can heal body.

しかし、甘みの無い料理はそれも食べるのに楽しくない。

However, the dishes no taste of sweetness,

it is not fun to eat.

 

本音と建前は塩と砂糖のバランスのように、

他人と自分をどう上手く結合するかが

人間関係を上手く料理できる業でもあろう。

Honestly saying and superficially saying

are like salt and sugar balance,

it would be also like

a deed for cooking well for human relationship

how combine oneself with others.



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313 Comments

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今回の記事について (桂蓮)
2018-10-10 12:22:52
前回の記事の続きは次回回す予定だ。

本音と建前にしたのは
それを踏まえて
人間関係を再考したいからだ。

私のブログのコメント欄は
前期つまり一度閉じた前の時期では
私の師匠Tと私の対談みたいに行われて
刻稀にZIPさんが哲学的なまとめをしてくれたことが
主流であった。

前回は恐山ブログコメント欄で
顔が広く知られているたかはしさんが
コメントしたことで
普段ではめったに
あり得ないコメンテーターから
指摘や疑問を書かれた。

それをさておいても
ブログ社会でぶつかった人とのトラブルが
原因で
まるごと2週間
不愉快な気分を味わった。

ブログ社会では
どうしてもブログ持ち主同士で
何らかの交流がある。

恐山ブログは例外で
私のような
一般人の平凡凡なブログは
他のブロガーと持ちつ持たれつつの
条件付き関係が少なからずある。

煩わしくて避けているが、
場合によっては
人から害も受けたりする。

だが、ここで
人と率直に関わって
嘘のようにあの不愉快感が治まった。

もうその人がもたらした不愉快な結果に
左右されなくて済むようになった。

その変化した過程を
今回の記事でまとめてみたのである。
返信する
塩梅(塩加減) (のしてんてん)
2018-10-10 13:38:20
私の考えですが、
本音と建前は、自分を二分するような関係にあるわけではありません。

前者は対自分
後者は対他人という

単に視線の違いであって、その中心には動かない己が有るのです。

ですから、本音と建前を別々に眺めて右往左往するのは心の迷いそのものでしょう。

本音と建前で悩んだら、瞑想して己に会えばいいのだと思います。

そうすれば
心を、傷つき傷つけ合うのは、核心にある己の外で起こっている妄想だと分かります。

己に本音や建前があろうはずはありませんよね。なぜなら真の己というものは本音や建前のさらに奥にある真実。

禅とはその己に出逢うためにあるのではないでしょうか。

いい塩梅とは、その己が喜ぶ塩加減のことだと私などは思います^ね^
返信する
Unknown (たかはし)
2018-10-10 13:42:02
直情径行という言葉を連想しました。

それも持って生まれた気質かなと。
返信する
こんにちはーーーーーーーーー (宮ちゃん)
2018-10-10 15:18:52
本音と建て前ーーーーーーー
これを料理にたとえて
塩と砂糖の加減-------
面白い発想ですねーーーーーー
自分、本音とか建て前とか
ちゃんと考えたことなかった
と思いますーーーーーーーーー
これを機に
ちょっと考えてみようかなーーーーー
返信する
Unknown (ZIP)
2018-10-10 16:45:41
コミュニケーションの目的は分かることです。
分かるということは、何が選択されたのかという事です。
数ある選択肢の中で、
何故それが選択されたのか?
何故他でもないそれなのか?
何故それでなければならなかったのか?
その何故が分らなければ、意味として分からないわけです。
受け手側が積極的に思い込まないと、意味は伝わらないわけです。
他でもあり得たはずなのに、何故それが選択されたのか、その理由に納得することで意味として分かるわけです。
もし、本能だけで人間が振舞うのであれば、これほどコミュニケーションが複雑にはなりはしません。
本能だけでは振る舞わないから、本音と建前があるわけです。
本能だけでは判断できない故に、分かり合えることができないわけです。
分かるのは、自分との選択の仕方の違いだけです
話した事が伝わらないのは、それが主たる理由です。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-10-10 20:53:50
>直情径行
>持って生まれた気質

正常に育てられた子供(小児)は常に(=ほぼ)直情径行で
人はその後、社会人としての成長過程で
本音と建て前を案配(塩梅)して社会性を育む。

不正常に育った子供(小児)は直情径行を抑圧されて、いつまでたっても成熟した大人になれない。
よって直情径行の大人は未成熟者として排斥の憂き目を得る。
やむを得ない事ではあるのだが、
自業自得的でもある。
返信する
補足 (Unknown)
2018-10-10 21:04:46
不正常に育った子供(小児)は
人間性小児過程(成長過程)での直情径行を
周りの大人から抑圧・制限されてしまうので、
直情径行が無意識下に潜伏する事となる。
いつまでたっても「直情径行」過程から卒業出来なくなってしまう。

大人になって他者からの歯止めが無くなった時に
直情径行が自らの心の表面に現れ出てきて、
その人の気質となってしまう。
返信する
Unknown (たかはし)
2018-10-10 21:37:25
同じ条件下で育てても、違いが出る気がしますね。その違いは、持って生まれた気質によるのではないかと。

そして、育てる条件が違えば、尚更に違いが出るのでしょうね。

それから、どの程度を正常とするのかという問題もありそうですね。
返信する
塩の塩梅(アンバイ) (lemonwater2017)
2018-10-10 23:01:10
今晩わでなく、おはようございますですか。

塩のアンバイとは良い表現ですね。桂蓮さんらしいです。その本音が聞きたいんですよ。私はね。

どうも日本人は建前で誤魔化したがる。安部首相なんかその典型なんですが。

ドンドン本音で迫りましょう。後は知ったこっちゃない(笑)。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-10-11 01:03:53
面白い記事で、読み応えがありました。

和食で言えば、素材を生かすも殺すも、ダシが決め手となるようです。

料理も人間も、飾りたてればキリもなく(欲望)、本音か建前かは、社会的生き物として、時と場合で臨機応変に使い分ける必要があるでしょうね。

料理は失敗してもどうにかなりますが、人間関係は失敗すると、どうにもならないことがありますからね。
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