Zen禅‐in USA

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

仕事禅―仕事概念Work-zen & The concept of work

2018年05月21日 20時40分15秒 | 坐禅

この何週間、ずっと庭仕事をしている。

I have been working in my garden for these weeks.

毎日働いても1エーカーの庭なのでこれといった結果が見えない。

Even though I have been working so hard every day,

I can’t see a result of done like this or that because it has 1 acre wide.

単純だが、常に筋肉痛を伴うきつい仕事だ。

It is simple, but it is a hard work that always goes with muscle pain.

埋もれている落ち葉を拾い上げ、

古い枝を切り取り、雑草を抜く。

Picking up buried fallen leaves,

cutting out old branches and weed out.

ただ無念に手を動かすだけの時間が流れる。

The time is passing while moving hands with think nothing.

 

雑念が浮かび上がっても次にすべき仕事が続々現れるので、

その雑念に浸る時間が無い。

Even an idle thought appeared,

the next work should be done keep coming one after another

so, there is no time to be dragged into the thoughts.

雑念を追い払う努力をしなくても、

目の前に処理すべき仕事が私を待っている。

Without doing effort to cut off the idle thoughts,

the work is waiting for me to be done in front of me.

肉体労働をしていると仕事に対する実感が湧く。

When doing a manual labor, I can feel doing a work.

 

ふっと、夫の亡き父で作家であったハーバト アップルバウムの

『仕事の概念』という本を思い出した。

Suddenly, I come up about the book THE CONCEPT OF WORK

written by Herbert Applebaum,

who was passed away and as my husband father.

その本に何が書いているのだろう。

I wondered what is written in the book.

 

本棚に飾っただけで一度も読んでいないのに、

庭仕事をしている間、ずっとその本の内容予想がついて回った。

The book which I never read before

it has been in bookshelves for just decoration,

but while I was doing garden work,

a presentiment about the book kept caught me.  

このような単純な仕事について

彼はどうやってそのような分厚い本を書けるだろうと思ったりもした。

I thought that how he could write such thick book

about these kinds of simple works.

 

 

昨日、買い物のドライブの間に夫に

彼の本は実際何について書いているのかを聞いた。

Yesterday, on way of driving for shopping,

I asked to my husband about the book

what exactly written on it.

本の内容を簡単に要約すると

どういうことなのかと聞いたら

夫曰く、彼がいう仕事とは

社会構造と個人の自尊心に根本的な軸を置いているため、

特定の職業に対する尊重や卑下のような

上下差別概念と切り離すべき尊いものであると説明してくれた。

I asked to him give me briefing what the point is

if summarize the book simply.

My husband explained that the writer’s concept of work is noble,

because work is based on social structure and individual self-esteem

as its fundamental axis.

So, work should detach on discriminable concept of put values

such as deciding which is a respective job or a depreciable job.

 

長い説明であったにもかかわらず、

全体像が掴めなかったので、

今日本棚からその本を取り出し目次だけでも読んでみた。

Although he explained long

I couldn’t grasp the whole image,

so I took out the book from the bookshelf today and

read the list of contents at least.

645ページの本を読む気になれなかったので、

要約部分だけでも読もうとしたらそれも9ページもあった。

I didn’t have feeling for reading the whole book

which has 645 pages,

so I tried to read at least the part of summery

but even the conclusion has 9 pages.

 

仕事が多様化している現在では

仕事への選択こそが人間社会での次元を形成し、

それが仕事の意味自体になると最後の文章に書いてあった。

At the final sentence he wrote that

work has been diversified in current,

the choice of work makes a form of dimension in human society

and it becomes meaning for work itself.

いつか、彼の本を精読したらもう一度、

ブログ記事にしてみたいと思った。

Someday, if I read his book intensively

I will write again about his book as my blog entry.

 

私の義理のお父様の本の内容にしても

坐禅の教えである無念にしても、

ただ何かを行うことは

それらの価値に対する尊下の種類差別を無くす

最善の方法であると言っているのは

共通点なのが、不思議であるのだが…

Both the book content which is written by my father in law

and the teaching of zazen about thoughtless,

the wired thing is

those two are saying in common that

just doing something is the best way to get rid of discrimination

against making value which is aristocrat or plebeian…





Comment

時空間の道のりPath of Spacetime

2018年05月14日 16時47分49秒 | 生き方

未来はまだ経験していない時空間である。

A future is a time-space that has not yet been experienced.

今は過去にとっては未来だった。

Present time was a future for the past view.

 

未来から見れば、現在も過去もあまり大した差がない。

From the sight of future,

there is not much difference between past and future.

過去も無ければ、未来もない。

There is neither past nor future.

常に只今があるだけだ。

There is always right now only.

 

昨日、夫とスーツというテレビドラマを観始めた。

Last night, my husband and I started to watch TV drama titled Suits.

5年前に日本でそのドラマをDVDで観ていた時は、

5年後にアメリカでまだ観ることになるとは存在不可能なあり得ないことだった。

5 years ago, when I was watching the same drama on DVD in Japan,

it was an absolute no way to exist to watch again it at USA 5 years later.

 

スーツは法廷ドラマで、

弁護士同志の権力争いを描いていてアメリカ内ではあまりヒットしなかった。

Suits is a court drama and it is stories about power battle between lawyers,

but it didn’t hit much in US.

そのドラマを観てた理由は彼らが使う語彙がレベル高く、

高度に教育された人々の行動形式を知るのに最適だったからだ。

The reason why I watched the drama was the vocabulary they use was level high

and it perfectly fit for me to know behavior patterns

which come from highly educated people.

 

同時私は弁護士とは縁が全く無いと思っていたが、

なぜか法廷ドラマを観るのが好きだった。

At that time, I thought that I never connected with a lawyer,

but I liked to watch a court drama without any reasons.

法律に基づき善悪を判断し、

勝つためには善悪に関係なくその法律を利用する、

その争いが魅力的に見えた。

Judging right and wrong by the law

and using the law to win nonetheless good or evil,

such battle looked attractive to me.  

 

昨夜、弁護士の夫とそのドラマを観ながら、

5年前なら完璧にあり得ない未来について語った。

Last night, while my lawyer husband I were watching the drama,

we talked about the future that perfectly cannot be possible

as the view of 5 years ago.

私は弁護士と結婚したいと全く思ったことが無い。

I have never thought at all wanting marriage with a layer.

未来にアメリカに住みたいとも思ったことも無かった。

I never had a thought of wanting to live in America in the future.

 

なのに、過去に思ったことすら無かった未来に住んでいる。

Even so, I live the future which I even never thought in my past.

ただ、その瞬間瞬間、

最善であると判断した道を歩んでいたらここまで来た。

Just only, I have been walking on the path at every moments

which I judged the moment was the best for me.

 

計画に無かった人生を生きている。

I live in my life which I never planned.

生きるべき道を選んで歩いていたら、

その険しかった道が私をここまで連れてきてくれた。

Walking by choosing the way should be,

after then the steep path took me to be here.

 

だが、私の目の前に、新たな分かれ道が現れた。
However, a new path came up in front of my eyes.

いずれは選び、選んだ道を開拓していくことになる。

Sooner or later I will choose either way and

I will cultivate the chosen way.

その道が私をいるべきところに連れていってくれるだろう…

The path will take me to where I should be…

Comment

無動詞

2018年05月13日 04時50分34秒 | 生き方

私は今何もしていない。

なのに春になった。


去年の私の決心や宣言では今頃、

英訳を終えているはずだが、結果はゼロだ。

8か月間、下準備だけをしていて一歩も踏み出せないままでいる。


この状態が私自身でさえ理解できない。

今までの私は決心をしたら、その場で実行する行動派であった。

決心するまでは時間はかけるが、一旦心が決まるとまっしぐらで前進のみであった。

高速道路でなお加速するような、

目標に向かって出せるだけの速度で暴走するタイプだった。


私は後悔するという動詞を使うことを自分に許していない。

自分が下した行動はどんな結果であろうが、呑み込んだ。


英訳をすると宣言した時は、私は昔の私のように即決したら即動けると思っていた。

だが、全ての準備を整えって始めようとした瞬間、初めて怖くなった。

自分以外の人の文を他の言語に変える、そのことが怖くなった。


怖くなったのは私の能力が足りないのが原因だと思って、

知識を補強しているのだが、その怖さは増すだけで消えない。

私は怖いという体験を大人になってからはしたことが無い。

子供の時、虐待を受けていても怖いと思ったことが無かった。

なのに、簡単なはずの翻訳が怖くなったのだ。


このような自分に対する失望感は初めてなので、

自分のことなのに答えが出ない。

自分のことに答えが出せない経験も初めてなので、

肯定的に言えば新鮮かもしれない。


自分の文ならなんでも訳せるのに、

他人の文は一つの文でも何十の通り訳せるから決断ができない。


採用した単語が適切だと判断できる根拠が無い。

採用できなかった単語を捨てられるか、その根拠も無い。

その根拠が持てないのが怖いのか、私にはそれが分からない。

或いは、まだ私の心は単語を決められる心の準備ができていないからかも知れない。


兎に角、今のところはこの無動の暗いトンネルを潜っていくしか道が無いようだ。

Comment