知識とは何だろう…
What is knowledge…
Wikipediaの定義は以下である。
The definition of Wikipedia is as follows.
知識(ちしき、英:Knowledge、独:Wissen、仏:Connaissance)とは、認識によって成果、あるいは、人間や物事について抱いている考えや、技能のことである。
Knowledge (English: Knowledge, German: Wissen, French: Connaissance) is the result obtained by recognition, or ideas and skills that are held about human beings and things.
認識(英:Cognition、独:Wissen、仏:connaissance)とほぼ同義の語であるが、認識は基本的に哲学用語であり、知識は主に認識によって得られた「成果」を意味するが、認識は成果のみならず、対象を把握するに至る「作用」を含む概念である。
Although it is almost synonymous with recognition (English: Cognition, German: Wissen, French: connaissance), recognition is basically a philosophical term, knowledge mainly means "achievement" obtained by recognition, Recognition is not only a result but also a concept including "action" leading to grasping a target.
子供の頃、私は特別に決めた夢は無かったが、
When I was a child, I had no particularly decided dream but,
知識がある人にはなりたかった。
-at least, I wanted to be an intelligent person.
中年になり、子供の頃なりたかった人物になれたのか
時々考えるのだが
Now I am at middle-aged, sometimes I wonder
-weather I became the person who I dreamed to be,
想い描いた人物には未だになれていない気がする。
-but still I do not feel I am not the person wanted to be.
知識が状態として実感できた時は
何十年の前の大学で授業を受けた時であった。
When I realized that knowledge can be an aspect was
-in a class time at a university many decades ago.
外側から耳や目を通って入ってくる知識の量が
The amount of knowledge from outside
-which comes through ears and eyes,
私の中で形になって
-it made a form in my mind and
ある形態を作っていた瞬間であった。
-the form made a shape at a moment.
その出来上がった形態が明確であれば
When the shape becomes clear,
知識が時間の流れで消えることは無かったが
-the knowledge never forgotten with flow of time.
その知識の形態が不完全だと
However, if the shape of knowledge is incomplete,
その時は分かっていても
-how much understood at that time,
分かった記憶だけは残り
知識や情報自体は抜けていった。
-those knowledge and information were gone away,
-but the memory I felt understood it remained only.
現代では知識はネットにより
誰にでも平等に与えられている。
Knowledge is given equally to everyone
-by Internet in this generation.
情報を検索するスキルさえあれば、
誰でも情報を得ることは可能だ。
If someone has a searching skill to get information,
-it makes possible for us to get.
学歴が無くても
Even without educational history,
個人の能力差に関わらず、
-regardless of whether their abilities are high or low,
未知の知識を既に分かったことの既知に変換できる。
-they can convert an unknown part to making sure.
しかし、本当に『分かる』ことはどういう状態なのか、
それは誰にも未だに分からない。
However, nobody still know what is real 『understanding』
-and how it really works.
塾をやっていた頃、講師採用試験の問題の中に
『分かる』ことと『知る』ことを述べることを
設問にしたことがあった。
I used to make a test to hire a teacher when I had my cram school before,
-questioned that describe what『to know』 and 『to understand』
解答から分かったことは
What I learned from their answers,
誰も知識が何かを
明快に述べる者はいなかったことだ。
-nobody could describe clearly about what knowledge is.
彼らが出した解答で
知ることと分かることが『分かった』ことは無かった。
I could not know what is Understanding from their answer sheets,
今の時代では、知識は無限大に存在するが、
その知識は昔のような権威が無くなった。
In this generation, knowledge exists infinity,
-but it lost its authority as it used to be.
感動の無い知識になってしまったのだ。
Knowledge can’t touch minds any more.
心に響かない文字の羅列のように感じられる時さえある。
There are sometimes when it gives feeling that,
-knowledge are like an enumeration of characters
-which can’t touch my mind.
何かを分かったとしても
人の行動様式は変わらない。
Although know something,
-people’s behavior patterns never change.
何かを知っていても
心の虚しさは消えない。
Although knew something,
-mental emptiness still can’t be satisfied.
そういった知識の無力感は
無知より可能性が閉じられている感じもする。
Such kinds of helplessness of knowledge are closed harder than
-an ignorance is closed to possibility.
未知も既知も無知も
Unknown or Known or Ignorance,
今は平行な次元の中に共存するかも知れない。
-they may coexist in a parallel dimension.
それらの閉ざされた扉を開けられる鍵は
The key that can open those closed doors,
知識、認識、既知、無知
-such knowledge or recognition, known or ignorance,
それらからくるそれぞれの煩悩を
-each of those causing ambivalences,
静かに断ち切る剣の役割をする坐禅
その無念の時間かもしれない。
-but, the moment when doing zazen,
-the time of having thoughtless,
-it may can be the key and it also like a sword does,
-it may sever those ambivalences quietly.
通訳は平行させつつも
それらの概念について更なるイメージを深めていくのは
先送りをしようと思っている。
まだ考えが浅く、イメージを練るにも浅はかな感じもするので、それらをある程度発酵させる必要があると思われたからでもある。
言語実行も大事だが、
浮かんだものを書くのも
思考の訓練に成り得る。
知識は私にとって
常に解けない概念でもある。
知性的だの、感性的だの人々は簡単にいうが、
(私も含めて)
何を根拠にそう言えるのか
言った本人しか分かるまい。
気軽に『感性的』と言った時、
何かうしろめったい気持ちがしたり、
気軽に『知性的』と言った時も
何かごびをうるような
自分が格下げになって
相手をあげている感じもする。
それらのなんとも言えない気持ちを
文字に表してみたが、
本音は『分かっていることを見せびらかす』人を
突っ込んでみたかったのも無くはない。
そのような分かったふりをする人は
私に暗く閉ざされた気持ちを与える。
そう与えてもらいたくないので
それらについて
予防接収をしておきたい。
Tのコメワクチンの効き目を期待しながら
書いたのもあるが...
「生病老死」は苦であるが、
此処で言う「生」とは
「生まれる(=産まれる)瞬間に味わう苦」という解釈法がある事が開示された。・・・驚愕の新知識!!
確かに、
老いるって苦だよな~、何にも出来なくなっちまう・・・
病に罹ると苦だよな~、何にも出来なくなっちまう・・・
死ぬのも怖い・・・苦だ苦だよ、何にもできなくなっちまう・・・
って如くに、生きてる間に起こる、
或る出来事を「苦」と識別してる。
という事は、本来の「生が苦である」という論議は
生誕の時の苦痛を指していたと考える方が論理の整合性が有る。
(お産の時の苦しさは、何とも出来なくなっちまう!!)。
なぜなら、生きてる間は何でも出来る可能性が有るし、
「生きる」こと(=生きる事全て)が苦であると言うならば、わざわざ、老病死が苦だと特定して言わなければならない必要性が全然ないからだ。
でそうなると、
この世は苦で肥溜めだ・・・というZ前提がガラガラ崩れる。
「この世は美しく人生は甘美だ」って、
ホンマに釈迦の言った言葉であったみたいな感じがしてくる(=生きるについては苦もあり楽もあり、そんなに悪くはないさ・・・君の考え方次第だ!!)。
予防的撤収もあるかな??
撤収はしなくていいかも(入力ミスは私のTrade markなり)
でも指摘していただきありがとうございましたん。
前回の記事でコメントしてくださったシヤマさんについて少し、
彼は毎日自分のブログを更新していて
私のブログにも定期的に来てくれます。
ブログ内容は
10秒で読み終えるものもあれば
真剣なことをさらっと書いたり
重い悩みも何気なく書いたり、してますね。
私がブログ始めた時から彼の読者になり
彼も私の読者になってくれていますが、
コメントをしてもらったのは
今回が初めてだと思います。
『般若心経は「空即般若波羅蜜多」「空即涅槃」なのではないか』彼のこの見方は
今まで彼が書いていた記事流からみて
結構異色的な感じもありつつ、
彼ならそう思えるかもと思わせる筋があったりで
私にとっては結構面白かったです。
Tは、だれ?この人?と思うでしょうから
少し彼について書いてみました。
色んな事を考えないで・・・ただただ無心、
ただ淡々と・・・淡々と無心
人生は闘いの連続であるが・・・
冷めてないと間違える。
カッとなっては、やり損ねる。
坐禅でタダタダ無心
己に打ち勝つと言う事だ・・・
「闘いには敗けません」とは
相手を打ちのめす事ではない。
相手に勝ちたいと言う欲望に打ち勝つ事だ。
己自身に打ち勝つ事だ。
それが坐禅だ!!
ただただ淡々と、ただただ無心に・・・
己に打ち勝つ!!
空は因果も縁起も内包するって・・・
だから空即是涅槃って・・・
だから空即是般若孕むった・・・って
どゆことどゆこと??
Tとしては論理の整合性が整わなければ、
面白くもクソもない訳だけど、
どゆふに論理の整合性を整のえるの??
黒●ッチ曰くでは、
因果も空も・・・
そして同じ理屈を敷衍してけば、
縁起も涅槃も・・・
悟りも解脱も・・・
一切、実存するモノではなく
ただ考える方法(論)でしかなく・・・
しかし無くてはならぬ「考える方法」で、
しかし断じて、
宇宙原理が如く実存するものでないと・・・
黒●ッチが広範に言っちゃってる様に
Tには感じられる。
即ち、これらすべての単語には、
実体があるとか、実存するとか実在するなんて事の全く無い・・・
つまり脳内の思考方式の一形式に過ぎないのだといっているわけで・・・、
T曰くの、
仏教論って、
脳内思考・脳内意識・脳内知識・脳内未知・脳内既知・脳内認識・脳内無知を・・・
人が、なんだかんだと一生懸命頑張って、
やっと言語化(=表現化)したものだ(=実存体でない)という・・・
Tの論理と、とても整合性が、よく似合う。
で、それらの脳内概念と、
今はやりのAIの思考法とはどう繋がるのか??
AIって、膨大、ほぼ無限に蓄積したデータ(情報)の中から、
人間の思いも及ばない因果関係を、乃至、縁起関係を・・・
サラッと、そして、シレっと、引っ張り出して来て、
一秒で結論出す、機械人間だよね(Tの人間機械論とコインの裏表)。
AI構造をキーにして、今回の命題に、
論理の整合性が引っ張り出せないかと
思考の開始状態で・・・
結論が出ないまま目が覚めた・・・!!
それでも芸術家魂をデータとして入力できれば、
AIも芸術家の因果関係を導き出せる・・・
って事になるよね。
すべてが脳内反応なんだから・・・
…と此処まで書いて、あらたな疑問!!
芸術家って、自分でも結果を知らずに、未知のまま筆を走らす・・の・・か・・な・・??
芸術家=全く予知不能な怪物群…
本人でさえ、自分が何を描いてるか分からない、あるいは知らない!!・・・
mmmmm全く衝動犯的で、動機解明不可能・・・よって、罪には問えない??
なぜなら精神錯乱者と見做される。
(まあ芸術家Kに通ズ・・・かな??)
K言うところの
「無法」「心法」なる心情がよくわかる(ような気がする・・・)。
これも一つの「論理の整合性」だね。
Kを罪には問えない!!
一見面白そうで、他見つまらない???
そ~いえば、Kタンは、即座に「つまらない」って見抜いたんだよね・・・嗣書を受けた正当的仏教者、幽村芳春師の「般若心経」解説。
KもTも似てるとこ有るかもね…
偏屈な処が・・・!!