Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

A good ballet teacher良いバレエの先生

2019-05-09 | バレエ

この世で、運ぶのに一番重いものは

自らの体なのだろう。

I assume that the heaviest thing to carry in this world

would be one’s own body.

50代で始めたバレエ稽古をやっていると

私の体が如何に硬く、また重いかを切実に分かってくる。

When practicing ballet, a training I started in my 50’s,

I sincerely can find how my body is hard and heavy.


昨日は、バレエのレッスン日だった。

Yesterday was the day of ballet lesson.

片道30分かかるカントンという町に

私が通うバレエスクールがあって

夫がいつも私を連れていってくれる。

My ballet school is in Canton,

30 minutes from home and

my husband always takes me by car.


毎週水曜に、成人バレエ基礎と中級クラスを

連続して2コマ取っている。

Every Wednesday,

I consecutively take two adult ballet lessons,

basic and intermediate classes.

メッサチュセッツ州に住んでいた時は、

ホーリーオックという町のバレエアカデミーまで

約1時間かけて通っていた。

When I lived in Massachusetts,

I used to attend a ballet academy in Holyoke

and it took around one hour to get there.


2年前にコネチカット州のグランビ―に引っ越してきてから、

バレエスクールが見つからず、

練習もしなくなり、体重も10キロほど増えてしまっていた。

Since we moved to Granby, Connecticut two years ago,

I couldn’t find a ballet school,

so it gave me a reason not to exercise,

with the resulting weight gain of 20 pounds.

でも諦めず、調べ続けていたら

運よく今のスクールを見つけたのである。

But I did not give up looking for it,

and I was lucky enough to find the school.


私がバレエを初めて習い始めたのは

日本に住んでいた時であった。

It was in Japan when I began

to learn ballet as the first try.

アメリカ移住のため長年やっていた塾を閉めて、

まともな時間ができた時、

そうだ!今までやり残している夢リストを制覇しよう!

と決心したのがバレエを始めた切っ掛けだった。

I closed my private school

which I administered for many years

and immigrated to USA,

which afforded me enough time to pursue my “dream list”.

At a moment, I made up my mind to conquer

those left behind unfinished dreams.

Yes, that’s it!

It is time to do it!

That moment I was truly motivated to learning ballet.


バレエは子供の時から憧れていたから、

自分が実際習えるかどうかは全く考えず、ただ始めた。

Ballet has been longing from my childhood,

so I just started without thinking

whether I was actually capable to learn or not.

始めはジムのバレエクラスを受けて、

またバレエスクールを二つ掛け持っていた。

In the beginning,

I took a ballet class at a gym and then

attended two schools.

自分ができているかどうかに関係なく、

自分が学びたかったことを学ぶ喜びが好きで、

只管やっていた。

Regardless of whether I can do it or not,

I kept doing because I liked the delightedness

that came from what I had been wanted to learn.


年を取って何かを学ぶと、

頭脳や才能といった生まれ持った才能より、

体の条件や限界具合が根本的な問題になる。

Learning something at an ‘advanced’ aged,

the physical condition becomes a fundamental issue

above natural capability or well-functioning brain.

身体条件の限定性は練習を重ねても乗り越えられないが、

反面欠けている条件をどのように攻略できるかを示してくれる。

Such limitations of physical conditions cannot be overcome

by repeating practice,

but on the other hand,

it indicates how to conquer the lacking conditions.


手足が短ければ、細かく機敏な動きで補えるし、

If one’s limbs are short,

it can be compensated with exquisitely agile movement.

体が硬く柔軟性が無ければ、

どの部位をどうストレッチングすればいいのかが

はっきり分かるようになる。

If one’s body is stiff and inflexible,

it is pointing out to be able to know

which body part is in need to stretch out and how to do it.

だから、私の身長が低くても高齢で体が硬直していても、

基本さえ中々できなくても

それに引きずられなく学びを継続できた。

So, I was able to keep learning

without being dragged in it,

although I could not do basics

and I am short with an aging stiff body.


しかし、そんな明るいポジティブ精神の持ち主にも関わらず、

一つだけ心が晴れない暗い悩みがあった。

However, despite being a positive minded person,

there was a darkness over my thoughts.

それは、“振り付けが覚えられない”ことだった。

The darkness was  thought of

“I can’t remember the choreography”


先生が振り付けの見本を見せてくれていると、

私は“そんな難しい手順を覚えるわけがない”と自信なく思えてきて、

“私よりできる人の動きを見てやればいい”とかの

依存心で心がいっぱいであった。

When the teacher showed me a form of choreography,

my mind filled with thoughts of

“no way I can remember such difficult procedures” with diffident feelings

or clingy minded “follow others who do better than I do”.

そんな雑念に気づくと自分が情けなく思えてきて、

先生が何を言っていたか

短期記憶蔵庫から消えてしまうのであった。

When I realize such distractions in my mind,

I felt miserable for myself,

and what the teacher said disappeared

from my short-term memory.


特に、バーレッスンが終わって、

センターでコンボをやる時は

“見てもついていけない”と始めから思って

気が滅入ってその時間が非常に嫌いだった。

Particularly, I hated most when I have to dance combo

at the center of the room

after barre lesson because I felt sag with the thought that

“I will not be able to catch up even I watch teaching”


そのような心の中の否定的な念は

意志で簡単に取り除けるものでない。

Such negative attention in mind,

it cannot be easily removed by will.

その否定的な思いを無くそうとする対抗した考えを

必要とするからだ。

It needs opponent ideas to remove negative thinking.


否定的な考えは肯定的な考えでは破れない。

Negative thinking can’t be breaking down by positive thinking.

ただ、想いに他の考えが憑き加わるだけなので、

考えの悪循環にはまってしまう。

Merely it makes a bad circle of an idea

due to adding other thoughts on the very thought.


だが、それらの否定的な想いの悩みが

ついに今のバレエスクールの先生、

リンダ・プレスンヤコバに習い始めてから

解決への糸口が見つかったのである。

But finally, I found a clue

to solve the negatively attached problem in my mind

when I started to learn from LINDA PRESNYAKOVA,

who is my teacher at ballet school.


彼女はバレエを学ぶ際の障害になる余計な考えを

断ち切ることができると感じさせてくれた。

She could let me feel that

I might be able to cut off

those useless obstacles thoughts

when I learn ballet.

彼女の教えは、

生徒に習えなくてはならないと思うストレスを植え付けない。

Her teachings do not install a stressful thought for her students

or make them think about what of they MUST learn.


覚えなくてはならないという心理的な負担が無いようにさせる。

She can let her student unburden

from a mental obligation that they MUST remember.


ただ教えるだけでなく、

彼女も私達と一緒に踊って、

私達に『正しくあるべき』という暗黙の要求をしない。

Not only just teaching

but also she dances with us

and doesn’t imply to us such as should be righteous.


毎回、何か新しいバレエテクニックを

普段やっている基本に織り交ぜて加える。

Every time she adds and interweaving

some newer ballet technics on basics that usually do.

その結果、私はバレエをやっていると実感できるようになる。

As a result, I come to actually feel that I am doing ballet.


彼女の見本を見ていると

何を教えようとしているかが伝わってくる。

Looking at her instruction

can convey what she tries to teach us.

なので、レッスンが終わると本当に教わった感じで、

自分が前回より進歩していることが実感できる。

Therefore, when a lesson is over,

I feel that I am really taught

and can also feel that I am improved than last time.


彼女に出会う前は、

否定的な心の悩みを坐禅の教えの一つである

『念を追わない』ことで補おうとしていた。

Before I met her,

I just tried to cover those negative troublesome thoughts

with one of Zen-teaching

which 'do not go after the thought'

だが、そう試みると追わないようにしようとする他の新たな念が加わることになり、

余計に雑念が増えるだけだったような気がする。

But even when I tried to keep track of it,

such way of try-not-to-think

adds another thought so that

an extra useless thought just added up.


その坐禅の教えも事柄によっては

実に効き目があるだろうが、

バレエ稽古場では五分五分だったかも知れない。

Such Zen-teaching may be quite effective depending on circumstances,

but for ballet practicing it is hot or miss, at best.


何しろ、良い先生に出会うのは

本当に宝くじが当たる確率のようかもしれないが、

当たった時に掴み放さないようにしないと、

せっかくの宝も持ち腐れになるだろう。

In any case,

meet a good teacher may be like hit rate of a lottery ticket,

but worth the time to find.

Unless you grasp not to lose the opportunity,

or it will spill out from hands.


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42 Comments

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Unknown (ZIP)
2019-05-10 12:18:10
それが非知ということです。
貴重な出逢いをされましたね。
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Unknown (りひと)
2019-05-10 16:19:36
良かったですね。
良く神社で神様にお願いするのが、その縁結びです。
子供の進学となると大変で本人にとっていい学校でいい先生でいい友達でいい部活でいい仲間とかお願いしちゃいます。お金積んでも得られない幸せってありがたいですね。けどそこに本人の努力と塾考とあと自分での実感がないと気付かないで過ごしそうですよね。

ドイツでバレエだとホームステイ先のお母さんに連れ貰って見た踊りは日本では出会えない衝撃がありました。身体での自己表現のバレエ、コンテンポラリーとかいうんですかね?あれを子供に早くやらせたいです。
おそらく指導方法も違うでしょうから。本人がルールや見え方にビクビクしていたらまず出来ないバレエですので。ただ日本でそれを教えられる先生ってそういないと思いますよ、なのでアメリカなら可能性は増えそうですけどそれでも個人的ない相性もあるでしょう。

今回の記事の言葉見ていたら、コンテンポラリーのバレエをうまく引き出せる先生だろうなあとちょっと思ってしまいましたよ。その生徒に合った自己表現にも間口が広がっていて、その中で自分で模索しながら努力しているのを見守れる先生でしょうね。

日本の中では先生が引っ張るみたいな常識ありますけど、外国ではなんかもっと違う。先生と生徒との立場が違ってもその中でお互いの楽器が奏でるコラボみたいなのものへの寛容さがありますよね。日本では一つの容器に入れたがるけど、もっと大きい領域を用意してくれてるんでしょう。その領域の中で努力したり自分に変化させようと考えたり出来る生徒しか身にならないとも思います。なので蓮の花さんにはぴったりではないかと思いました。日本のスポーツも少しそんな兆し出ても来てますね、どちらが伸びるか?は生徒を見ていれば分かるでしょうね。

多分お互いのリスペクトを感じれるんだと思います。
素敵な関係、本当奇跡、それがその人の徳に由来しているととても世の中安心ですよね。
お金を得てお金の亡者になっちゃう前にお金で買えない自分だけの幸せがあるのを子供達には気付かせたいですね、自分で楽しみながら見つけるからこそ満足感もあり他の人の事も気にならなくなるんでしょうね。
返信する
疑問(ToーZip) (Keiren)
2019-05-11 00:00:59
非知とは
『ジョルジュ・バタイユの「非-知 閉じざる思考」』のことですかね?

「知が無いということについての知」
「知ら不る(ざる)ということについての知」
「知に非ざる(あらざる)ものについての知」
「未だ知らないということについての知」
ソクラテスの知ですかね?


貴重な出逢いです。
ロシア人の先生ですからね。
返信する
Unknown (ZIP)
2019-05-11 00:08:19
バタイユを参考にしてます。
返信する
Unknown (Keiren)
2019-05-11 00:15:09
りひとさんへ

私はコンテンポラリーが嫌いであまり観ていませんが、
夫の兄弟の娘さんがNYでそれをやっています。
私は只管、クラシック派なので、
音楽もバレエもクラシックに拘っています。

自由な表現に強い抵抗感があるからかもしれませんえ。
形式の中での自由なら
マトモだと思うのですが、
やけに伝統を破って
自由、自由というのは
気に障る感じがするのです。

と言っても、ドイツ人のコンテンポラリーを観てもいないので、
文句付ける立場ではないでしょう。
機会があったら
ドイツのダンスを観てみますね。

クラシックにしろ、近代ダンスにしろ、
肝心なことは
『人に伝えるものが何か』だと思うのです。

今になって
日本でのバレエスクールとここのスクールを比較してみると、
日本の方が厳格だったと思います。
ここは気楽な感じで授業が行われているから
どうも私はそれが愉快になりませんけどね。

りひとがドイツ語の光のようですね?
ドイツでのホームステイのことを
気が向きましたら、教えてくださいね。
聞きたいです。
返信する
Unknown (Linda)
2019-05-11 05:21:50
This is the biggest reward for a dance teacher to get such a post.
返信する
Unknown (Eric)
2019-05-11 05:23:46
Keiren really works hard on her ballet.
And, she made me watch ballet on TV, and go to live ballet performances in Boston and New Haven and Stamford....
And I really like ballet...
I went to one of her classes in Japan and participated. I was not good.
返信する
Unknown (りひと)
2019-05-12 00:10:26
ホームステイの件ですけど、生活の中での事いっぱいびっくりしましたよ。素敵に思ったのが、寝かしつけと家事を夫婦で日により交代もして寝た後にお茶しながら二人で話しているのが素敵だなあとかんじました。あと危ない事、例えば3歳くらいの子がハサミ使ってましたけど日本だったら取り上げちゃうんですよ。けどやらせてあげて見守り安全な使用を監視していざという時は手を出すのを見ていてなんかいいなあと。持ち方とかなどでも。自分が子供だったら絶対その方が気持ちいいだろうなあと。
それと子供の意見や言い分もちゃんと聞くんですよ、また政治とか子供とはまだ時期が早いかな?と思うことも話し合えるんです。子供として相手していないで同じ人間として接して意見も聞いてるのを実感しましたよ。
7、5、3歳くらいの姉妹さんのお宅で受け入れて頂きました。当時は大学生でしたけど確かお母さんをお休みして強制収容所の見学も連れて行って頂いたような記憶があります。ヒッチハイクもしたような?とにかく全てが今の日常から考えるとびっくりの連続で自分の常識との違いも感じましたけどそれを受け入れる事でいっぱい楽しめましたよ。
大学での勉強でも学んだのがやはり子供を小さな大人と解釈している所をホームステイで実感出来たのでこれは日本に帰っても役に立っています。日本ではどんな立場の方が言ったかで評価が変わってしまう。今で思えば自分の子以外もみんな子供のが良い事いうんで参考にしていますよ。子供の言うことでしょ?って子供の先生に言われた事もあり、あらら?もったいないって思いました。ちゃんと一人の個人の言い分として聞いてくれてないのならそれ以上を求める事もしないで済みましたね。

ホームステイで一番嬉しかったのは、相手をリスペクトしていたらいいアイデアも得られるんだと知った事です。なので逆に聞いてない方にはこちらからもそれ以上を話さないです。聞く耳持つか?で判断しています。実は厄介な相手の方が自分にはいい勉強になるって思ってトラブル回避するのも精神的にはとてもいいようです。

感情表現がダイレクトな中にいると、それもありなんだと思いましたね。日本だとダメと感情を押し殺して生きてましたのでびっくりでした。けど分かりやすく個人的に合ってました。
それから人の様子も銀行とかでも気分も分かりやすいのでなんかトラブルになりそうな予感の所は避けて混んでいてもこの人ならという列で並んでましたよ。道を聞いたりするのもアジア人だとどうも嘘つかれたりもしたんで出来るだけ信用出来そうな方を探してました。今で役立ってますね。お店とかでも超上の階とかに案内されたり、けどそれならいいですって断れるようにもなれました。

日本の伝説でもあるんですけど、みすぼらしくてもまた汚くてもまた病気でも同じ人間として受け入れてなんとかしようとした方はあとで王子になったり恩返ししてくれたりそんな話ありますよね。それが妥当です。

そして逆に、ちょっと迷惑な希望を出してもそれに対応してくれた方に感謝をするのもとっても楽しかったです。チップがありますので。日本でも可能ならしちゃったりします、許される時は本当の満足の気持ちをお金というのはあまり気が進みませんけどね。

ひどい文章力や誤字脱字でもあればそこにこだわる方は読まないはず、読んでくれた方には何かいい効果があればとコメントしています。あと誤解もそう思ったのならそれも受け入れます、信用がなかったんだとも。

相手がどう思うかは行動してみないとわからないし、相手に決定権があります。なのでこちらは想像して悩まず、相手からの行動から反応で反省するなりしてみたいですね。

そうそうコンテンポラリーのバレエですけど、好みはありますよね。好みじゃなかったんですね。けど知っているのもさすがと思いました。私がドイツで観たのもバレエじゃないのかも?確か場所がメッセ会場のような特設の会場だったようにも思いますので。
今回のこのやりとりを活かす意味でもちゃんとコンテンポラリーの予備知識を持っておこうと思いました。

書くことで思い出したりした事もあります。
そうでした、バレエの基本は大事でクラシックなしにコンテンポラリーはないのではないかな?と反省しましたよ。ただ、感情を出し慣れている方がスムーズに移行出来そうには思います。そして逆にそれを要求されない物の方がルールや規定の中での入れ物の中の表現のがしやすい方もいます。好みは自分で決める物ですのでお互いこっちのが好きと言い合える関係もとてもありがたいです。
今いる国はとても自分の好みを主張するのも気を遣う。どこの国の方でも親子でも希望を言い合ってこその信頼って素敵ですよね。
なので桂蓮さんのご夫婦も素敵ですよね。
返信する
Unknown (Keiren)
2019-05-12 02:31:21
りひとさんへ
ドイツでのステイ想い出を興味深々で読みました。

アウシュビッツ見学での感想はぜひ教えてください。

夫はユダヤ系なので、ホロコーストについては
真剣に取り扱いながら話しています。
まあ、ユダヤだと言っても
3代目以前の先祖がアメリカに移住してきたようで
ドイツのユダヤ迫害を直接受けたことではないようです。

ケイレン アップルバウムのApplebaumは
Apple+Baum(treeのドイツ語)で
夫の母親がドイツ人で、
夫の父方の先祖がドイツで付けられた苗字が
Applebaumなのです。
(ロシアからドイツを経由してアメリカ移住した際に)

因みに、ここはドイツは歴史上の敵国、
日本も敵国だったことがあって
ドイツの車が少ないです。
日本の車は結構上位圏で多いのですが、
電気製品とかは
韓国製が単突多いです。
サムソンがほぼ圧巻している感じです。


誤字脱字は心配なさらないでくださいね。
今までのところ無かったです。
文流が口語体だから、読みながら言い方に沿っていけますので、割と読みやすいです。

私は長い文を読むのが好きです。
読みながら、内容により深く探っていけるし、
書いた人の感情移入の仕方を感じ取れるのもあって
長い文を書ける人を『リスペクト』してます。

コンテンポラリーが嫌いな理由は
クラシックに徹することができないダンサーが
逃げ道のように
コンテンポラリーダンスに流れる傾向があるからです。
でも、中にはクラシックに徹底した上での
コンテンポラリーをやっているダンサーもいるので
それは見れば分かります。
そんなダンサーは基本が美しく、
動きも切れがいいです。

だが、逃げ道でコンテンポラリーをやっている人は
どこか雑で、誤魔化しがあるように感じとれる時も
ありますしね。


まあ、コンテンポラリーもバレエスクールでは
必修科目みたいですけどね。

うちの夫は家事を結構やってくれています。
トイレの掃除担当とか、洗濯とか、
庭の手入れは彼専用だし、
食事後はいつも
美味しい料理を作ってくれてありがとうと言ってくますし。

買い物は常に一緒だし、
荷物持ちで徹してくれるわで結構つぐタイプです。


返信する
Unknown (榮久)
2019-05-12 05:17:06
Miyamoto Musash

The artistic accomplishments usually claim surface meaning,
and inner meaning (secret tradition) or “interior” and “gate(approach)”,
but in my way of strategy(srt of war),there is no “interior”, nor “surface”.
In combat there is no such thing as fighting on the surface,
or cutting with the interior when I teach my way,
I first train pupils in techniques that are easy for them to understand,
and gradually endeavor to explain the deep principles,
according to the pupil’s progress
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