Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

バレエと坐禅の静けさQuietness of Ballet and Zen

2018-12-18 | バレエ

バレエと坐禅は根本的に共通していながら

両極的に相違する。

Ballet and Zazen, an ironic combination,

opposites that share surprising commonalities.

私はその不均衡的な関連性に極めて強く惹かれている。

I am strongly attracted to the imbalance and how related with it.


昨日、夫と私はコネチカット州のバレエ団主催の年末イベントである

くるみ割り人形バレエを観に行った。

Yesterday, my husband I went to see Nutcracker

as a year-end event hosted by Connecticut ballet company.


くるみ割り人形バレエは国や文化によって解釈が違う。

Countries and cultures interpret The Nutcracker ballet so differently.

家族の絆に趣きを置く見方もあれば、

子供に夢や希望を与えることを期待して

演出されたのが大部分である。

Some put value on meaning of family bonds,

many directed to give dreams and hopes to children.


実は、私はそのような家族の絆、

夢や希望に重点をおいたバレエが嫌いだ。

Honestly say I don’t like to watch such kinds of ballet

which directed to dreams and hopes or family bonds.

だけれど、運が良ければバレリナーから

インスピレーションを得たり、

舞台監督の演出効果に感動されたりすることもあるので、

クラシックバレエなら可能な限り観に行っている。

However, if I am lucky, I could catch an inspiration from a ballerina,

be impressed by dramatic stage effect, or a director’s vision,

so I try my best to see a classic ballet as much as possible.


今回のバレエは典型的な『子供に夢』テーマに沿って、

観客に楽しみを与えるコンサートでもあった。

The ballet concert had the typical theme of

“Dreams to children”, so it was amusing for audience.

しかし、その中で、

人際眼立って一目でロシア出身だと分かるバレリナーがいた。

The ballerina quickly stood out,

revealing her Russian training at the first sight.


コンサートが終わって、

彼女についてグーグル検索したら、

彼女の名はオクサナ・マスロバで、

ウクライナ出身であり、

ロシアの聖ペタスバーグバレエ団でバレリナーだったと書いてあった。

After the concert I did Google search about her,

learning her name is Oksana Maslova that

she is from Ukraine,

and was with the St. Petersburg Ballet in Russia.


また彼女はロシアのキエフ・コレオグピック・カレッジに進学し、

そこで振付師とバレエで修士号を取っていた。

She studied at Kiev Choreographic College,

receiving a master’s degree as a choreographer and ballet dance.

彼女が2011年に

コネチカット州バレエ団のプリンシパルになっていた経緯で、

今回の舞台で雪の女王役をゲストとして躍っていたことが分かった。

She was a principal ballerina at the Connecticut ballet company in 2011

so, she took a part of Snow queen as a guest dancer.

現在彼女はペンシルベニア州バレエ団の

プリンシパルとして活躍しているらしい。

Additionally she is active as principal dancer

at Pennsylvania ballet.


彼女のバレエテクニックは他のバレリナーと格調が一段と違って、

全く別な領域に入っているようだった。

Her ballet technique is highly elevated

compared to the other dancers

and stepped up to a higher level.

ロシアバレエの特徴である完璧さを基盤に、

体操をしていた経歴もあってからか

身体を動かせる範囲が最高値に達していた。

Her performance neared perfection,

a characteristic of the Russian ballet,

an artist athlete letting her body move to peak vertical range.


彼女の舞を観ていると、

まるで体重が無いような、

羽のように舞い上がるような感じを受けた。

彼女には重力が働いていないようだった。

When I was watching her dance,

I felt that she doesn’t have weight,

soaring high as if she is a feather.

It seems gravity has stopped working on her.


人間にかかっている重力に逆らって、

体重を支配するようになるには

最低20年の猛練習を必要とされる。

To dominate weight against gravity

requires at least twenty years of fierce practicing and struggle.

そのように観る人に踊る人の体重を感じさせないためには

優れた身体条件と長年に亘る練習が絶対的な条件になる。

To make viewers experience absence of the dancer’s weight,

there must be excellent physical condition,

mental control and discipline formed over many years.


彼女の表情からは

その練習過程を微塵も感じさせない完璧な自信感があった。

From her emotional expression was a perfect confidence

that never even hinted how she must have endured such harsh practices.

人間の最大級の可動範囲に至り、

身体を極限まで動かせているのに

彼女の動作には静けさがある。

As she reached to the extreme range of physical movement,

operating her body to the limit,

her motion has a tranquility.


その静けさを観た時に、

坐禅でマスターレベルに達した老師が

持つオーラと似ているような感じがした。

When I saw her tranquility she expressed,

I felt that it was similar with an atmosphere

which gives off from a Zen master who has reached to an extreme.


坐禅で師の領域に達した人の坐り方を観ると、

その人からは言葉では言い表せない静寂感が放たれている感じがする。

When see a Zen master’s sitting form,

I feel that an indescribable tranquility is letting out from him.

その禅師は何もしていないのに、

彼の態度からは測り知れない何かの深みが伝わっている。

The Zen master does not do anything

but from his attitude sending a depth somewhat unable to measure.


私が去年、日本の恐山菩提寺坐禅修行で、

南直哉師の坐禅指導を受けていた時に見た彼の坐り方に、

その果てしない静寂性を観ることができた。

Last year, while I was taking Zazen practice led by master Minami Jikisai

at the Osorezan Boudaiji in Japan,

I could see the boundless tranquility from his form of sitting.

彼にはそこに確かにいるのに、いないような存在感があった。

Certainly he was there but seemed like his existence was not there.


バレエのマスターレベルに達したバレリナーと

坐禅でマスターレベルに達した人は

極めて静寂な静けさを身で言うことができる。

A ballerina who has reached to a master level for ballet

and a Zen master who has reached to a master level

both can convey the extreme tranquility with body.


バレエと坐禅は動作の範囲の面では極端に異なるが、

内面の静けさを結果的に得られることは

根本的な規律としてつながっているかもしれない。

Although Ballet and Zazen are opposite in the range of motion,

there is a connection to discipline

that produces inner tranquility visible to others.


Comments (21)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Light and Shadow of transla... | TOP | 英語と日本語の色調Chromatic... »
最新の画像もっと見る

21 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (今回の記事など)
2018-12-20 01:52:52
バレエを一度もやっていない人は
私が何を書いているのかが分からないと思う。

分からないから、分かる部分だけ切り抜いて
それだけをズームアップして
他のブログ記事と関連させることが精いっぱいになるだろう。

多くの人は真っすぐに立つことさえできない。
どっかが曲がって
どっかが伸びすぎてしまったりして
正しく立つことができない。

正しく立つことができないから
正しく坐ることも当然、できない。

正しく坐ることができない人が
解脱や悟りを分析しても
盲人が色を語るような感じになる。

今回の記事で言及したオクサナは
私のスーパースター、スベットラナの威力を
低滅させてしまった。

スベットラナは私にとって
ほぼ神の領域に入っていたのたが、
オクサナはスベットラナより
軽く、簡単にその境地に
若いうちに入ってしまっている。

スベットラナが大げさに
神の領域を誇るなら
オクサナは朝飯のように
何気なく、
何となく
こなしてしまっている。

オクサナのその非凡さに
呆気に取られてしまってもいるが、
せめて言えば、
オクサナにはスベットラナが持つ『権威』がないくらいだろう。

彼女のバレエを観てきてから
なんんとなく気力が湧いて
書く気持ちになったし、
食べたいものができて
昨日は一日中、料理をした。

返信する
Unknown (月のような者)
2018-12-22 19:43:30
日本人は韓国人とも似ているけど、その一方で日本人(本土)はアイヌ民族と沖縄人ともかなり根深く縄文人グループのフィーリングを共有しているんですね。体の動かし方を見れば分かるんです。そこは韓国人とは違うんですね。ダンスとかで韓国人に勝つのは難しいですね。たぶん日本、アイヌ、沖縄、コイコイ人、ピグミー族が同じ運動グループで、それ以外と違うんですね。ピグミーの男性の筋肉の付き方が本当に日本人と似てますよ。大胸筋など体の前面の筋肉が発達しやすいと。しかしロシアなんかも面白いと思いますよ。ヨーロッパとアジアが混在している体ですね。道端でアジア人みたいにしゃがんでウォッカを飲んでいる白人っていう。レスリングのアレキサンダー・カレリンが「私はアジア人だ」って言ってますから、否定しきれないアジア的感性を自覚してる人もいるんでしょうね。

昔から剣禅一如なんて言っていたけど、そんな理想を実現できたのは極一部の人で、ほとんどが、わぁー!って刀を振り回して運が良ければ勝ったというだけですね。果たし合いに勝っても、暗くて深いカルマの激流の音が聞こえるだけという。それで剣は捨ててただの禅のお坊さんになる人が多かったんです。いずれにせよ心と体を制御することの難しさを思い知るんですね。柔術なんてものも理想通りにできた人はほとんどいないですよ。今の合気道に似ているでしょうね。宇宙と一体化した超能力者になれと言っているようなもので、ボクシングの世界チャンピオンにもオリンピックの金メダリストにもできないですよ。江戸時代の本格的なものはなんでも要求するレベルが高いですから。だからできる範囲でなんとか工夫したものが今の格闘技とか護身術の技になっていったんです。東郷元帥がやっていた丹田呼吸法も歴史的に似たような流れで一般化したものかなと。丹田という概念はむしろ明治以降に明確化していったと。海戦で吹きさらしの艦橋に立って一歩も動かないって普通は怖くてできないですから、難易度の高い丹田呼吸法の導入に軍人としては最も成功した人でしょうね。
坐禅や丹田の捉え方も多種多様ですがあくまでサマタ瞑想の枠で語られるべきものですから、決して「万能」ではなく冷静に見るべき、という認識は必要だと思います。
返信する
Unknown (月のような者)
2018-12-28 06:07:15
よくチャイコフスキーは通俗的と言われるけどなにが悪いのかと思いますよ。カラヤン指揮の白鳥の湖って最高です。そりゃ通俗的ですよ。でもミッキーマウスの顔のチョコレートみたいなところがいいんですよ。あとヨハン・シュトラウス二世のワルツとか。ああいう調子のいい音楽はやっぱりいいものですよ。
夢と希望は必要なんです。子供は明確にそれを求めています。それが嘘八百だとしても地上天国建設の夢が人類をここまで押し上げたのです。今から見れば百年前の日常空間は耐え難い悲劇と理不尽と心の汚さと死に溢れた世界です。人間は確実に進歩したのです。
クリスマスの日に祖母が死んで今日は葬式ですが、いよいよ危篤と知らされて喪服のズボンのウエストがきつい問題を少しでも解決するために私が2時間ばかり外を歩いている間にちょうど亡くなったということです。
歩いている時に、正直長らく私のネガティブな記憶の源泉の一つ(やがて精神的な危機を迎えるきっかけ)とも言えた祖母のことを、小さい時に一緒に暮らしていた頃のことを、これで私の祖父母は全員いなくなることを考えたけど、あまり感慨が湧かなかったのです。
しかしこの2日間でその平静さは大きな意味を持つかもと思い始めました。
どうせすべてが「苦」になりえる人間の、幸福の最たるものとは感情の渦が起きないことに他ならないはずなのです。
あのドギツイ人とクリスマスは似合わない気がしましたが、前半生でさんざん苦労した祖母が老衰で記憶も失い赤ん坊のようになってひどい苦しみなどもなく死にました。安易に幸せだと言いたくはないけど、実は祖母はとても祝福されていた人だったのでは?という気もするのです。
非常に心配性でもあった祖母に、僕は大丈夫だからと言いたいです。
足を止めて見たサンタクロースのイルミネーションはやたらと明るくて、そこには祖母が不在で、私の気持ちも不在だった気がするけど、それはなんだか価値のある軽さで透明さだった気がします。
返信する
好きな視点で^す^ (のしてんてん)
2018-12-28 07:09:46
芸術の究極は間違いなく禅につながると思います。

この経験は私にもありますが、そのときには理屈抜きに体が感応しますね。その感じている先に、言葉の要らない相互理解があるような、そんな感覚でした。

私はそんな時、いつも思うのですが、この共感は、真実は一つだという証しなのではないだろうかと感じるのです。

様々なジャンルの名工、名優たちの立つ完成された境地は、不思議なほど同じなのですね。

この共通する感覚は禅の求める究極の心、宇宙と自我の融合なのだと私は思います。

つまり芸を極めるということは、究極の真実に至るということであり、それは必然的にすべてが唯一点にたどり着くということなのでしょう。

もちろん理想論と言われればそれまですが、少なくとも私達は、優れた芸によってその真実の一端を自分の中に気付かせてくれるという体験をしているのではないでしょうか。

良い経験をされました^ね^
返信する
Unknown (月のような者さんへ)
2018-12-28 14:03:15
月のような者さんの見方は本当にオモシロイですね。
論じながら他の類似事柄に飛躍すぎるところが私に似ていて、読みながらイメージがよく湧きますね。

他の人は何について連想して
何を言おうとしているかがよく分からないかも...

思うに、筋肉の付き方は人種によって
おっしゃるように異なると私も思っています。

人種が入れ混じっているここアメリカでは
それが一目瞭然に分かるのです。
黒人、白人、アジア人の筋肉の発達具合は凄く違います。

バレエだけ例をとっても、
アジア人の運動領域とロシア人の可動範囲は違って、
国々別に特徴が異なるから
その違いを識別しながら
バレエをみられる面は
人類学的にも面白いですよね。

韓国人のダンス感覚は
日本人のダンススタイルと私も違っていると思ってはいました。

私が10代~20代のころは
ダンスやDiscoに行くのが流行りでしたね。
26才に日本に留学始めた時に
躍りのスタイルが韓国よりずっと遅れていて
驚いたほどでしたね。


坐禅万能説、確かにそんな傾向がありますよね。
基本的に愛万能説と似通っているかも。
愛さえあれば、何でも解決するみたいな、
迷信みたいな感じがありますよね。
坐禅万能だと思っている人に効く処方は無いかなみたいな。


追伸
チャイコフスキーの音楽はバレエのために作曲されているから、
バレエを舞台で生演奏の音楽と一緒に観ると
通俗的という評判は適切でないと分かるはずです。
ワルツとはまた違う音の美しさがあります。
ワルツは朝の通勤とか、運動会とかにちょうど合ってますよね。
返信する
祖母さまへご冥福 (月のような者さんへ②)
2018-12-28 14:20:05
私の祖母は私が韓国にいた時
22才だったのかな、亡くなったと聞きました。
当時は姉と二人暮らしで
訳アリで親戚と実家と断絶されていたから
葬式にも行けなかったです。

あの時感じていたことと月のような者さんの言っている状況がどっか似ている感じがします。
『そこには祖母が不在で、私の気持ちも不在だった気がするけど、それはなんだか価値のある軽さで透明さだった気がします』
上記の引用文がちょうど、同感できる部分です。

あの時は泣けなかったのでしたが、
日本に来て、
ある日突然、祖母の夢をみてから
三日くらい泣きました。

また、アメリカに来て
祖母がまた夢に出て
一日、泣きましたね。

今なら、祖母が欲しがっていたものを
全部、買ってあげられるのに、と思って
なのに祖母はいない、それが一番悔しくて
泣いたのでした。

月のような者も
時間が経って
気持ちがその場に現存できるようになった時
祖母の不在で泣けるかな。

亡き人が生前幸せだったとか、不幸せだったとか
それは生きている人の正当化で
亡くなった人にとっては
幸せも、不幸せも
死と共に持っていかれたのでしょうね。

そんな、理不尽な時に
私のところでコメント頂き、恐縮です。

祖母様の冥福を祈るばかりですが、
死によってやすらぎを得られたことでしょう。

返信する
読み解く力 (のしてんてん様へ)
2018-12-28 14:24:32

>>>様々なジャンルの名工、名優たちの立つ完成された境地は、不思議なほど同じなのですね。

この共通する感覚は禅の求める究極の心、宇宙と自我の融合なのだと私は思います。

つまり芸を極めるということは、究極の真実に至るということであり、それは必然的にすべてが唯一点にたどり着く<<<

名言、明言ですね。
私が書かずにおいてた部分です。
それを言いたいがために記事にしましたが、
見事に読み解かしましたね。
さすが、芸術家の読み解く力に感服しました。

返信する
 (榮久)
2018-12-30 05:38:04
バレエで思い出すのは、
かけっこが出来なかった妹の泣き顔
幼い頃からバレエ教室に通い
一番ポジションが普通で
つま先が外側になった歩き方に
つまり、自然にがに股となることに

そして、走るときはつま先立になる
バレエが確り身に付いたのが
仇となって
普通な走り方が難しいようで
運動会を嫌がっていました
今でも姿勢は良いのに、がに股歩きのまま
返信する
ところ変われば品変わる。 (Unknown)
2018-12-31 01:53:08
栄久さん、
ハハハ、面白い。
確か、古式豊かな日本女性は
股に和紙を挟んで、歩く時にその和紙が落ちないようにスリ足をするを美徳としたようでしたね。

其処から内股に歩く美学が発生してる。
例、「お能」の様式美。

内股スリ足の達人とも成れば、
其の人からもオーラが発生するのかも・・・

立てば芍薬(しゃくやく)坐れば牡丹(ぼたん)歩く姿は百合(ゆり)の花

立てばトウスタイルで
坐れば、180度開脚。
歩く姿は揺り(ゆり)のガニ股
返信する
Unknown (栄久さまへ)
2018-12-31 03:39:53
バレエが確り仇になる、この領域に到達した妹さんが
羨ましい限りです。
バレエの妹さんとエンジニアの兄さん
この兄弟を育てあげたご両親の
教育方針に感服しました。
なんと理想な兄弟でしょう。

私が子供だったころ
バレエを習うのは夢のまた夢で
家庭環境からはほぼ不可能でした。

その因縁を報うべく
塾を畳んで移住の準備をしていた一年間
バレエスクール3つを掛け持ちしてました。

ここでメッサチュセッツ州に住んでた時は
メッサチュセッツ州バレエアカデミーに通ってましたけれど、
コネチカット州に引っ越してから
近所にバレエスクールが無くて
体が鈍ってしまいました。

妹さんは今もバレエを続けているでしょうね?
カニまた歩きまでいけて
辞めてるとはどうも思えませんね。
返信する

post a comment

Recent Entries | バレエ