Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

About life of marriage結婚生活について

2018-09-24 | 生き方

Marriage is a type of group that created by mankind.

結婚は人類が作り上げた集団の型である。

Encountered with a person who has completely different family name,

they make a bond with blood and inherit it to next generation.

全く別姓の人が出会い、

血で縁を作り後世につなげている。

They tie up each other with emotion and

they go to be separated by the emotion.

 

感情で結ばれ、

感情で別れていく。

Marriage is protected by law and

also attack opponent by the law.

 

法律で守られ、

法律で相手を攻撃もする。

It is under controlled by sexual hormone and

when the hormone becomes exhausted,

the love relationship goes to transform

to be just a physical relationship.

 

性ホルモンの支配下におかれ、

そのホルモンの枯渇により、

恋愛関係がただの物理関係に変貌していく。

People who chosen marriage as a ticket

which can take them to be happy

but when they judge they are not happy as they expected,

their marriage become to invalidate

from the status of love relationship into metrical relationship.

 

幸せになる切符として結婚を解釈した人は、

幸せでないと判断した時点で結婚状態を無効化する。

People who chosen to be married with whom has a condition

which is favorable to ensure social status

but when they come to judge such condition breaks down,

the meaning of marriage gets lose.

社会的地位を確保するために選択した好条件相手との結婚は、

その条件が崩れた時点で存続意味を失う。

 

I got remarried in my 50’s.

私は50代に入って再婚した。

 

It might be said properly that

my first marriage in Japan was

as to be a mean to survive if I have to describe it.

日本での初婚は強いて言えば、

生き残るための手段だったと言った方が適切かもしれない。

However, I still have a connection with him like kind of relatives,

so he is still a part of my life.

だが、今でも元夫と親戚のような関係を保っているから

彼も私の人生の一部分を占めている。

 

The first marriage that I have experienced which was based on law,

it seems to make able to take objective point of view

to see my current marriage life with my husband to compare.

初婚で形式的な法律に基づいた結婚生活をした経験があったからか、

今の夫との結婚生活に比較的に客観的な立場をとることができる。

Since I have been married with my husband internationally,

I have been having marriage pattern that

I never even imagined in my past.

夫との国際結婚により、

過去に想像すらできなかった生活様式を送っている。

 

The residential environment has been changed,

住まいの環境が変わり、

The kind of food I eat has changed,

食べ物の種類が変わり、

The language I use has changed,

使う言語が変わり、

The life style also has changed,

生活習慣も変わり、

The people I meet are also have been changed,

会っている人達も変わり、

The scenery I see also has changed,

見える景色も変わり、

The type of stress I take also has changed,

ストレスの種類も変わり、

Even the season has taken differently to change.

季節の変わり方さえも違う。

 

However, things that seems to unchanged yet,

it might be such as subject or phenomenon that I try to know,

the type of know ledge that related with personality formation

depending on my personal tendency.

だが、変わらないと思われるのは、

知ろうとする対象や現象、

知識の種類といった人格形成に関わる性格傾向だけかもしれない。

 

Strange thing is,

the old memory that attached on somewhere in my brain,

it reappears as changed way with a different interpreter,

so it makes me surprised.  

不思議なことは、

脳裏にへばりついた昔の記憶が捉え方を変えて再び現れてくるので、

自らのことながらその再解釈には驚かされる。

 

I have been trying to carry out my belief that

would not be influenced by changeable circumstances,

but it seems to too hard to maintain

because the surrounding conditions of mine have changed a lot.

私は環境の変化に左右されない信念を貫くことを

実行しようとしてきたのだが、

変わってしまった周りの条件が多すぎて、

その信念を維持することが難しくなってきた気がする。

 

Sometimes I wonder if there will be a perfect form of a marriage.

たまに、完璧な結婚生活があり得るだろうかと思ったりする。


Thinking that what is a cause that

makes married people feel their marriage are imperfect

and what idea is rooted for their judgement in their mind.

不完全な結婚生活だと感じる心的背景には何が原因なのかも考えたりする。

 

Also think that what is pattern of thinking to judge

happy or unhappy and determine

which has a value for their mental backgrounds?

不幸だと判断することや幸せだと感じる価値判断に

根付いている考え方は何だろうかとも考えたりする。

 

I might should appreciate for my doing practice zazen-meditation that

made me not to hurry to get a conclusion for those above thoughts.

それらの考えに、

結論に急がなくなったのも

坐禅の修行のおかげかもしれないと思ったりする。

 

Whichever way of marriage types,

if someone tries to get a conclusion in a hurry,

the one loses option to choose for next opportunity

so that the situation gets narrow and suffering.

どんな結婚の在り方にしろ、

結論を早く出そうとすると次に選ぶ選択肢の余裕が無くなり、

状態が狭苦しくなる。

 

I try not to decide assertively as my conclusions such like,

my marriage is happy, perfect or ideal.  

私は私の結婚生活が幸せだとか、

完璧だとか、理想的だとかの

ある断定的な状態に結論つけないようにしている。


Saying these and those like I want to do

but couldn’t do actually what I supposed to do,

such ideas come and go like seasonal change

and I am gazing at those mind changes.

自分がやりたいことをあれやこれや言い、

その言ったことを実際やったりやれなかったりしながら、

想いついたことも季節の変化のように過ぎっていくことを眺めたりする。

 

I guess that many of marriage problems caused by trials that

add extra forces artificially to be as they desired

before something gets solidifies spontaneously.

多くの結婚問題は何かの状態が自然に固まる前に、

余計な人工的な力を加え思い通りにしようとしたから

起こるかも知れない。

 

However, there must be a marriage case

which only can be solved by separated for the best.

だが、ある結婚では別れだけが

最善な解決策になる場合もあるだろう。

Even separated if someone tries to reconstruct their bonds that

they have been having from past,

it is possible for them to find a new form of relation to be.

そうなっても過去に結ばれた縁を再構築していけば、

新たな関係の在り方を見つけるようになるかも知れない。

 

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30 Comments

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Unknown (桂蓮)
2018-09-25 08:32:48
この記事にした理由は

このブログ会社のリアルタイム解析結果と違い、
Google Analystic結果は
このブログは英語圏の人に高い比率で読まれている分析があるからだ。

今まではこぼGooブログ会社の解析だけ参考にして
日本内の英語を勉強している人に向けて書いてきたのだが、
他の国々で日本語を学ぼうとする人達にも読まれていることが分かった。

将来の進路(本業として決めていること)のためにも
これからは英語をメインに日本語を二次的にしていくのが効率的に思われる。

この写真は
去年、日本に行くビザ申請のため
アメリカでパスポート更新するために撮った。
この写真を撮ってから
NYの韓国大使館に行って
ビザの更新やパスポート更新をした。



返信する
最高の記事です (馬とモンゴル)
2018-09-25 18:13:07
蓮の花さん

こんにちは!

貴女の今までのブログ記事で今日の記事が一番最高の記事です

以前から危ぶんでいました

そしてコメント欄を閉じ心配していましたがきっとドアを開けてくれるだろう念じていました

その時は今までの貴女じゃなく日常の貴女に戻り世界中の人に愛されるブロガーになれることを願っていました

小難しい学術的な記事より身の回りの記事が貴女には素敵です
返信する
結婚(命+制度) (のしてんてん)
2018-09-25 18:48:27
私は結婚して32年を越えますが、最も制度として意識したこ時は、結婚式でした。

その入口がなければそれはないという考えで、つまり社会制度として考えていたのではないかと思います。

もちろん、そんなめんどくさい儀式を潜り抜けた原動力は命の作用(愛)があったのは確かなことですけれど、そんな作用は制度に隠れてほとんど見えなかった気がします。

つまり結婚それ自体が人工的だということなのでしょうね。

しかし命は宇宙
宇宙に合う人工服は存在しないという訳ですね。

冷静に考えれば、宇宙に宇宙を重ねられるのは(愛)しかない。

私の場合(愛)が(哀)に変化しつつある気がしないでもありません^が^・・

制度は変わったり壊れたり、互いを幸せにしたり傷つけ合ったりしますが、

桂蓮さんのおっしゃいますように、

「結婚生活が幸せだとか、完璧だとか、理想的だとかの、ある断定的な状態に結論つけないようにしている」

という見識に私も賛同いたします。

制度に問題があるのではなく、どう生きるか、どう生きてもらいたいかという(愛)の問題として考えるべきなのでしょうね。

ところで、頂いたメールに返信いたしましたが、届いているでしょうか。
返信する
Unknown (桂蓮)
2018-09-25 20:02:51
参考までに

激賛して頂いた『馬とモンゴル』さんのブログは
モンゴルの写真と分かりやすい解説を載せているブロガーの一人です。
グーグルアクセス解析に現れるモンゴル発信は
おそらく馬とモンゴルさまからのクリックした分でしょうね。


馬とモンゴル様へ
この記事が最高だと絶賛されて嬉しいですが、
私本人はどうして最高になれたか
訳が分からないでいます。

私が記事を書く時は
誰か、読んでほしい人を心の中で指定して書きます。
今回は特に、結婚生活で悩んでいるフランス人の私の友人宛に書きました。

私は以前、日本で塾長を15年やったことがあり
もう人に説教調になるのはゴリゴリなので
自分のことを例えながら
迂回して、間接的に書いたつもりです。
それがお気に召された結果になり
嬉しく、またコメントまで頂きありがたいです。
返信する
Unknown (桂蓮)
2018-09-25 20:13:40
のしてんてん様へ

私は初婚も再婚も結婚式をあげなかったので、
式の大変さが分からないのです。
ですが、塾長をやってた時に
講師達から結婚式に招待されて
全講師が出席したりして
本当に盛大に送りあげてましたね。

結婚式を挙げられなかったのは
式を挙げても来られる家族が一人もいなく
友達付き合いも極少なく
私側からはゼロ状態になるから
辞めてましたね。

愛が哀に変わる、現実的で苦いジョークですよね。
苦笑いしました。

今は朝の7時ですが、
昨日の朝からずっと起きているので、
2回目の朝を迎えています。

なので、何時間か前にメールを送ってますが、
まだお読みになれていなかったようですね。
返信する
Unknown (ZIP)
2018-09-26 00:13:14
結婚することの根拠は、世間におけるごく一般的な形態に自分をはめ込むことによって、社会に認めてもらい、社会に参加することで、自分を一人前として限定づけることを目的にしているわけです。
要するに、自ら社会という型にハマリにいくことで、これまでの自分を更新することが主な理由になっているとしか思えないわけです。
更新する決意を幸せとして変換する手前勝手な
思い込みがなければ、結婚には至らないのではないでしょうか。

幸せという意味を、自分を更新すること、
即ち、生産性として貢献できる事と解釈するのであれば、変換する為の装置が「愛」であると言えるのではないでしょうか。
結婚は必ずしも制度として強制ではないですが、
暗黙の制度として成り立たせる為に「愛」という装置が使われていると思うのです。
返信する
Unknown (桂蓮)
2018-09-26 13:33:18
ZIPさんの制度における愛の装置には
私が根本的に考えていることと共通する箇所があります。
私は俗にいう『アイラブユー』に強い不愉快感があって、今まで3回(ジョークとして)しか使ったことが無いほど、使っていないです。

至福、この言葉を知ったのは
大学生の時の心理臨床の授業でした。
『福に至る』
なんって、響きがよいだろうと感激してました。
社会心理の授業で
ゼミの一つが幸せについて研究することだったから
幸せや愛着といった個人の感覚範囲の価値判断に
ある程度、深いところまで研究したことがあります。

厳密に
幸せだと感じることと至福に至る感じを受けることには
別の次元の感じがしていると思います。
(心理学ではこれを実際実験で証明しようとする人もいましたね)

言いたいのは、
愛していると言った時点で
相手に何かの価値に相当する行為を要求することになるだろうと思えたりします。

強いられた感情に応えずに苦しむ人もいれば
強いられても無視できる人もいますよね。

私は人からある感情のレベルまでついてくることを要求されるのに怒りさえ感じます。

勿論、私の夫や過去に知り合った人に
その言葉の使用を禁止してますし。

制度の一環としての結婚
ですが、それが国際になると
これはこれは
書類100%、法律100%になるわけです。

うちらが移民のために準備した書類は
箱に入れても積もれます。

制度だと言い切れない範囲でしたね。
返信する
Unknown (ZIP)
2018-09-26 22:51:34
結婚することで社会的に世帯という単位を構成することになるわけですが、
そうする事で、一人前とか、一丁前といった属性を我が身に纏いたがるのは、一端の大人になる為であり、そう呼ばれたいのに他ならないからでしょう。
しかし、実際にはパートナーとの共同生活は、
自分の期待や、予期に反して、中々思うに任せない、といったところが現実ではないでしょうか。
一端の大人ぶる為には、やはり「愛」は必要なのでしょう。
愛すればこそ、それらの乖離性を覆い隠せるし
複雑な感情に囚われることなく、考えずに済ませられるのではないかと思うのです。
思慮の浅い選択を可能にするのが「愛」であり
愛することで複雑な感情も処理できるのでしょう。
そういう意味では、桂蓮さんの態度は、
愛で誤魔化されることを良しとしない、
かなりの現実的行為主義の人であると思えるのです。
返信する
Unknown (桂蓮)
2018-09-27 06:37:20
ZIPさんから解説してもらい
私が感じていたが言葉に定義できなかった事柄を明確にしてもらえ、頭が軽くなったような感じがします。

昔、若かった時も
相手がどんな人であれ、関係の本質を歪めることせずに、
事実を優先する関係性を保ってきましたね。
事実を優先させることから生じる不利益や不利を正面から受けてきましたね。

だが、どうしても『相手の愛で得られる利得』を拒むことはできなく、それを利用しましたが、
利用した際には相手の了解を得てました。

感情面でペアプレイしたつもりですが、
それを実際実行してきたから
結果的に人間関係が少なくなりましたね。

塾をやってた時、どうしても嘘をつかなくてはならない状況が多くありましたが、
嘘をついた時は、嘘をついたことで
相手に害を与えない場合のみに限定してましたね。

しかし、経済的な金銭面の利益に関わると
嘘をついて得られた結果が
相手と私に損得被害に関わらない程度内で
嘘を言ったりしましたね。

モラルの処理、美徳の扱い方など
それらが経済的な損得勘定とごちゃ混ぜにならないよう努めてきた気がします。

なんだか、私個人の生き方説明になってきましたが、
ZIPさんの言葉は
私の考えや行いを改めて考えさせる力がありますね。
返信する
Unknown (ZIP)
2018-09-27 09:56:42
仏教的見地から見れば、愛とは何事も徹底できない衆生の為の慰めとして、すがるに値する
執着に過ぎないと言ったところではないでしょうか。
愛というもので不徹底さを擬装をしている限り後々後悔することは必定であるという教えは
以外と分かりにくい教えであると同時に、敬遠されがちなものです。
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